『謎解き「ハムレット」』 | Wind Walker

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原ハムレットともいうべき映画『ノースマン』で主人公アムレートがゴリマッチョだったのに衝撃を受けましたが、ハムレットが「優柔不断で虚弱な哲学青年」というイメージはロマン主義が生んだ虚像にすぎないと主張する本を見つけました。

 

著者は『ハムレットは太っていた!』の河合祥一郎さん。

 

 

謎解き『ハムレット』: 名作のあかし (ちくま学芸文庫 カ 40-1)

 

『謎解き「ハムレット」 名作のあかし 河合祥一郎著 2000年(2016年に文庫化)

 

 

『ハムレットは太っていた!』でも作品は現代の価値観だけで捉えるのではなく作られた当時の背景を考慮すべきだというご意見でしたが、本作も同様の主張。

 

ハムレットが機会を得ながらも復讐をただちに成し遂げずにいつまでも引き延ばしていることが現代では謎とされているそうですが、シェイクスピアが生きていた当時の批評ではそれが謎と思われてはいなかったとのこと。

 

つまり謎に思えるのは、現代の我々にとって400年以上前のイギリス文化が理解できないものになってしまったため。

 

その謎解きをするために多くの著名人の見解を紐解いていくという構成ですが、結局のところ『ハムレット』を復讐劇という枠組みで捉えてしまうことで「なぜいつまでも復讐を果たさないのか」に疑問を感じてしまうということでした。

 

 

それでは、『ハムレット』が復讐劇ではないとしたら、何なのか。キルケゴールの答えはこうであるーーそれは宗教的な作品なのだ。(略)「審美的な英雄は勝つことによって、宗教的な英雄は苦しむことによって、偉大なのである」とも言う。(p.191)

 

 

「To be, or not to be」と悩むハムレットは当時のスーパースターであったヘラクレスになろうとしていました。ヘラクレスはきれいな花が咲き並ぶ「快楽の道」ではなく、石のゴロゴロする「美徳の道」を選んだ英雄神です。

 

幕開けはヘラクレスにはなれない憂鬱なハムレット。父の亡霊と出会ってからはヘラクレスにならなければならないことで苦しむハムレット。第五幕以降での変貌は、ヘラクレスになることを諦めた悟りのハムレット。

 

 

この本を読むと主人公をマッチョにして神話的世界観で描いた『ノースマン』が、実は作品本来の意味を現代にストレートに伝えていた作品だったのだと思えます。映画を観た方にはもれなくオススメ。

 

 

 

著者の河合祥一郎さんはNHK「100分de名著」のテキストも書かれていて、ついでにそっちも読んでみたら最初から最後までびっくりするくらい内容が同じでした。

 

よりコンパクトにまとめられているので、手早く読みたい方はこっちの方がいいのかもしれません。