芥川賞作家・丸山健二塾長の作家養成塾が第2期生募集中!
第1期生は着実に筆力が向上。埋もれた逸材を求めています!


「丸山健二塾」第1期は、2015年11月からスタート。
 本塾では、既存のライター講座や小説家養成講座でお話されるようなものではありません。作家・丸山健二がこれまで書き続けてきた経験から生まれたノウハウを、塾生のレベルに合わせて教授していき、新しい文学を創出する作家を育てるのが目的です。
 その結果、塾生たちは丸山塾長からの指導を理解されたうえで課題作文を提出され、少しずつ、中には格段の進歩を遂げている方もいらっしゃるようになりました。一人ひとりの個性を大事にしながらも、文学の本質に少しでも近づくためのヒントを与え、塾長・丸山健二氏を超える作家の創出を目指しております。

 つきましては、第2期生を募集しています。試験を受けていただき、合格者のみが塾生になることができます。試験の応募要項、また「丸山健二塾」の概要こちらからご覧ください。

■丸山健二塾長からのコメント
 第1期生の塾生たちと面談し、短い文章を読まさせてもらった際には、既成文学がいかにかれらを毒しているかを痛感するあまりに、ほとんど絶望的な気分に陥ったのですが、しかし、最初のアドバイスで早くもかれらの顔が輝くのを目の当たりにしたとき、もしかすると、日本語の魅力を存分に引き出す具体的な方法を知らないのではないか、ただそれだけのことではないかという直感が働きました。そして半年後、半数以上の方が、なんと予想をはるかに上回る速度で上達していることに、驚きを禁じ得ません。
 かくして文学はとんでもない方向へ、というか反文学、反芸術の道を転がり落ちることに相なり、しかし、当事者たちにその自覚や意識はいっさいなく、すでにしておのれの魂が腐り果てていて、普通の人間として誇りや自尊心さえも失っており、やっつけ仕事が横行し、レベルが低過ぎる、普通の文章を読むのがやっとの、ナルシシズムをくすぐってもらえるのならばいかに見え見えの嘘でも貪るような読者に辛うじて支えながら、それでもなお、自分は日本文学の一端を担い、寄与している名編集者の一員なのだという、誤った意識を持ちつづけ、汚れきった世界を泳いでいるうちに真っ当であるべき神経が麻痺し、目先の仕事をこなしつづけることにこそ意味と意義があるのだと自分に言い聞かせ、その間に心や精神はおろか、魂さえもぼろぼろになってゆき、定年退職を迎えたときには、やるべきことをやり遂げたという満足感と達成感に浸り、その人生をふり返るために、おのれがいかに優秀な編集者であったかを世に知らしめようと、自慢気な回顧録に似た自伝の本を出し、あの作家は自分が世に送り出しただの、あの作家には可愛がられただの、あの作家には殴られただのという、その程度の他愛ないエピソードを綴って、人生の締めくくりとするのですが、それだけでも滑稽で痛ましいというのに、なかには、退職後もなおお祭り騒ぎの陶酔の余韻を引きずらんとして、すでに誰も相手にしない過去の立場と肩書を、水戸黄門の印籠のように振りかざしながら、なんとか元の世界に首を突っ込もうとあがく者もいて、その姿ときたら、もちろんぶざまではあるのですが、それ以前に思うことは、こういう人たちが文学を真の文学へと進めるための妨げになってきたのだという歴然たる事実であり、残念ながらかれらの後輩たちもその道を踏襲しているありさまなのです。
 商売的に大成功をおさめていた出版の世界ですが、当時どんな状況にあったかと言いますと、それはもう話にもならない体たらくで、ともあれ関係者はどんちゃん騒ぎのまっただ中に身を置いており、銀座の高級クラブが会議室のようなもので、編集者と作家と評論家が毎晩のように集まって、べたべたした、おぞましい関係を構築し、芸術家にあるまじき社会的出世、つまり、国家権力が取りこむために投げつけてくる、文化勲章だの、芸術院会員だのという餌にありつくための算段と駆け引きに余年がなかったのです。編集者といえどもサラリーマンであるからには、その人生の最終目標を社内における出世に定めるのは当然なのですが、しかし、編集者という職業は、本当の意味において芸術や創作に携わるという特殊な仕事なのですから、その辺りの価値観が一般の勤め人とまったく同じというのでは、そこまで凡俗というのでは、寂しい限りなのですが、事実は、お役人の世界と同等か、あるいはそれ以上のえげつない出世主義が蔓延り、罷り通っているのです。
 それが現実です。編集者の出世を決定づけるのは、担当の作家がベストセラーを出すか、さもなければ、その作家がいわゆる下世話な出世街道を順調に歩みつづけるかどうかにかかっているのです。要するに、作家は編集者の出世の鍵であり、小道具であるということになります。ですから、作品の質などどうでもかまいません。また、文学への真の理解が欠落していても、いいのです。文学ではなく、文壇の力関係さえしっかり把握していれば、そしてそこを巧みに泳いで、売れる書き手や、文化勲章や芸術院会員になれそうな書き手にへばりついていれば、それで充分なのです。そして、そのためとあれば、どんな屈辱にさえ甘んじる、底なしの恥知らずであることが重要なのです。