プロレスごっこ♪~得意技は何?編~
ボクらが小学生の頃は毎日、休憩時間には教室の後ろや校庭の芝生でプロレスごっこをしたもんでした。
“ごっこ”と名が付くとはいえ、それはおままごと同様“リアリズム”のワンダーランドである。奥さん役の子が子供として普段は絶対言わないような
「あなた~♪」
や
「ご飯にしますか?お風呂にしますか?」
のセリフを遺憾なく吐きつけるように、あの時代“プロレスごっこ”の究極ムーヴにして象徴的シーンは何といっても
“ロープに振られたら必ず返ってこなければならない”
と、
“ひとりひとりが友達とはかぶらない得意技を持っていた”
ではなかっただろうか?
小学生プロレスは一定条件を除き、場所的に投げ技が困難である。バックドロップやドリル・ア・ホール・パイルドライバーなどは、痛いし死亡事故にもつながるので持ち上げて降ろす投げマネがほとんどだ。ということでおおかた得意技はラリアートなどの打撃技かサソリ固めや卍固めなんかの固め技だったんじゃないだろうか?
ということで・・・みなさんの得意技なんだけど、何でした?
子供にしても生まれ持っての性格か?ボクは当時から人とかぶるというのがイヤだったから、当時は使い手がいない小学生らしからぬ技を選んだんだ。それは
鉄の爪・フリッツ・フォン・エリックのアイアン・クロー
であった。
なんてマニアックな・・・でもこれには理由があった。そう、あの名作漫画プロレススーパースター列伝の影響である。
エリックはスーパースター列伝では一度も主役になったことはない。けど、漫画の折々で登場してはLPレコードのジャケットがまるまる収まってしまうほどの大きな手で
「アップル・ジュースをオゴるから口を開けな」
とリンゴを潰しアイアン・クローの威力と貫禄を見せつける。
若手時代、暴漢から女性を救うため、ナイフを持った男の手首を掴んだらその手首が粉砕骨折した。アイアン・クローを食らって脳波が狂ったレスラーは5人をこえる・・・
これは梶原先生のドリームワールドでもあるが、あの当時疑う余地はなく、なんて凄いんだ!!と憧れるばかりであった。
実際にエリックは普通の握力計測定では握力測定きないほど凄かったそうだ。さらにブルーザー・ブロディを育てあげたり、テキサスで試合するレスラーがエリックのテリトリーで試合をし、エリックの経営するホテルに泊まり、エリックの経営する銀行からファイトマネーが支払われるというのは本当だったそうだ。レスラーとしてプロモーターとして、この強さに器・・・ボクはしびれていたんだ。だからそこで思った。
おれは得意技をアイアン・クローにするぞー!!っと!!
あの当時、ボクはプロレスごっこでアイアン・クローを使った。みんなあんまり知らなかったし、効果もあったからそりゃー気持ちよかった。またエリックが使ったようにストマック・クローも使った。劇中ではアレを食った選手は胃液をゲーゲー、いや列伝風に言えば
「ホゲ~~~~~~~~!!」
状態である。これはやりがいがある!!で、さっそくやってみたが・・・
「はははははは!!」
と大笑いされた。ストマック・クローは中途半端だとくすぐられているみたいで笑っちゃうらしい・・・
なんだかな・・・まだまだエリックには遠いんだな・・・
そんなある日、学校でスポーツテストがあった。踏み台昇降や上体そらしなんかやるアレである。けっこう疲れるやつだがボクはその日、楽しみにしていたことがあった。そう、握力測定だ。
仮にもアイアン・クローを得意技にしているボクが握力測定で低い数値を出すわけがない。自信ありげに、そして楽しみにボクは握力を測った。結果は左右とも26くらいであった。当時の年齢からだとまぁまぁだったと思う。でもまだまだ、もっと鍛えてリンゴ潰せるようにならなくちゃ!!なんて思っていると当時席が隣だったクラスのヒロインのK子ちゃんがいたので握力を聞いてみた。すると
「あたし右が30で、左が・・・」
んぉぉー!!んぉぉぉぉぉー!!
おれは、おれはぁー!!得意技がアイアン・クローなのに・・・
クラスのヒロインの女の子より握力がなかったのかぁー!!
その後アイアン・クローを封印したのは言うまでもありません・・・
栄光のディファジオ・メモリアル
昔、新日本プロレスをテレビで見ていると、よく古舘さんが
「栄光のディファジオ・メモリアル」
という言葉を言っていたんだけど・・・覚えているかなぁ~?
初代タイガーマスクのときもそうだったけど、藤波辰巳がジュニア・ヘビーの頃、試合しているとそれはそれは頻繁に聞くことができた。でも・・・当時は完全に意味不明だった。友達に聞いても家の人に聞いてもわからないのである。プロレスの本にも当時は詳しく載ってはいなかったし、もちろん辞書にも載っていなかった。
ディファジオ?ディファジオ・・・一体なんなんだ!?
完全に理解不能であった・・・
でも子供ながらにわかることがあった。それは
“栄光の”
という言葉である。これは賢明だ。みんなが目指すもの、名誉・・・そうだ、なんだかわからないがジュニア・ヘビーの人が目指すものなんだ!!チャンピオンになった、そのさらに上にある
とてつもないチャンピオン
にちがいない!!
で、どんなのなんだそれは?どうすれば獲れるんだ?わからない・・・でもいつか、ジュニア・ヘビーの誰かが持ってくるはずだ!!あーディファジオ・メモリアル・・・一体どんな形してんだろ?やっぱりベルトなのかな?そうだよなー・・・すごいベルトにちがいない。たぶんでっかいんだ。AWAのベルトなんか目じゃないぞ・・・そうとうでっかいんだ。アンドレくらいないと似合わないな。それにしても・・・早く見たいなーディファジオ・メモリアル♪
ボクの妄想はとどまることを知らなかった。
それから何年過ぎただろう・・・中学生になりボクはディファジオ・メモリアルを知った。そーか、そういうわけだったのか・・・
ディファジオ・メモリアル・・・それは藤波辰巳が昭和53年1月にMSGでカルロス・ホセ・エストラーダを破り奪取したWWWFジュニア・ヘビー級のベルトのことであった。
若き日の藤波とロスの名レフリー、レッドシューズ・ドゥーガンが手にしているベルトがまさに栄光のディファジオ・メモリアル!!
先代、このタイトルを保持し活躍したレスラー、ジョニー・ディファジオにあやかりベルトに“ディファジオ・メモリアル”と刻んだことから新日ジュニアの象徴とされ“栄光のディファジオ・メモリアル”となったのである。
それにしてもなんて夢のあることだろう。
過去のチャンピオンの名を受け継ぎしベルト・・・それを藤波が掘り起こし、魂を入れた。蘇りしベルトは人を引きつけ、さまざまな選手達が導かれ競い合った。
時代を超えて目指したもの・・・栄光のディファジオ・メモリアルかぁ。
※詳しくは(プロレス研究所~MSGとプロレス特別編 ザ・ヒストリー・オブ・デファジオ・メモリアル~)でご覧ください。
名レスラー伝~インドの猛虎 タイガー・ジェットシン~
今から18年前にもなるかな・・・高校を出たばかりのボクはその日、東京へと向かっていた。
初めて見る新宿のスクランブル交差点にド肝を抜かれたのはもはや田舎者の宿命か・・・いやいや、そんなことに干渉しているヒマはない。ボクには目指す場所があった。そう、ここへきたのは新宿形成外科に行って長い皮を切ってもらい大人の仲間入りをするため・・・
いやっ、それはホーケー・・・
いや・・・ボクが目指した場所とは新宿伊勢丹前だった。18歳の春・・・大勢の人が行き交う中、ボクは伊勢丹前の通りをしみじみ見つめ思った。
そうか、ここでボクが生まれた年にアントニオ猪木は襲われたんだな・・・
名レスラー。記念すべき第一回目はタイガー・ジェット・シンです。みなさんはこのレスラーにどんな思い出がありますか?ボクは怖くて怖くて心身に影響が出たほどの思い出があります・・・なっはっは・・・
ボクがジェットシンを知ったのはスタン・ハンセンが新エース外人としてアントニオ猪木と熱くやり合っていた頃だから・・・猪木・シンの抗争が若干フェードしてきた頃かな?あの頃のジェットシンはハンセンの登場でエース外人から若干遠ざかってしまった、スタイルがマンネリ化しちゃって人気が下降気味だった、なんて感じではあったが、当時5、6歳のボクにとっては“一番怖い人”として強烈に子供心に焼きついているなぁー。
ジェットシンは今では言葉すら使われなくなったが、いわゆる“悪者レスラー”である。悪役じゃなくて悪者ね。当時全日本にはアブドーラ・ザ・ブッチャーがいて、やはり悪として猛威を振るっていたが・・・体型も丸みを帯びていて、顔もどこかかわいらしいブッチャーのやるそれとはジェットシンのものはちがって見えた。ブッチャー悪役、ジェットシン悪者って感じがする。その象徴的シーンはやっぱり顔じゃなかっただろうか?
ジェットシンは目が細い。遠くから見ると横に一本線引いただけのような感じだ。しかも彫りが深いから目のところが影で見えないなんてときもある。でも反則攻撃するときに目をグワっと見開き、相手に一撃を加えることがある。そしてチョーク攻撃のときには口を開き舌を出す!
これこれ
そんな形相で相手を血まみれにしては、みんなが止めているのに首を絞め続け、挙句に報道カメラマン、リングアナウンサー、お客さんまでやっつけちゃう・・・もちろんブッチャーもそんな感じだったけど、ときにユーモラス、愛嬌があるあの顔でのブッチャーの反則よりも、まったく愛嬌が感じられないジェットシンのあの顔での反則は当時幼稚園児のボクには刺激が強烈過ぎたのだ。それはそれは怖かったなんてもんじゃない!
そんなだったから・・・ある日の夜、ボクはとうとうジェットシンの夢を見てしまった。
小さいお子さんがテレビなんかで怪獣や怪人、それに見知らぬあやしいおじさんなどの怖いものを見たとき、それまでそんなことなかったのに突然その晩夜泣きしてしまったり、うなされてしまったなんて話は聞いたことがあると思う。ボクは怪獣や怪人ではそんなことはなかったけど(もちろん見知らぬおじさんでもな)ジェットシンの恐怖には耐え切れず、そんな現象に陥ってしまったのだ。
しかも見た夢ってのが・・・ジェットシンが当時ボクの行っている幼稚園内で人を殺す夢だったから始末が悪かった。
怖かった。あのジェットシンがボクの幼稚園に現れて、ボクの目の前でどっかのインド人を殺してしまうんだ。なんでインド人のジェットシンがインド人を!?と恐怖に慄きながら逃げることも出来ない、ただジェットシンが人を殺すのを目前で直立不動で見ていて、そしてインド人の次は自分が殺される・・・そんな夢を見たからたまらない。
以後、夢の中で幼稚園内でジェットシンが人を殺した場所にも近づくことが出来なかったのは言うまでもない。そしてプロレス中継を見ていてジェットシンが出てくると条件反射で父ちゃんの後ろに隠れながらプロレス中継を見るという、トラウマな日々を送らざるを得ない状況に追い込まれた。もちろん夜ひとりでトイレにも行けなくもなった。
ちなみにウチの奥さんも子供の頃にジェットシンが出てくると、やはり怖くて隠れてたと言っていた。やっぱり・・・あの頃ジェットシンが怖かったという同年代の人はボクだけではなかったようである。
この頃、ちょうど世にはあの“口裂け女”のブームがおきた。身長2m、鎌を持ち、100mを数秒で走り私きれい?って聞いてはマスクを外して口アングリ・・・日本中の少年少女はそりゃー震撼したもんだったがボク的にはジェットシンの比ではなかった。
そりゃー口裂け女も怖いと思ったけど・・・ウワサ話だけで実際姿がわからなかった口裂け女なんかより、毎週相手を狂気の沙汰で血の海に沈めているのを実際に見せるジェットシンの方が絶対怖いと思えて仕方なかった。口裂け女なんかジェットシンにかかればサーベルであっという間に血まみれにされコブラクローの餌食だ!!と信じてやまなかったのである。
というわけで・・・とにかく、今では考えられないほどの怖かった存在だったんだ。
いつだったか・・・つい最近、ハッスルでジェットシンが試合しているのをたまたま見る機会があった。血と憎悪の悪者レスラーに味方はいない。対戦相手と会場の客はすべて敵。徹底的に悪を見せつけ恐怖を与えては記憶に刻み付ける・・・
正直昔の迫力はない。髪の毛も薄くなってしまった。そんな中、スポーツ・エンターテイメントを掲げているハッスルでファイトしている。それは・・・あの過激な狂人悪者ファイトを知る昔のファンとってはどう映るんだろう?もういいじゃないか・・・そんなジェットシンなんか見たくない・・・ボクの地元、茨城県つくば市のカレー屋のオーナーでいいじゃないか!!
そんな哀愁に支配されそうなボクだったが、場外乱闘になりイスを振り上げぶん投げるジェットシンを見て突然何かに目覚めた。そして
「いいぞージェットシン!!もっとやれー!!」
と心の中で叫んだ。
それは対戦相手をイス攻撃でやっつけろ!!という意ではなかった。ジェットシンの場外乱闘にリングサイドのお客さんが本気で驚き、逃げるシーンを見てボクは叫んだのだ。昔のジェットシンを知らない、ハッスルで安心しきって試合を見るお客が
「何この人!!」
「うわ、やばい!!こわい!!」
という顔をしたから思わず・・・叫んだのだ。
そして・・・うれしくなった。
そんなジェットシンに悪者レスラーの誇りを感じるのである。