Essen、Köln、Düsseldorf ~YukkiYOYOを巡って | ツアーレポート

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FUSION FESの翌日。
シャトルでベルリンまで送ってもらい、荷物を宿に放り込み、一路エッセンへ。

6/27にYukkiYOYOは勤務地であったエッセンで亡くなったとのだという。
この日、エッセンにはユッキーの妻みづきちゃん、そしてユッキーのお母さんが到着していた。
何の偶然か、私たちはほぼ初めてドイツにいて、ここから1週間ほどのオフの予定だった。


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以下オフィシャルサイトより↓

【YukkiYOYO/鈴木幸宏 Yukihiro SUZUKI】 
世界中のアーティストの集まるヨーロッパ指折りのサーカス学校、CNAC(フランス国立)に史上初、ヨーヨーで入学。
現在ヨーロッパを拠点に活動する唯一の日本人サーカスアーティスト。
2つのヨーヨーを自在に操り、ダンスとアクロバットを組み合わせた独特な身体表現。
技を披露していくといった従来のジャグリングとは一線を画した、舞台を意識し音楽、照明と融合した独自の世界感を展開。
 ヨーロッパのサーカス、バラエティーシアターやキャバレーを中心に活動中。
2012年1月からドイツ最大のバラエティーシアターGOPに出演。6月末まで。
ヨーヨーをはじめ、ディアボロ、8リング、江戸太神楽など。

YukkiYOYO PV "Zero"



私自身がユッキーと初めて会ったのは2010年のフランス、アヴィニヨン。
村田さんと行くはじめてのヨーロッパツアーで、アヴィニヨン演劇祭に参加していたユッキーのショウを観たのが最初だったように思う。
その後、2011年5月4日に開催した「バーバラ村田のよるべナイト vol.3~極東のシルク・ド・ドゥマン編~」に出演してもらえることとなる。
このイベントは彼の帰国スケジュールに合わせて日程を決め、彼のショウのためにそれまでよりも舞台が広く天井の高いスターパインズカフェに会場を移した。
2011年の夏のヨーロッパ遠征では、ユッキーはドイツで仕事をしていて不在だったがパリの家に泊めてもらい、奥さんのみづきちゃんと毎晩楽しく飲みまくった。
ツアーの最後、パリ郊外のレジデンス施設にも訪れてくれて、フランスの人たちにおにぎりを勧めてくれた姿がありありと浮かんでくる。
今年は私たちと入れ違いで日本に帰国すると聞いていたけれど、8月末にはまたパリでアペロしようねとみづきちゃんと話していた。
(注・アペロとはみづきちゃんいわく、ぼんやり食べたり飲んだりすること)


エッセンに着いたのは夜遅く。
みづきちゃんとユッキーのお母さんと街へ出てビールを飲み、ユッキーが出演していたヴァリエテ・GOPの彼の部屋で少し食事をする。
ショウの最後の分まできちんとまとめられたヨーヨーの紐たちが目に焼きつく。



翌日、ケルンに宿泊するという二人に便乗させてもらうことになる。



昨年、ユッキーはこの劇場SENFTOPFCHEN THEATERに出演していたそう。
その時のショウの名前は「Cirque de tuque」、フランス語とドイツ語の言葉遊びで「ゲイのサーカス」という意味らしい。
このショウのことはみづきちゃんの話やユッキーのブログからよく覚えていたのだけれど、まさかこんな形でこの劇場に来るとは。
「Cirque de tuque」 のオーガナイザーであるシュテファンが、今回ケルンでの宿泊施設を手配してくれたのだと言う。



ライン川にかかる橋は恋人たちの鍵でいっぱい。
連想するのはどうしても江の島。

ホテルは中心部から少し離れているとは言え、ビジネスマンがたくさん宿泊している四つ星ホテル。
「Cirque de tuque」  の期間中、ユッキーもここに泊まっていたそうだ。
ホテルに着いてお母さんはしばらく仮眠を取り、みづきちゃんはPCで様々な作業を、私たちは部屋の片隅にただただ座っている。

夜になると、ユッキーの友人で写真家のアチュールが車でやって来た。



アチュールの車はメルセデスベンツのオープンカー。
生まれて初めてのオープンカーに、まさかこんなタイミングで。



ケルンの街を走り抜けアチュールが連れて行ってくれたのは、高層スカイラウンジバー。
ライトアップされた大聖堂などを見ながら、ピニャコラーダやキューバリバーを飲む。
こうして行動だけ並べると、女四人まるでバカンスのよう。
オープンカーで浴びる風もスカイラウンジで当たる夜風も、とても心地いい。
そして、頭のどこかがずっとひどく痺れている。
みづきちゃんとお母さんの痺れは如何ほどだろう。


次の日は、ようやくユッキーに会える日。



ユッキヨーヨー・ラストショー。
アチュールが作ってくれたこのチラシを、みづきちゃんは「ユッキーらしい!」と言ってとても気に入っていた。

こんな時に何を着ればいいものか、ちょうど持っていた黒いワンピースをひっつかんでは来たものの足元はスニーカーしかないし…と朝ひそかに悩んでいたら、みづきちゃんがきれいな薄桃色のワンピースを用意していたので、普通の服に着替えることにした。
お母さんが、丁寧にそのワンピースにアイロンをかけていた。

迎えに来てくれたアチュールのオープンカー(さすがにこの日は屋根は開けない)で、デュッセルドルフの斎場へ。

何もかもがあまりに急なことだったにも関わらず、「Cirque de tuque」の出演者さんたち、パリから駆け付けたユッキーのエージェンシーのハトさん、ベルリンからやって来たジャグラーのまろさん、GOPのショウを観られたというお客さんのご夫妻が、ユッキーに会いに来ていた。
みづきちゃんが当日の車の中でまで一生懸命編集していたユッキーのスライドショーが流れる。
スライドショーのBGMは、ユッキーのお気に入りの曲たち。
漫画「ジョジョの奇妙な冒険」が大好きなユッキーは、ジョジョに出てくる石仮面を料理で作ったり、至るところで様々な人にジョジョのポーズ(ジョジョ立ち)をさせて写真を撮ったりしている。
ついつい笑ってしまう写真たち。
そしてユッキーは、とても穏やかに眠っていた。
衣裳をまとい地下足袋を履いて、これまで出演したショウのポスターやジョジョのカレンダーに囲まれて、手には銀色で赤く光るいつものヨーヨーを持って、深く静かに眠っていた。
「向こうで仕事が出来ないと困るからね」と、みづきちゃんはヨーヨーの紐や名刺も持たせてあげる。

ラストショーは2時までの予定だったが斎場が閉まるまでは居てもいいということになり、ユッキーを囲みながらゆっくりと皆で話す。
「こんなにユッキーの顔ちゃんと見たの初めてやわ。贅沢やわ。」とハトさん。
長い時間ただただユッキーを囲んで皆が居る、それは確かに滅多にないような時間だった。


ユッキートリビュート、斎場の前でジョジョ立ち記念撮影。
なんと用意のいいことか、三脚とカメラ用リモコンを持ってきていたまろさんのおかげで撮ることが出来た一枚。



「お腹すいたでしょう。何か食べにいこう。」というお母さんの一声で斎場を後にし、近くの豚肉押しなレストランへ。
ドイツ名物シュニッツェル、平たく言えばドイツ版トンカツ。
トンカツと言えども日本のものよりさっぱりしているので食べやすい。

電車の時間からハトさんは先に発ち、私たち四人と少し遅い電車だったまろさんが残った。
ゆっくりと駅に向かおうとしたところ、「この近くに良い河があるので見に行きませんか」とまろさん。
そういえばまろさんは昼一緒に街に出た際も、「ここから少し、ほんの少しだけ歩いたところに良い河があるんですよ」としきりに河をお勧めしていた。
そんなに言うなら…と足を運ぶと、ごちゃごちゃした街中から数分のところに、広く開けた河が現れた。
遠い対岸には遊園地。



河とみづきちゃん。
薄桃色のワンピースが河の反射に透けてとても綺麗だったことを、くっきりと覚えている。
「そういえば黒っぽい服じゃなきゃいけなかったのかな。お葬式じゃないと思ってたから、全然考えてなかった。」と言った彼女に、「きれいにしていてくれた方がユッキーは嬉しいからいいのよ。」とお母さんは答えた。

デュッセルドルフから電車でケルンへ戻り、みづきちゃんと村田さんと三人でホテルのスパへ。
足湯につかりながらサウナに入りながら、尽きることのない話をする。
なんだか修学旅行みたいだな、と思う。




翌日朝、再びデュッセルドルフ。
緑に溢れた広く穏やかな墓地で、ユッキーは荼毘に付されました。



園内には花が咲き誇りとても美しい。
みづきちゃん、お母さん、そして私たち二人とアチュールで、最後のお別れ。
光に満ちたやさしい朝だった。

見送った後、飛行機の都合でどうしても今日帰らなければならないお母さんを送りに空港へ向かう。
一人で帰ることになるお母さんをケアしてもらおうと、みづきちゃんは何人も係員をつかまえて必死に訴える。
「大丈夫だよ!なんとかなるよ!」と明るく笑い、力強く何度も手を振りながらお母さんは一足先に日本へと向かっていった。

ユッキーと一緒に帰るため次の日に便を変更したみづきちゃんと、私たちが後に残る。
この日はアチュールがケルンの自宅に泊めてくれるとのこと。
屋根を開けたオープンカーで再び走り出すと、「この近くに湖があるから行ってみよう」とアチュール。



どうやらここは、いくつかの湖からなるウォータースポーツ施設のよう。
子供たちが次々に水上スキーに挑んでは放り出されている。
水着を着ていないのは私たちくらいだが、アウトドアを楽しむような気分では残念ながらない。
というか、三人ともアウトドアなタイプではもともとない。
写真家の性ゆえか、なぜかアチュールに背景を細かく指定されて撮影されたりした後、日を浴びた疲れもあり車でうたた寝。
起きると、ケルンのダウンタウンに到着していた。

「二時間したら迎えに来るから、ダウンタウンで遊んだりお茶をしているといい。」とアチュール。
そう言えば私たちは取るものもとりあえずここまで飛んできてしまったため、身に付けるものに非常に困窮していた。
何はともあれH&Mを探して街中をうろうろ。
無事発見し、なるべく明るい色の新しい下着を購入。
みづきちゃんは、これまた明るいピンク色のワンピースを購入。
アチュールと合流して、夕飯の買い出しにスーパーマーケットへ。
ユッキーが学んだサーカス学校CNACがシャンパーニュにあるということにちなんで、この夜はシャンパンを飲むことにする。



宿泊させてもらう部屋をいそいそ整えてくれた後、いそいそスパゲッティ・ボロネーゼを作ってくれるアチュール。
「何も手伝いはいらないよ!」とのお言葉にありがたく乗っかって、私たちはシャワーを浴びて新しい服に着替えて再び化粧をする。
下着は新しくなったけれど上に着るものの代わりがないなと思っていたら、みづきちゃんがカットソーをお下がりしてくれた。
同じく代わりがなかった村田さんは、ユッキーのTシャツをお下がりしてもらう。



ヨーヨーストア リワインドさん、譲り受けました。




アチュールは途中で茹で時間を忘れてしまったらしく鍋から溢れださんばかりにパスタが膨らんでいたけれど、給食みたいでほっとする味だった。
あとからシュテファンもやってくる。



もうお腹いっぱいなのに、山盛り食べさせられるシュテファン。



もちろん最後はお決まり、がっつりデザート。
アイスクリームにたっぷりのホイップクリーム、そこにサワーチェリーとシナモンとこれまたたっぷりのエッグリキュール。
どぼどぼとかけられたエッグリキュールが普通にアルコールなので、なかなか強烈。



シャンパンのことをすっかり忘れてたアチュールのせいでシャーベット状態になってしまったモエのロゼが瓶から吹き出す。
ぎゃあぎゃあ大騒ぎしながらグラスに受け止め、「ユッキーありがとう!」と言ってみんなで飲む。
ドイツに来てからずっとお酒を飲まなかったみづきちゃんも、この日はシャンパンを2杯口にした。


遅くまで続くパーティーの、すっかり暗くなったテラスの外を見つめていると、闇の中で踊るふたつのヨーヨーがふと視界の端に映るような気がしてならない。
光を紡ぐようなあの美しい軌跡が、ふいに現れるような気がしてならない。
あんなに綺麗なものがもうここにないなんて、どうしてなのだろう。


翌朝、ユッキーと一緒にみづきちゃんは日本へ帰って行った。
空港の窓ガラスに張り付いて誰かを見送ったのなんて初めて。
昨日買ったピンク色の新しいワンピースを着て、ひとりで全部を持って、真っ直ぐに歩いて行く彼女を消えるまで見送った。

日本語ですら大変なさまざまな手続きを、みづきちゃんは英語で、しかも慣れないドイツでやり通した。
次から次に起こる予測不可能奇想天外なハプニングも、「だんだん慣れてきました」と言って放った彼女。
小柄でふわふわしていて子猫のような彼女の体に詰まっている強靭さに感嘆し続けた日々だった。

この五日間、私たちはよく笑ったと思う。
引きちぎれそうなのと同じくらい、たくさんたくさん笑ったのだと思う。 
激しい風に吹かれ続けながら一本の杭を必至にみんなで掴んでいたような五日間だった。 



YukkiYOYOのご冥福を心からお祈りすると共に、これまでに見せてくれた素晴らしいパフォーマンスに、心からの感謝と拍手を送ります。
どうぞゆっくり眠ってねと言いたいところだけれども、本当に結構いろいろと大変だったのだから、最愛の人たちのことを、これから先どうかしっかりと見守っていてください。
ユッキーのショウをまた観られるのだと思えば、あちら側に行く楽しみも大分増えるような気がしています。
26年間、本当に本当にお疲れさま。
会ったらまた、アペロをしようね。