私しか、このアタマとカラダとココロを知ることが出来ないのだから、もっと有効に可能性を拡げられる方向で捉えられたら
楽しいよね(≧∇≦)って思うの。
前回の記事の
「苦しみたかったら、とことん苦しんだらいい」
は、
自覚は無かったけど、それを選んだのは私。
そんなトキを越えて、今思うのは、やっぱり、どれも間違いは無かったなって。
本当に、どんなことも何があっても大丈夫。
そして、救わなきゃならない人なんていない。
あの時の苦しかった私も誰かに救われたわけじゃないし。
苦しくて辛い…が続くなら、
それは、何かを変えるときが来たのかも。
少しずつかもしれないけど、現実を違う捉え方が出来るようになったら、
チカラを抜いて楽に生きる方向に変わっていける。
ワケも解らず苦しかった(その当時はね)経験があるから、今のチカラの抜き方や身の回りにあるしあわせに気づけるようになったんだよね、きっと。
誰かに救われたわけじゃない…っていうのも、ちょっと語弊がある。
これも自覚していなかったけど、助けようとしてくれた人や見守ってくれた人がいたおかげなのは解ってるの。
でも、やっぱり、
「変わろう!」って自分で決めなきゃ。
あの時、私が決めなければ、未だにそのことにも気づけてないから。
まずは、意図(決める)することが、先だと思う。
揺らいでもいいの。
また、意図し直したらいいから。
何度でも。
意図するチカラは、本当にすごい‼︎
「私は、私の人生を自分で選びます。」
ってことだから。
そして、1人でやる作業は、それだけでいいと思ってる。
あとは、応援してもらっても、手伝ってもらっても、その中から何を選び取るかは自分で決めるワケだから、何かや人に依存することは無くなる。
だから、素直に助けてほしい、手伝ってほしいって言える。
無駄に入りすぎてたチカラを抜いて、自分の出来るところから始めたらいい。
人も自分も責めなくていいと知ること。
すぐには、変化が解らなくても大丈夫。
気づかない場所からもう変化は始まってるから、自分を信頼して。
本当に正解なんてないし、間違いもない。
どんなことも、良い悪いはない。
というか、
どんなことも、良い面、悪い面がある。
捉え方だから。
だから、ココロが動くこと、ココロが軽くなる方向を信頼して進めたらなぁって思う。
私も、イヤになること、不安になること、
感情が揺れ動いてどうにも出来ないこと、多々あります。
感情が揺れ動く、そのこと自体に豊かさを感じるようになりました。
感情の波が引いたあとの穏やかさや静けさに、しあわせを感じるようになりました。
今は、いつも通過点だから、
これからどれだけ、このアタマとカラダとココロから、まだ気づいていない「わたし」を知ることができるだろう…って思うと、嬉しくなるし楽しい。
生きるって、結局、自分をどれだけ知ることが出来るか の旅なんだなぁと思います。