自分の可能性を信じるということ | MOMO

MOMO

MINIMAL × ORGANIC



「自分の根性、運命、人生、カルマ…...何でもいい、とにかく信じること」
スティーブジョブスは、スタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチの中でそう言った。






私は、神さまも仏さまも運命も、どちらかと言えば信じているほうだけど、毎日こつこつ目標に向かって歩いていけば、いつかは山頂にたどり着くというコトを日々信じて生きている気がする。


天才にあこがれる典型的な努力型人間であり、
コツコツ教の敬虔な信者である。


人は、その先にたどり着きたいゴールがあるときに努力するけれど、
MOMOの場合、努力の先にある興味に対象は、学生のときから大分変わったと思う。

学生の頃は、試験というもので生活が埋め尽くされていたから、努力を競走社会でとにかく生き残るために使っていた。

競走は、一定の評価軸の中で、人の成長を促すことができるという点でとても優れた仕組みだ。
勝者を頂点とするヒエラルキーな世界のなかで、向かうゴールは明確。だから、お互い切磋琢磨して競走に勝つために努力する。

でも、人の生きる目的が幸せになることであるとしたら、競走とうものにはいろいろ問題がある。

競走の中での勝ち負けは、人間がつくった一定のルール内での出来事にすぎないのに、競走をずっと続けていると、その世界では勝った人が偉くて、負けた人は努力が足りないダメな人みたいな雰囲気になってくる。

MOMOは、どうもこれが苦手なのだ(´Д`;)






お正月にやるスゴロクくらいの感覚でやっているゲームならいいけれど、これがそう簡単にやめることのできない現実世界の競走となると、大変である。

そこでの勝ち負けは、人生やすべての物事のほんの一部を表現したものにすぎないのに、ずっと競走していると、だんだんそれが全てみたいなことになってくる。 

一面的でごく限られた世界での基準や評価が、森羅万象が複雑に絡み合ったこの世の縮図であるはずがないのに、一所懸命やればやるほど、よく見えなくる。



ゲームの中で勝てない人が面白くない思いをし続けると、気力を失くすこともあるだろうし、
ゲームの中で勝つといい気分になるけれど、競走に勝つのが面白いからそれをやっているのか、本当に好きだからやっているのか分からなくなりやすい。




そんなことを感じるようになってからは、「競走によって個人を成長させるというのが今まで教わってきた世界だけど、それは一つの考え方にすぎなくて、むしろ、個々人がそれぞれの文脈、カタチで自分を自由に表現しているという世界の方が面白いし、そんな世界であってほしい」と考えるようになった。


自分がこういう風にありたいと思うイメージに向かって、自分の内側からあふれてくるものをエネルギーに自由に進んでいく、活き活きした世界。

もちろん、そんな世界を願っていても、物事は思うようには進まないことの方が多い。
でも、日々工夫を重ね続け、自分という素材を最大に活かす方法を探る。
その過程で、自分のちょっとした成長を感じられるとき、それはシンプルにとても嬉しい。

それが今はコツコツと何かを続ける原動力になっている気がする。

そして、そのコツコツが自分の可能性を広げ、いつかとんでもないところに連れて行ってくれる。 それがコツコツ教の信じるところである。






実は今、デンマーク留学中に描いていたアンデルセンの絵本をきちんと増刷して出版しようと、描き直している。

本当は、デンマークから帰国したらチャキチャキと起業の準備を進めて、来年の春には会社の箱を作るくらいのタイムスパンを考えていたのだけど、どうしても先に納得する絵本を完成させたい。

前に絵本をつくったときにFacebookでシェアしたら、「ぜひ欲しい」というありがたい声をいただき、早くその人たちの手に届けたいというのが一番の理由。

でも、もう一つ理由があって、これから起業して苦労が続いて自信をなくすときが来るだろうし、自分の思い通りにことが運ばないときに誰かに自分の考えを押し付けて、相手の持っている可能性を信じられなくなることがたくさんあると思う。

そんなときに、自分の原点に戻ってくるための絵本を、自分のために描いておきたい。

ろうそくの絵本のお話は、アンデルセンが人の内に眠る無限の可能性をを信じることを描いたお話。 

起業を決意して弁護士をやめたとき六法は捨ててしまったから、今度はこの絵本を自分の憲法にしようと思う。


<スティーブ・ジョブスのスピーチ>