MOMOです^^
3月は結婚記念日だったので、結婚式を挙げた軽井沢の石の教会に、旅行に行ってきました~
石の教会の中は、石でつくられたオーガニックなシェイプにつつまれるような天井、その中に緑があしらわれて、どっしりと天然木でつくられた椅子が並んでいます。
すごく素敵な空間。
たまたまネットで知って、見学にも行かないまま式の予約したのだったけど、石の教会にして本当によかったなあと改めて思いました。
実は式当日は、朝から大雨で
式の間は神父さん越しに雷の光がピカピカ見えて
あまりの天気に、もはや笑ってしまいそうになりましたが、
誓いの言葉が終わった頃に晴れ出して、なんとか無事に外でライスシャワーができました
、、、、雨降って地固まるというコトにしておこう。。。
<教会の夜の姿>
教会建築の美しさに一目惚れしてしまったのだけど、私はその背景にある思想が好きです。
石の教会は、内村鑑三というキリスト教の思想家の記念館として建てられたもので、彼は無教会主義というものを唱えました。
「祈るとき、その場所が教会になる」
教会は祈りの場であって、建物のことではない。
私たちがこころから祈ることができるすべての場所が、
真の意味での教会であるという思想だそうです。
この思想を、建築が自然の一部になったかのようなオーガニック建築により蘇られたのが内村鑑三記念館=石の教会。
私はキリスト教の詳しいことは全く分からないのですが、この説明をはじめて聞いたとき、前にデンマーク留学記の中で紹介したグルントヴィのことを思い出しました。
グルントヴィはホイスコーレという教育制度を考えた人で、キリスト教の牧師さんだったのですが、教義や格式張った儀式を嫌い、「本当の信仰は祈る人々の生きた言葉の中にある」と言ったのです。
世の中というものは、教義やら規則やら行動様式というものがたくさんあります。 教義もルールも、誕生したその瞬間は、普遍的なものであったけれど、時間が経つにつれて、カタチだけが残って真実から離れていく。
宗教に限らず、そういうことって何かホント多いな~
と日々思っていたので、
キリスト教のことは良くわからないけど、
「本当の信仰は祈る人々の生きた言葉の中にある」というのは、
真実のように思えました
だから、内村鑑三の「祈るとき、その場所が教会になる」という言葉も、スッと入ってきたのです。
<軽井沢の見晴台からの景色>
社会に出る前は、教科書の中に答えが書いてあると思っていたけれど、
社会に出てからは、教科書的な思考体系の中に真実はなくて、
自然をながめて心が空っぽになる瞬間とか、
分かり合えないと思っていた誰かが自分に心を開いてくれる瞬間とか、
失敗しちゃった自分をしょうがないヤツだなと思える瞬間とか、
そういう心地よい生きたエネルギーが、
自分の中を通り過ぎていくことが幸せだなと感じるようになりました。
派手でも豪華でもないし、
人に話したところで、「へ~。。。」って感じの出来事に過ぎないのですが、
そういう瞬間が多ければ多いほど、自由で力強い自分が内側で育っているような感じがするのです。
筋肉で例えるとインナーマッスルみたいなものなのでしょうか。
派手じゃないけど、しなやかで柔軟性のある強さみたいな
なんか、良くわからない話になってしまったけど
石の教会、観光におすすめです♪
普通に見学もできるので、軽井沢に行った際には遊びに行ってみて下さい^^
※ちなみに式を挙げた後に知ったのですが、内村鑑三もデンマークという国にとても注目していて、明治時代に「デンマルク国の話」という講演を行い、日本でデンマークブームの火付け役になったそうです。
石の教会とデンマーク。
不思議なご縁を感じます
内村鑑三の著作
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