「シン・ゴジラ」のリアリティに於いて「蒲田のあいつ」が果たした役割【ネタバレあり】 | ムッシュ速報(Theムッシュビ♂ト公式ブログ)
「シン・ゴジラ」のリアリティは、官公庁への徹底した取材により、「巨大不明生物出現への対処」のプロセスを綿密に描いたことに裏付けられている。そのことは、宣伝文句のようにメディアやレビューに載っていることであり、疑いはない。

しかし、ここでは、そういったこととは違う観点でリアリティを裏付ける存在、「ゴジラ第2形態」(通称「蒲田のあいつ」)について考えてみたい。

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全長は120mと公式に設定されているが、体高は公式には公表されていない。しかし、画面に映っている自動車などとの比較から概ね20〜30m前後と推定される。この体高がリアリティのポイント①だ。自分の生活圏に体高30mの怪獣が現れた映像は想像しやすい。家から出たところの、毎日の通勤通学の道に現れてもおかしくないと思う。身長100mの怪獣だと高層ビルが近くになければ、イメージが湧きにくいのだ。

次のリアリティのポイントは、ゴジラ第2形態の姿勢と動きだ。前屈姿勢なので自分の目前に顔が来るので、生理的に「食べられる!」など、本能的な危険を感じさせる。それと、時速13kmという自転車並みの移動速度も本能的に怖い。もっと遅ければこっちに来る前に避けられると思うし、もっと速ければあっと言う間に通り過ぎるのではと感じる。そして、這うような動きは、直立して歩く動きや空を飛ぶに比べて予想が付きにくいという感じがして怖い。人間側に危機回避を予想しにくいと思わせることは生理的恐怖に繋がる。

もう一つのポイントは、全体のデザイン、とりわけ顔の造形だ。ゴジラ第2形態は、決してかっこよくない。成田亨が礎を作り、円谷プロが広めた「キャラクターとしてのかっこいい怪獣」でもないし、ハリウッドで作られた「リアルだけどスタイリッシュなモンスター」でもない。魚類や両生類の生々しさを持つ、キャラクタライズされてない「巨大不明生物」である(ネットを中心に「かわいい」とも言われて、ある意味ではキャラクタライズされているが、その文脈も今までのモンスターや怪獣の人気とは少し違う気がする)。
ポイントは、「目」と「口」と「エラ」のデザインだろう。魚類のような目は、コミュニケーションの不在を思わせる。この目には意思や感情が感じられない。円谷怪獣の多くは愛敬のある目だし、ハリウッドモンスターの目の多くは「かっこいい攻撃性」のようなものを感じさせるが、ゴジラ第2形態の目にはそれがない。そして、だらしなく開いていて、笑っているようにも見える。エラから垂れる液体は「臭そう」という不快感(生魚のような)をもたらす。

こうして見ると、ゴジラ第2形態は、生理的嫌悪の塊のような設定や挙動、デザインを徹底して作られたように思えるのだが、この第2形態が我々観客と「巨大不明生物」とのファーストコンタクトだ(初登場シーンは4回目を鑑賞したときでもぞっとした!)そして、そこで観客は、この映画に出てくるものは、パブリックイメージとしての「怪獣」や「モンスター」ではないと感じて、「虚構の中の怪獣」のイメージをリセットされる。そこが導線になっているので、第3形態→第4形態と変態して行ったときもそれをリアルに感じるのではないだろうか。

シン・ゴジラは、ゴジラがスケールアップするのに比例して観客が感じるリアルな恐怖がスケールアップしていく映画だと思う。第2形態出現時は「自分の生命や自分が日常的に歩いている町やそこにあるクルマが壊される」というところから始まり、それが第4形態との攻防では「日本という国、いや人類が滅びる」というところに至る。そのプロセスに於ける舞台設定も巧みで、最初は下町である蒲田から始まり、都心に近づく北品川駅付近、そして最後の攻防は東京駅付近である。ゴジラのスケールアップと舞台のスケールアップを比例させ、観客のリアルな恐怖をスケールアップさせていくという手法に於いて、導入という重要な役割を担ったゴジラ第2形態は、この映画のリアリティを語る上でなくてはならない存在の一つであろう。

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