村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

読書は、自分の考えてきたことの確認作業でもある。

ハッとしたり、納得したり、共感したり…

特に、内田樹さんの新刊は、その度合いが高かった。

マーキングの箇所も、多かった気がする。

 

『だからあれほど言ったのに』というタイトルにも惹かれたが、

このタイトルは、まえがきを書きながら決まったようだ。

不自由で、貧しく、生きづらい…この国の不出来なシステムを
どう思うのか、ウチダ流「日本人論」だ。
新自由主義の迷走ぶり、経済格差や税の不均衡、少子高齢化、

レベルの低い政治、大手企業の不祥事など、問題山積。

社会全体に諦観が蔓延している。だからあれほど言ったのに…。

 

内田さんは「日本社会から大人が消えつつある」と嘆く。

子どもの知性的・感情的成熟を支援出来る大人がいない。

内田さんは「日本政府は、アメリカに徹底的に追随している」と憂える。

安全保障戦略で、アメリカから言われた数字をそのまま腹話術人形のように繰り返しているだけだ。トマホークもF35戦闘機も、アメリカで使い物にならなくなったものを購入させられている。時の政権は、どこに向かうかも分からず舵を切っている。不良在庫を高値で買ってくれる政権は、アメリカにとって使い勝手のよい存在なのだ。

政治とメディアのの劣化は目を覆うばかり。経済は衰退局面を転がり落ち、教育と医療にも希望が見られない。「起死回生の大博打」と「とらぬ狸の皮算用」ばかりが横行する。

人口減少対策の「都市集中」「地方消滅」シナリオは大いに疑問だ。

学校の価値観が一律で、子どもを定型に押し込め、テストの点数で格付けする冷酷な仕組みが、子どもたちを傷つけていると心配する。子どもたちに敬意を持つべきだ。

学ぶことによって、語彙が変わり、表情が変わり、声が変わり、立ち居振る舞いが変わる。学校教育とは、子どもが「連続的に別人になる」ことを支援することだ。教師は、「自己刷新のプロセス」に導く手伝いをするのである。

 

自分の知らないことが、いかに多いことかと知らされるのは図書館だ。

おのれの人生と、おのれの知の有限を思い知る。蔵書のほんの一部にしか触れられず、ものを知らないまま人生を終えるのだろう。

知的であるということは、無限の知に対する礼儀正しさ、慎ましさと言っていい。

この内田さんの考え、激しく同感共感した。

いま、ボクは、有限の時間の中で、本を読みながら無限の広がりを楽しんでいる。

 

来場者感想アンケートから。

 

●ひとこと、ひとことが素晴らしかったです。心に沁みました。

●勇気と元気をいっぱいいただきました。

●加藤さんの世界観、歴史観、歌に対する謙虚な気持ちに触れることが出来ました。

●百万本のバラの数奇な歴史を知り、受け継がれた想いに心動かされました。

●声、顔、姿、すべて美しく感激しました。

●加藤さんの人間的な大きさ深さを間近で感じられました。

●記憶と知識の素晴らしさに呑み込まれました。

●運命の旗のピンが1本1本立っていて、その目印に導かれているように感じました。

●あたなと私、一対一の繋がりが大切。

●分断の解決は、自分自身の課題でもあったので、とても心深く入り、考えることが出来ました。

●情熱とエネルギーに圧倒されました。

 歌は人の想いで国境を超えていくという話が心を撃ちました。

●いつまでも人々への大きな愛と青春の情熱を持ち続けておられる姿に感動しました。

●学生時代も熱い気持ちを80歳の今も持ち続ける姿に刺激を受けました。

●思いのまま、自由に自然に、そのまま生きてください。

●今年70歳になりますが、まだまだ頑張ろうと勇気をいただきました。

●100歳まで生きるってカッコイイというお母様ステキです。


 

加藤登紀子さんを招いての寺子屋に、およそ100人の方が来場した。

その中に、横田南嶺さん、吉元由美さん、榎木孝明さん、高野登さん、木村まさ子さん、これまでのゲストが5人も来てくださった。

来場したみなさんの多くが、SNSに感想を書いてくださっている。

 

中でも、円覚寺管長の横田南嶺さんは、克明にメモを取られ、長文の感想を書かれている。それを一部紹介する。

詳細は、5月9日のYouTube配信「管長日記」で。

 

加藤さんは、さすがの村上さんもたじろぐような迫力でした。
時代を生きた人だと感じました。
私などのように戦後の平和な時代に産まれた者にははかりしれない深さを感じました。底知れない深淵をのぞいたような気持ちでした。

 

南嶺さんの好きな坂村真民の詩に「一字一輪」というのがあります。

「字は一字でいい 一字にこもる力を知れ

 花は一輪でいい 一輪にこもる命を知れ」

「花は一輪でいい」、その対極にあるように思うのが、「百万本のバラ」ではないかと思うのです。

いろんな会話がある中で、ふと加藤さんが「バラは一本でいいの」とつぶやかれたのが心に残りました。

数え切れないほど「百万本のバラ」を歌われた加藤さんが「バラは一本でいいの」と言われたのが最も印象的でした。

重くて深い一輪なのです。

四十年近く前の修行僧の耳になぜ「百万本のバラ」の歌が残っていたのか、その歌に込められた深い哀愁の一端を知って、少しだけ分かった気がしたのでした。

 

作詞家の吉元由美さんの感想。

「百万本のバラ」の原曲は、大国に翻弄されたラトビアの嘆きを歌った子守唄でしたが、1982年にロシアに持ち込まれロマンティックな愛を歌った歌詞がつけられたそう。グルジア(現ジョージア)の画家が女優に恋をし、彼女の泊まっているホテルの前の広場をバラで埋め尽くしたという逸話に基づいた物語が「百万本のバラ」という歌になりました。

圧倒的な物語。

すべてではないけれど、歌には圧倒的な物語が必要なのだ。ガツンと、拳で胸の奥を叩かれたよう。それがフィクションであれ、ノンフィクションであれ、人間の心の芯であるとか、生きることであるとか、その熱さや冷たさをこの手に感じること。うまく言葉にできないけれど、その勇気のようなものが必要なのだと。生ぬるく生きている自分を恥じてしまった。

 

参加した一人から、こんな嬉しいメールが届いた。

素晴らしい時間でした。 加藤様は神様から選ばれた使者なのだと感じてしまいました。 お母様のお話しも泣けました。 

加藤さんは、生きる事に貪欲で逞しくて優しいお人柄の方だと確信でき嬉しかったです。 平和への思いにも心から感銘いたしました。 震える瞬間が何度もありました。
引き出される村上様にも あらためて尊敬の気持ちを募らせました。 加藤様にとっても貴重なお時間だったのではと生意気ながら感じました。
介護が始まってしまったのでよりタイトになってますが、なるべく寺子屋には参加しないと人生、損してしまうなと確信致しました。
学び続けて、年齢を言い訳にしない素敵な先輩を目の前にできた事で、怖がらず年齢を重ねてゆきます。 そして、真剣に役立てるよう努力してまいります。

                   (参加者の感想、さらに次回につづく)

 

横田南嶺さんと

木村まさ子さん、榎木孝明さんと

入田直子さんと

吉元由美さんと