ムキー | やりようないブログ

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やりようねぇな、と言います。

もう無灯火聖火ランナー!って感じ。

気分はどんなふうにお過ごしでしょうか。

ナンコロはユメユメ収束しませんが、日々少しでも事態が改善の方に、正当な方にと向かって時間が流れていることだけを信じて、足なみしてます。

負けじ〜!



まあそうは言っても接客派遣業務員の余儀ない生活してますから、実を申せ、感染や菌への向き合い方も徐々に麻痺してしまっているところではあります。

家電量販店で、毎日おじさんや住市民とおしゃべりし、確認して、クレジットカードを作らせるような阿修羅の生活がもう2年半になりました。

これは、結局のところ世間と同じ足なみでナンコロに向き合っているものかどうか。

時間と菌の流れと対しながら、負債を返済しながら、借りてきた馬のようになんとかやっています。

ナンコロには打つ手がないにせよ、もうちょっと、脱力が欲しいんです。

もうちょっと、ヨ!わかるか?もうちょっと!な、気もするんです。もうちょっと、ネ!一寸先は法師と闇ってね。


というのにも、法師よろしく、少しずつ夢チャンへの接し方がライトニング(軽量)しているような気がするのです。

それはつまりロックマンXのアイシーペンギーゴのようにクールでもあり、かつ小っちゃいものクラブのように妙に気軽な有り様ではないでしょうか。



あのさ!少し前ですが、東京では7年来の馴染みの親友である金子ちゃんと久々に飲みました。

彼は同い年で故郷も同じ福岡、俳優を志していた(今も)友で、一緒に舞台に出たこともある、東京の宝度合いの高い大切なお連れさんです。

そんな友と話していて、私己(わたしおのれ)から出た言葉がありました。


「夢ある熱い若い人と、同じ気力がもう湧いてこない」


と、出たのです。わたしおのれの口からね。

みっともないことです。自分自身でもあわれな発言だったと衝撃なほど。ザ・令和みっともなTV。7みっともな世代。

それはつまりどういうことなのでしょう。



実はお芝居に移行して仲間を探す中でかれこれ3年ほど、ジモティーという機関に1番、お世話になっているのですが。

最近もね。2624歳の、2人の若い俳優さんとお知り合いになったんだヨ。

26歳の青年のかたとは、出会って約1年。若くから俳優座さんや唐組さんなどの舞台を踏まれた実力者で、台本の推敲も手伝ってもらったり、ベローチェでお茶と意見を交わしたりもし、人柄も信頼できる素敵な仲間です。

24歳の女性の俳優さんは最近お知り合い、普通にお勤めされていたのが突然「表現がしたい」と辞められ、ダンスや演劇の世界に飛び込んだという衝動の熱いかたで、こちらも台本を読んで頂いたりなどしました。

人と鬼のように会っては雲散霧消していく私にとって、とてもありがたい事で、この2人と形を作っていくことが希望になればいいなと、飛べイサミのようにハートを磨くほかないのです。


ところがここで、私に思うことがあります。

2人に共通するのは両人とも『今燃えたぎっている』若い力ということです。

それはまっこと当然なことよなあ。わたしおのれだってその歳の頃には、熱さのかたまりであり。

蝶のように舞い、火の鳥のようにムーピーに助言し。

我王のように苦々しい顔で街を練り歩き。

それはそれは手塚治虫先生の鼻も膨張するほどの熱い年齢がありました。

ところがそれは、もう過ぎ去った魂(たま)の話です。魂(たま)の生活が変われば終わってしまうのです。

憧れのお笑いをユメユメし終わって出たダシのような水を、利用するために舞台を目指そうとしている今の私です。

「アタイこれをやるために東京に来たのではない」であるとか、言わなくても言ってしまうような心が拭えません。

いと悲しいことだと思います。意気込みや生き甲斐は比べれば弱いのでした。いや決して弱くはないのだけど、生活より優先しきれていない。

そういうことですから、推進力があまりにないのではないか。それは虚しくて豆腐のように儚いものです。

彼らが青春まっただ中のところに、給水所の係員のおじさんが混じってしまって、ご迷惑がスタートしようとしている。文字通り身も心も転職することから考えなくてはいけない話です。


きっと毎日ギラギラ昭和の頃だったら、燃える人と会ったら「今やらないで、どうする!いと若いぞ!」と、中森明菜のように発破をかけることができるでしょう。

ところがこないだなど、2人を初めて会わせ、3人で原子力のようにゼロから作っていこう!という会を予定していたのですが、

20時前後しか集まれる時間がなかったとは言え、私が緊急事態宣言とコロナを恐れ中止としてしまいました。

尋常でないほど悲しく「大事な瞬間を逃したのじゃないか」というモツで肚はいっぱいです。

昔だったらナンコロだろうが猫娘だろうが構わずやっていたのだ。

ムキー!!



だもんでそういうところから、金子ちゃんの前で醜発言が出てしまいました。負債のことや今の生活を安定させることを世界の中心にし、怖がりながら穏便に生きる、薄味なおじさんの例です。

一旦生活が安定してしまい、そのまま安定させるモードを味わうと、人間は昔のような温度を「あれはあれだから」となってしまいます。イカンイカン、おじさんが受け入れる物はいつも重いよ。


わたしが思うに「脱力」がないのが今のぷりぷりケツ太郎の原因ではないでしょうか。だって、派遣業務のことを休みの日に「休みだから忘れよう!」と朝から意気込んだり、メモに書くほどの、方向の異常ぶり。そんな事あったかな、アタイの日記に!

ありがたい事に、生き銭を稼ぐ『仕事』以外の私生活は充実しているのでした。飯も食えていれば物も買えるし、会いたい人とも会える。

問題はその今の『仕事』の内容やトリッキーさで、長い東京フリーター生活でダントツに頭を悩まされます。

この派遣業務の苦痛から逃れるには無心で毎日出勤するしかない、向けるは負債、そして惰性や安定を作るためという、嫌すぎて力で安定させる思考。

お酒を飲んで忘れるのと一緒です。この!

とにかく、職場に着いたらネタ帳をシャニ・ムーニー広げ台本作りに向かおうとしています。

おどりゃクソ森、わたしおのれの課題は一杯ではないでしょうか。

今と向き合うのにちょっとだけ豚肉など食べて頑張ろう!

というか仕事変えろよ!



ナンコロの毎日、浴びるほどご自愛していきましょうね。

ご自愛をお金に換えられるような勢いさえある、GW明けの木曜日です。