結弦くんへ・・・ | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

清冽な雪解けの水のようにほとばしる命の煌めき・・・
至高のアスリートにしてアーティスト、
羽生結弦選手を応援しています。

結弦くんへ・・・

 

本当に久しぶりのブログ更新となってしまいました。

今夜触れるのは他でもない、結弦くんからいただいた大切なお知らせを読んで・・・ということになります。

 

このブログをはじめて、かれこれ10年近くになるかと思います。本当にいろいろなことがありました・・・。何があっても、読者の皆さんとここで心をひとつにして結弦くんを応援してきたつもりです。でも、昨夜ほど悲しく辛い夜はありませんでした・・・。

 

きっとほとんどのファンの皆さんが、まるで家族のことのように結弦くんの一人の人としての幸せを願ってきたし、自分のことのように結弦くんの幸せを喜んできたと思います。

 

結弦くんを昔から応援してきたファンの方たちをはじめ、今はプロ転向後に結弦くんが見せてくれた数々の素敵なダンスに心惹かれて、SNSで発信してくださったりするダンサーの男性陣、re_prayで結弦くんが表現したゲームの奥深さに心惹かれて、新たに結弦くんのファンになられた方々・・・本当にファンの裾野はますます広がるばかり・・・

 

そうした皆さんも、今回の出来事に怒りや悲しみを感じ、また同じジャーナリズムの世界に身を置いているというだけで、我がことのように受け取って深く考えていらっしゃる記者さんや写真家の方々もたくさんいらっしゃるし・・・世界中のファンもメディアの皆さんも、この出来事を怒りと悲しみをもって受け止めているようです。私の感じていることは、そうした皆さんが代弁してくださっているので、ここでは書きません・・・。

 

『手放すという愛の形』を結弦くんが決断したことに、その若さでそれを選択したということに、私は大きく心を揺さぶられてしまいました・・・。今夜はそのことを考えています。

 

形は違えど私も若かりし頃、本当に愛しているから手放す、自分ではない、その人の幸せを願うが故に思いを断ち切る・・・という決断をくだしたことがあります。もうウン十年も昔の話ですよ・・・(;^_^A

 

愛する人とは、永遠に添い遂げることはできないもの。いつか死が二人を分かつまで・・・と言いますよね。死というものによって引き裂かれる別離の辛さを決して軽視している訳ではないのです・・・。それはまた別の次元のことなので・・・。

 

ただ・・・こんなにも愛している人が、同じ空のどこかに健やかに生きてくれている・・・会おうと思えば、抱きしめようと思えば、そこにさえ自分が向かえば、それが叶う現実がある。

 

なのに・・・それを手放す、という決断は、喉元をマグマが通り抜けていくような、焦土を裸足で歩いて行くような、本当に本当に辛いものだったのではないかと・・・思います。

 

月日を重ねて築き上げた愛ならばなおのこと、生き地獄のような苦しみを、もしかしたら結弦くんも味わったのか・・・いや、これからも味わっていくのか・・・その決断をしたんだ・・・という、なんとも言えない気持ちになっています。

 

私は『渇愛』という言葉に出会って、ようやくその地獄のような苦しみがどこから来るのかを知りました。きっと結弦くんならもうとっくに知っている言葉だと思います。喉が渇いて水を求めるように・・・一緒にいたい。会いたい。抱きしめたい。

 

結弦くんが書いてくれたお知らせの中で・・・

「このような状況が続いていく可能性と、一時改善されたとしても再びこのような状況になってしまう可能性がある中で、これからの未来を考えたとき、お相手に幸せであってほしい、制限のない幸せでいてほしいという思いから・・・」と書かれた行間に・・・

 

私は涙が思わず涙がこぼれました。

 

「手放したら愛じゃない」なんて言う人もいるかもしれない。そんな浅薄な人生を歩んできた人には言わせておけばいい。

 

手放すというのは・・・究極の愛の形だと、私は今でも思っていますよ。いろいろなことを、様々な状況を考えて、考えて、悩み苦しんで、本当に喉元をマグマが通り抜けていくような究極の決意を、結弦くんは・・・くだしたのだろうと勝手に想像しています。

 

re_prayで結弦くんが見せてくれた「いつか終わる夢」で、私は会場の片隅でずっと泣いていました。一度きりの人生と、何度も選択を変えて繰り返すことのできるゲーム・・・。

 

結弦くん、あなたはその年齢で・・・いったい普通の人の人生を何周ぐらいしてきてしまったのでしょう・・・。あまりにも多くの人々の苦しみや悲しみを受け止め、癒してきたあなただからこそ、できた決断だったのかもしれません。

 

ただ・・・結弦くん。年齢を重ねてきたから気づいたこともあって・・・。愛って本当にいろいろな形があるものなんです。

 

同じ屋根の下に暮らして、家族を作り、共に暮らしていくのも愛ならば・・・

愛する人の幸せを祈りながら、焦土を裸足で歩んでいくのも、形を変えた「愛」なんだろうと思います。

 

そして、本当に思うことは・・・これから三十代、四十代、五十代、六十代・・・年齢を重ねていくにつれて、思いもかけない展開があったりもするものです。

 

結弦くん、結弦くんが未熟だったからなんかじゃありません。他人の幸せを踏みにじって商売になってしまう今の日本の社会がおかしいんです・・・。

 

本当に無力な一ファンですけど、御迷惑にならないことなら何でも結弦くんのためにしたいと思っているし、御迷惑になるようなことは一切しないと決めているし、これからも、どんな時も、応援しています。

 

きっと今日も命を燃やして練習をしているんだろうなあ・・・。

どれほどエネルギーを消耗してしまった中で、さいたまスーパーアリーナであれだけの素晴らしい演技を届けてくれたのだろうと思うと、本当に・・・。

 

結弦くん、生まれてきてくれてありがとう。

神様は、絶対にいらっしゃるから。

全部、見ていらっしゃるから。

 

もうこの件は二度と書きません。

結弦くんに届かないことも百も承知ですが、一ファンの祈りと応援のエネルギーを、このページに刻んでおきます。

 

結弦くん、どんな時も応援してる。

負けんな、結弦くん。

 

(皆さんの他記事へのコメント、何日も読んでいなくてごめんなさい。私もいろいろなことで憔悴してしまっていて・・・。いつもありがたく拝見しています。もう少しお待ちくださいね!)