ふと氣がつくと
椿が咲いていました。
春分の太陽の光が
スマホのカメラに差し込みます。
今日
東京から父のお姉さんが
お墓参りに山梨へ
足腰が弱くなって
もう、何年も生まれ故郷の山梨へは来てませんでした。
やっと会えた
涙の再会🥲
本当に会えて良かった💖
父は87歳
おばは92歳
次もまた会えますように。
おばちゃんが
『みんな元氣か?
あっ、もうきよちゃんだけか』
そう、もうわたしと父だけ。
父が居なくなったら
わたしひとりだ。
わたし達は
ひとりで生まれ
ひとりで死んでいく
OSHOがこう言っている
孤独と沈黙はひとつの体験のふたつの局面、同じコインの両面だ。もし沈黙を体験したければ、自分の完全な孤独の中に入っていかなければならない。それはそこにある。
私たちは独りで生まれ、独りで死んでいく。このふたつの現実のはざまで、私たちは、いっしょなのだという無数の幻想を生みだす——あらゆる種類の関係性、味方と敵、愛と憎しみ、国家、人種、宗教。私たちはひとつの事実——私たちは独りだという事実をただ避けるために、あらゆる種類の幻覚を生みだす。だが、私たちが何をやろうとも、真実は変わりえない。それはそうなのだ。だから、それから逃げようとするのではなく、それを喜ぶのが最良の方法だ。
自分自身の孤独を喜ぶことが、瞑想とは何かのすべてだ。瞑想者とは、私たちは独りで生まれ、独りで死んでゆき、奥深いところで独りで生きていることを知って、自分の孤独に深く飛び込んでいく人のことだ 。だとしたら、この孤独とは何なのかを、なぜ体験しないのか? それは私たちの本質そのもの、私たちの存在そのものだ。
Osho, The Sound of One Hand Clapping, #14 より抜粋
独りであることは、内側に入ることであり、愛は外側に出ることだ。 単独性は息を吸うことであり、愛は息を吐くことだ。どちらかでも止めれば死んでしまう。息をためておくことはできない。息を吐いたままでいることもできない。呼吸はトータルなプロセスだ。そしてトータルなプロセスのなかでは、吸気は呼気と同じくらいに大切だ。愛は呼気だ。単独性は吸気だ。そして、そのようにして魂は生きてゆく。そのようにして人は魂を獲得する。ふたつを受け容れるがいい。けっして選んではならない! 選択せずにふたつを受け容れるがいい。そして呼吸が誘うところならば、どこにでも従って行くがいい。単独性は内面であり、愛は外面だ。
Osho, The Fish in the Sea is Not Thirsty , #2 より抜粋
わたし達は
ひとりで生まれ
ひとりで死んでいく
以前はこの言葉に
すご〜く抵抗するわたしがいた。
いやいやいやそんな事ないし と
なんかね
最近は
そうだなぁ って
生まれる時
オギャーと息を吐き
人間の愛の中に入っていく
そして
死ぬ時
息をひきとり
孤独の無限に戻っていく
のかな?
お寺の桜🌸も
花咲きはじめてました。
🌟やさしいヨガ 🌟
参加費1500円