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あかるくずぶとく

関西にて役者として活動中、中嶋久美子(キャパシティせまめ ユニットまいあがれ)のブログです。
活動のご報告、日々のこと。書き綴ります。


よく考えたら楽しみに観にきてくださったお客様も読むかもしれないというのに、「めんどくさい」を連呼して本当に申し訳ありませんでした。


しかしかの宮崎駿も「めんどくさい、めんどくさい」言いながらアニメを作っているのでどうぞご容赦ください。


手のかかることは視点をかえれば大抵はめんどくさいのです。


めんどくさくない演劇をしよう!と、目標をかかげて取り組んだ「SPR+版 次の場所までさようなら。」


①稽古は長期スパンで詰め込まない。

②稽古場の雰囲気は楽しく。

③本番前にとんでもない緊張をしない。


そういえば。

今回の「演出•bloombomb」とはどこのどいつやねん、とお思いになった方もいらっしゃるでしょう。


そもそもこの作品の演出をつけてくれたのは、泉寛介さん(baghdad cafe'

SPR23+の出演が決まった(決めた)時点でご相談しましたがお仕事の関係で今回はノータッチということになり。

しかし基本的なことはこれまでの演出を踏襲したい。

今回稽古を見てくれるのは二朗さんだ。

じゃあ演出二朗松田なのか。

それはなんかちょっと違う。

二朗さんもちょっと嫌そうだった。


そこで私が昔に劇団をやめ、フリーになった時点で作ったものの、一度も稼働していない1人ユニットの名前を引っ張り出してきた次第です。

ところが今回の私のカッコ内クレジットは米山真理とのふたりユニット(まいあがれ)がつけられており。


(これに関してはいつか2人芝居「なっぽん」を札幌でやるぞ、という願いが込められているのですがそれに関してはまだ後ほど)


いよいよほんまに「bloombomb」ってだれやねん。となった次第であります。


あのクレイジーな台本を「なぜか感動するクレイジーな演劇」に仕上げてくれたのは泉寛介という男です。


そんなわけで、滋賀で1人で練習をして、週に一回大阪で二朗さんに見てもらう。

あとは体力作りなど、という感じで比較的余裕を持った稽古スケジュールで。


②稽古場の雰囲気に関しては、大変和やかで。

二朗さんは近年すっかり演出もできる脚本家になられ、的確なアドバイスをそれはそれは柔らかい物言いで伝えてくれたのでモメようがありませんでした。

年齢を重ねて私も心身共に丸くなったのもあったのかもしれません。


唯一ちょっと険悪になったのは、大阪での最終稽古を演プロとダブルブッキングしたのをけっこう直前に打ち明けられたときだけだったと思います。





③の本番準備に関しましては長くなりそうなので


つづく!


とりあえずお礼を書きたかっただけなのになんかこんな長くなって。

でも楽しいのでもう少し書きます。






1月の頃から、「5月は札幌だ‼︎

と稽古に仕事に邁進しておりましたら気がつけば5月が半分過ぎていました。


今作品、今回が10年ぶりの再演という訳ではなくて。

トライアルに参加して、本戦INDEPENDENT に参加したのが2011年。

セレクションツアー参加したのが2016年。

20169月。セレクションツアーの最終日の沖縄でマイクを置くように、チュチュと白いバレエシューズとキラキラ光るティアラも全部置いたはずなのに2023年。


年末に、INDEPENDENTの父、相内さんから

SPR10周年のセレクション作品に次の場所をって声があるけど、やる?」

LINEが来た時点で、私は最後に人前に立ってから一年と半年が過ぎていて。


舞台のお誘いもいくつかは頂いていたものの、

コロナ禍を経て「演劇ってなんのためにあるんだっけ」な思いも相まってしばらく出演は控えておりました。


演劇をやらない日々はそれはそれは楽ちんで。


仕事の後に稽古に行かなくていいし。

稽古や本番のために仕事を休まなくていいし。

オフの日は定期的にやってくるし。


そして昨年春から始めた喫茶店もなかなか面白いし。


演劇なぁ、、、


あー、演劇なぁ。


演劇って、めんどくさいよなぁ。


そんな私の元へ相内さんからの打診。

札幌は、行きたい。

しかし「次の場所」またやるのか。

そもそもやれるのか???


とりあえず裸で鏡の前で、両手をアンオーに上げてみる。


太い。


顔も二重アゴだし、何より表情がもう、「一年半人前に立っていない人の顔」だった。


再チャレンジはすごくすごく大変そうだ。


しかし、今回のLINEは「再チャレンジする気持ち、ある?」

という内容。

そもそもその時点では確定ではないし、ここからまた選考があって他の作品に決まることもあるだろうし。


チャレンジしたいか、どうか、だけでいうと、やりたい。


やりたい。と言う旨をなんやかんや言い訳も連ねて返信をした1ヶ月後。

SPRセレクションでの「次の場所までさようなら。」の上演が決まった知らせがとどいた。


あんなにめんどくさい演劇を、なぜ改めて「やろう」と決めたのか。


出演を断るのは簡単で。

LINEをひとつ、理由を連ねて送ればいいだけで。


一人芝居は比較的予定も自由に組めるし稽古のペースも自分で決められる。

演劇の制作段階での「めんどくさいところ」が割と少ないほうだと思っている。

セリフもたぶんほとんどまだ言える。


この好条件の案件を受けなかったら、わたしもう二度と演劇できないんじゃないかな、と思うとどうもこのお誘いだけは手離せなかったんだと思う。


演劇がめんどくさいのなら、めんどくさくない演劇のやり方をしよう。


そう決めて始めた「次の場所までさようなら。 SPR23+



まだもうちょっと書けそうなので、


つづく!



半年たったところでやはりまだまだ暇なので営業中にブログをかいています。


実家に帰って一年とちょっと。

カフェオープンから半年です。


仕事をとにかく公表しまくるヤツですね。

どうなんでしょう?

でもその方が面白いでしょう。


しかしどこで何が起こるか分からない世の中なので、自分と家族とお店の安全を守るためにお店の名前は書かないでおきますね。


もともとカフェがしたかったのか、と言われると全くそんなこともなく。


とにかく煮詰まっていた状況、環境から抜け出したかったというか逃げ出したというか。


仕事もうまくいかん、演劇もできない、あとめちゃくちゃ太った。

8キロ太った。


全部コロナのせいかと言われたらそうでもないかもしれないんだけど、あの頃のわたしは本当にどうかしてたと思う。

今もどうかしてるかもしれないけれど。


これ以上の一人暮らしは身を滅ぼす、と察知したので大急ぎで滋賀に帰りました。

「いつでも帰っておいで」と言ってくれていた家族には本当に感謝です。


実家で暮らすコツを掴むのにちょっと苦労はしましたが、いまは猫と母を適当にからかいながら楽しくやってます。


カフェのはなし。


半年経つと顔見知りのお客さんも増えてきました。

どこを気に入ってくれたのか分からないけど本当に優しくて良い人たちばかりです。

ありがてぇ。


カフェを始めるにあたって、持ってて良かったな。と思ったのは食べ物に対する愛情くらいです。


美味しいものをたくさん知ってて、色々食べたことがあるってのはとても大事な要素だったなぁ。


あと愛想が良くてよかった。


それ以外のことは今から身につけていけばいいので。


ジャズが好き。ということで年配の男性が多いです。

バブル期を働き抜いて。

当たり前のように結婚して、家庭を持って、働いて、働いて。

退職して。


お店を訪れたおじ(い)さんたちは私に自分語りをしてくれます。

私とジャズ。

私と音楽。

私と仕事。


私は小さい頃からおじいちゃんおばあちゃんの話を聞くのが大得意でしたので、とにかく年配の方の話を聞くのが得意で。


上手に相槌もうてるし

ちょっと派手に笑って、大きく驚いて、同じ話を何回も何回も新鮮に聞いて。


一杯コーヒーを淹れて

リクエストの音楽を流して

小一時間お話を聞いて


それが私の最近の仕事です。