『本気で演りたい』が腑に落ちない | QOOLAND タカギ皓平 オフィシャルブログ

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『本気で演りたい』

って言葉が持つ意味がいまいちピンと来なくてずっと考えていた。自分の腑に落ちる場所を探すのに自問自答を繰り返した。

そもそも『本気で演りたい』とは、
2016/10/15に渋谷にて開催される我々QOOLANDの5周年記念イベントである。

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フライヤーがとってもクール。


このイベントタイトルに決めたのはいいのだが
『いや、別にいつも本気やけどな。』とか思っちゃう始末。自分1人だけ温度感が違うみたいに見えるけど、そんなことはないです。


多分、腑に落ちきらなかったのは『演りたい』の部分。願望系になってるからだろうか。どこか他力本願な表現にも見えてしまって
『もっと、こう、、あるだろう!?』っていう煮え切らない感じが心を悶々とさせる。


そもそも『本気』とは何なんだろうか。
辞書を引けば『真面目な様、真剣な様』とある。

別にいつも真面目だし、音楽に対して真剣だ。
とっくに本気でやっていることだ。

だが、この解釈には少し違和感がある。
その違和感の正体は『本気』というワードが『イベントの表題になっていること』だろう。

上記の『とっくに本気でやっている』の解釈はあくまで自己内の評価に過ぎない。

しかし、表題に『本気で演りたい』と名付けてあるのは、QOOLANDの言う『本気』が受け手側の評価を前提として存在しているからである、と思われる。

『本気』の尺度は人それぞれで、当日のステージをマジでやればそれもまた『本気』ではあるが、果たしてその本気は伝わるのだろうか。

極端な話、会場に遊びに来たお客さんがイチロー、矢沢永吉、安倍晋三といった本気の塊のような人達でも我々は感動を与えられるかどうかなのだ。感動を与えるには、彼らの想像する世界を上回らなければならない。彼らより本気であらねばならない。

いくら『自分本気でやったんすよー!』
って言っても感動が与えられなければ『本気で演りたい』のタイトルが持つ意味は崩れてしまうだろう。


じゃあ、その感動はどうやったら作れるのかと言うと、少なくとも一過性の本気では通用しない。
『その日ライブだから本気出す』では感動はきっと生まれない。
イチローも矢沢永吉も安倍晋三も、日常をタラタラ過ごしてはいないし、自分のステージ・仕事の為にコツコツと積み立てをしているはずだ。

そういった積み立ては必ず仕事に活きる。
我々のようなステージに立つ人間なら、日常の過ごし方がステージに表れる。それが感動を生むのだろう。



結論、我々の『本気で演りたい』とは
『日々の生活を本気で過ごし、その生活全てを1つのステージに捧げる。そして、その本気はお客さんに感動を与えると信じて演奏する。』
ということだ。

こう考えると『本気で演りたい』というタイトルが凄く腑に落ちた。


しかし、自分自身に本気かどうかを問いかけると、まだまだ足りない。10/15のステージの為にやれることが他にも沢山ある。
じゃあ、その為に一生懸命日々を過ごしたい。
タイトルに恥じない人間になってステージに立ちたい。

そして、10/15を本気で演りたい。


当日はそれを皆さんにお見せ出来るよう精進していきます。楽しみに待っていてください。