ラミーの日記
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「その日」からのこと ~2~

さて、母のエンゼルケアの前に担当医(当直医?)から病理解剖もしますか?と聞かれました。

 

最初はお願いしますと言っていたのですが…

三賀日なので開始がその日の夜10時前になるというのです。

先生は「明日(4日)なら、きちんとスタッフも揃いますよ」と言ってくれたのですが、そうなると母を「霊安室」に移さないといけない。

そして葬儀なども後ろ倒しになっていくわけです。

 

それはもう可哀想だからやめようや・という話になりました。

でも死後のレントゲンとCTは撮ってもらうことにし、それによりおよその死因がわかりました。

 

 

そして、エンゼルケアが終わりました。

看護師さんが「70代後半の方なのに、とてもきれいな肌ですよね」と言ってくれました。

別の看護師さんは「お母さま、私と同じ中高の先輩だったんですよ!おなじバスケ部で、先輩後輩だねってお話してくださったんです」と言っていました。

 

毎日ニコニコして声をかけてくれる優しい方でしたよ、とも。

愛想のよさが母の長所でしたからね…。

 

 

 

そうしていると、葬祭場の方が到着しました。

いよいよ病院を後にします。

看護師さんやお医者さん、ほかの病棟スタッフの方が見送ってくださいました。

当たり前ですが、通常の退院とはちがうところから出ていきます。

「ああ、亡くなったんだ」という実感が、これでもかというくらいに湧いてきました。

 

 

車に乗ってから、ぽつりぽつりと母の話をしていると葬祭場の方が

「このままホールに向かってもいいんですが、途中でどこか立ち寄りたい場所があれば寄りますよ」と言ってくれました。

 

じゃあ…自宅マンションの駐車場を一周してもらっていいですか?とお願いをしました。

 

お家に帰りたくて

お家でお正月を迎えたくて

マルコに会いたかったもんね

 

image

 

駐車場に到着した時に「ここでちょっと待っててもらっていいですか?」とお願いをしました。

「最後に猫に会わせたいんです、連れて降ります」というと、

「ぜひそうしてあげましょう!」と言ってくれました。

 

部屋に戻り、マルコをケージに入れて駐車場へ。

すると、顔に書けた白布を取って待っていてくださいました。

 

マルコのことが大好きだった母と、母のことが大好きだったマルコを会わせてあげられました。

 

 

 

 

そして、葬祭場に到着。

このとき…何時だったかなあ…

もう8時前くらいだったような気がします。

 

弟たちも、それぞれの車でついてきてくれていました。

 

正式な(?)お通夜は翌日なので、この日はその前室のような、8畳くらいの和室に通されました。

そこにお布団を敷いて、母を寝かせてくれました。

 

 

そこから、私たちの長い長い二日間が始まります…。

お通夜と葬儀に向けて、いろいろと決めないといけないことや選ばないといけないことがてんこ盛りでした。

でも…

おそらく私史上最高に気が張っていたので、この時点で全く疲れも空腹も感じていませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな変化を見逃さぬよう

ここ最近、なんとなくマルコのおしっこの量が増えたような気がしていました。

システムトイレなので細かい尿量は測れませんが、シートの給水具合が多いんですよね。

 

 

なので、定期的な皮下点滴のときに久しぶりに血液検査をしてもらいました。

ちょっと、腎臓関連の値が悪くなっていますね…。

まだボーダーラインという感じですが。

 

ちょっと気を付けていこうと思います。

 

 

 

いつまでも末っ子気質のマルコですが、この六月に14歳になりますからね…

小さな変化も見逃さないようにしたいです。

 

 

 

そのマルコですが、とにかく甘えん坊度合いが加速しています。

私がソファに座ると、必ずやって来ます。

 

 

 

そして…

常にというわけではないのですが、フードを食ベるときには私を誘うようになりました。

そう、傍にいてくれと言うのです。

 

 

要求鳴きをするので、フードは置いてあるしなあ…と「ここにあるやん?」と誘うと、

ててててっとやって来て、フードを食べます。

中断しそうになるときに声をかけると、そのまま食べ続けます。

 

…これって、一人で食べるのはつまらないからなのか何なのか。

 

でもまあ、気持ちはわかるよ。

私も一人で食べているからね…

一人で食べるご飯は、つまらないよね。

美味しいものも、味がわからないよね。

 

血液検査の結果表にあるように、半年ほどで0.4キロ減少していることもありますので、とにかく食べて欲しいのです。

ちょっとメンドクサイけど(笑)、声をかけて食べてもらえるようにしたいですね。

 

 

 

マルコには、まだまだ傍にいてもらわないと。

 

 

「その日」からのこと ~1~

暖かく…を通り過ぎて初夏のような陽気がいきなりやって来たので、薄い布団に変えました。

 

バルコニーに置いている鉢植えの葉っぱもワッサワサになったので、テキトーに切り戻しました。

このビオラとガーデンシクラメンは、昨年の11月ごろに母が植えたいというので一緒に買いに行ったものです。

つい水やりを忘れそうになるのですが、なんとか頑張ってくれています。

 

 

 

母が1月3日に亡くなって、もうすぐ4か月になります。

先日4月11日が「百か日」でした。

…って、特に何をするということはありませんでしたが。

 

 

ぼちぼち、自分の備忘録的にも亡くなってから日々の様子を書いていこうかなと思います。

noteにしようかなとか、別の日記にしようかなとか考えたのですが…

生来の面倒くさがりに複数のことができるはずもないので、こちらでぼちぼち書いていこうと思います。

 

先月のうちに母の持ち物の整理がだいたい終わり、

必要な手続きもほぼ終わりました。

 

なので、ちょっとずつ振り返りたいと思います。

 

 

 

 

 

病院での看取りは私一人でした。

正確には病院スタッフの方が10数名いました。

急変を発見してから約2時間、母の蘇生に全力を尽くしてくださいましたが、

「もうこれ以上の蘇生をしても、脳に酸素が行っていない状態が長く続いていますし、ご本人の体を傷つけることになると思います」

…って言われたら、そりゃ「もういいです、停めてください」と言うしかないですよね。

 

「もういいです、停めてください」

 

この言葉を口にするというのは、本当につらいものです。

もうだめだと分かっていても、です。

 

だから、よく「自分には延命措置しないでくれ」と言いますが、よくよく残されるだろう人とお話ししておかないとだめですよ、と言いたいですね。

自分の決断と言葉で、大事な家族の最期を決めるのですから。

ちょっと用法は違いますが「言うは易し、行うは難し」です。

 

 

 

そして、よく最後まで聴覚は残っているといいますが…

「リハビリを頑張るって言うてたのはうそか!」とか

「なんで調子が悪いんやったら、看護師さん呼ばんかったんや!」とか

叱責ばかりだった気がする…いや、一応ありがとうくらいは言うたかなあ…

母は「最期まで叱られてばっかりやった」って思っていそうです。

 

でもその一方で、母からの最期の面と向かってかけてもらった言葉は「ありがとう、ごめんなあ」でした。

これは手術が終わった直後に、数分だけ会えた時に言ってもらいました。

 

 

 

 

そのあと、まあ…ひとしきり泣いていたわけですが…

ふっと「いつまでも泣いててもあかんやろ」と、スイッチが入りました。

 

「葬式せなあかんやん」

 

そうです。

いつまでも泣いているだけでは何も進まないのです。

 

すぐにスマホで葬祭場を検索しました。

コロナ禍もあり、ここ4~5年は「葬儀」とか「法事」と縁遠くなっていたので予備知識がなく…

「家族葬専門の○○」というところから、いわゆる大手のところまで、いろいろ出てきました。

 

いろいろと見ていく中で、自宅から近いところの方がいいかな~と。

母の姉になる伯母の葬儀の時に(といっても20年以上前だけど)、妹になる叔母宅でお風呂を使わせてもらえたりしてよかったな…という記憶があったので、何かと便利なのは家の近くかな?と。

そこで、そこに電話をかけてみることにしましたが、こういうとき、どう話を切り出すのがいいのかわからない(笑)ので、しどろもどろでした。

 

すると代表番号は隣市らしく、すぐに最寄りホールの担当者さんから折り返してくれました。

この担当者さんが非常にいい方で…

最初から最後まで、本当にお世話になりました。

 

電話で亡くなったことを伝えると、さすがプロ。

ドンドン段取りを決めてくださいました。

ホールの空きはありますとのこと。

ただ他の方とのスケジュールの都合で、お迎えに行くのが18時くらいになると言われました。

その時が確か14時前だったので、え!けっこうかかるんだ…と思いましたが、結果的にそのくらいの時間がちょうどよかったです。

とりあえず葬儀場を抑えることができて、連れて帰る段取りができたのでほっとしました。

 

 

そのあとは、母の荷物をまとめ始めました。

もう動かない母に向かって、なんやかんや話しかけながら片付けをしました。

初詣でもらってきた「病気平癒」のお守りが枕元にあったのですが…効き目なかったなあ、なんて言いながら。

 

 

そうしていると、神戸から弟たちが到着しました。

もうアラフィフの弟たちが、ずっと泣いていました。

 

その姿を見たら、なんかこう…

時間が急に40年くらい逆戻りしてね。

長女パワー全開になったというか…

「私がしっかりやらなあかんやん」と、いろいろ覚悟が決まりました。

幾つになっても弟は「弟」なのです、姉にとって。

 

 

その少し後に、母の妹になる叔母がその息子(私の従弟)と一緒に病院に駆けつけてくれました。

正月なので初詣旅行に行っていたそうですが、急遽引き返してくれました。

 

 

 

その間に病院のスタッフのみなさんによる見送る準備が着々と進みます。

「エンゼルケア」をするので、着替えさせたいものがあれば…と言われまして。

下の弟のお嫁ちゃんが喜寿祝にくれた可愛いピンク色のパジャマを着せてもらうことにしました。

 

それとは別に、あまりに急変だったので死後のレントゲンやCTを撮らせてもらっていいか?と聞かれまして、こちらとしてもぜひお願いします・と言い、撮ってもらったり。

 

そういった時間を考慮して17時半以降にお迎えをお願いできますか?と看護師さんから言われたので、18時にお願いをしています・とお伝えしました。

「ああ、なら十分間に合います。ありがとうございます」

 

そうか~

連れて帰ると言っても、やっぱりすぐというわけにいかないんだなあ…

兄弟三人で納得しながら、母のエンゼルケアが終わるのを別室で待っていました。

 

 

 

 

…と。

こんなふうに、ダラダラと取り留めなく書き連ねていくことが、数日に一回発生します(笑)。

私自身の備忘録と、いつか誰かのお役に立てればと思いますので、気が向いたらお付き合いください。

 

 

 

両親の仏壇は現代仏壇なので、大きなお花が入りません。

なので桜ちゃん&檀さんのコーナーを仏壇近くに移動して、そこに「みんなへのお花」としてお供えしています。

 

 

 

 

華やかなタコパ

ちょっと更新の間が空いてしまいました。

 

本当はもうちょっとこまめに更新したいのですが、なかなか気分が乗りません

でも日常のこと、何よりもマルコのことを書き残していきたいので、頑張りたいですね。

 

 

 

 

さて。

先週末に、こんなに華やかなお花を母にいただきました。

母が好きそうな、華やかで可愛いお花です。

 

 

 

我が家でたこ焼きパーティー=タコパをやったのですが、そのメンバーが持ってきてくれました。

母が居なくなってから、マルコと二人だけになった我が家。

私を入れて総勢7人!!

久しぶりに賑やかな時間を過ごすことができました。

 

 

デザートは、てんこ盛りのティラミスです。

めっちゃ美味しかった~~!!

倉敷市水島『エスプレッソをひとつ』さんでテイクアウトしてきてくれました。

 

 

 

マルコは、接待部長でした。

びっくりするくらいに愛想がよかったマルコ。

…とはいえ猫なので、集中力が何度も切れて(笑)自分のベッドに戻っていましたけどね。

 

 

 

 

ちなみに…

たこ焼きだけではなく、メンバーの一人が焼きビーフンを作って来てくれていました。

本場の新竹ビーフンを使っているので、歯ごたえが違います。

 

 

 

 

そんな賑やかな時間が流れた我が家でしたが、こんなにすっきりとした空間もまた生まれました。

以前私が使っていた部屋です。

母の部屋に移動したこともありますが、母の持ち物の整理がだいたい終わったのです。

なので丸っと一部屋余ってしまいました…。

 

 

母の持ち物自体は、もともと実家を処分していたこともありそこまで多くはない方でしたね。

それでもお譲りするものは早めの方がいいし、マンションという限られた空間でいつまでも「手つかず」で置いておけるわけもないので…

 

とはいえ、もちろんまだかなり多くのものを置いています。

整理整頓した・という感じかな。

 

いずれ…今手元に残しているものも処分する日がくるだろうと思います。

母の亡くなった後に改めて見ると、父の持ち物ってほとんど残っていませんでした。

私も、まあ…私のものは仕方ないにしても、母のものまで持ち越して残る人たち…たぶん弟や甥っ子に迷惑をかけないようにしたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

思い出の桜

この週末は暖かく、絶好のお花見日和でしたね。

 

 

私は今日(4/7)のお昼過ぎに、ぶらぶらと花見に出かけました。

 

 

 

お花見弁当を広げるご婦人方。

 

 

途中で、鵜に遭遇。

こんなに至近距離でも逃げなかったので…

もしかしてお母さんだったりして(笑)

 

 

 

そして、旭川の土手道にやって来ました。

長らく穴場的なお花見スポットでしたが、コロナ明け(?)ということもあってか、けっこう人が多かったですね。

この近くに半田山植物園があるのですが、こっちは無料ですしね~

(ただし路駐だと高くつくけどね…)

 

 

ここには何種類かの桜が植えてあるようで、この木は濃淡のある花を咲かせます。

毎年この木を見るのが楽しみです。

 

 

 

昨年のお花見は鳥取に行っていましたが、例年お散歩がてら母と一緒に子の土手の桜を見に来ていました。

 
 
2022年の写真。
青い服を着て座っているのが母です。

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歩き疲れて「ここで待っとくわ」と座っていました。

一緒に見るはずだった今年の桜を、まさか一人で見ることになるとはね。

 

 

きれいやなあとか

人が多いなあとか

そういう感想を言い合う相手が居ないって、何とも物足りないものです。

 

 

 

そんなことを思っていたら、蝶が近づいてきました。

桜にばかり気を取られていましたが、タンポポも咲いていました。

 

 

 

そのあとは、ぐるっと浄水場を回って…

ラミー母のブログやインスタつながりの方は見覚えがあるかもしれませんね、この道。

よく母が桜ちゃんと一緒に歩いた用水路沿いの道です。

母はこの道が好きで、桜ちゃんとの思い出いっぱいの道なんやとよく話していました。

桜ちゃんが居なくなってからも、この道の話をよく投稿していました。

 

 

この道をたった一人で歩く日が、いつかは来ると思っていたけど…

こんなに早く来るとはねえ。

 

なんだか、道幅まで広くなったような気がします。

 

 

 

 

 

 

その後、ちょっと足を延ばして半田山植物園に行きました。

桜だけではなく、牡丹もちょうど見ごろを迎えていました。

 

 

 

牡丹の花の、この花弁のふわっとした華やかさがいいですよね。

 

 

 

半田山植物園も、多くの人がいました。

昔…私が岡山に来て魔が無い頃(18年ほど前か?)は、BBQをしている人もいましたが、いまNGのようですね。

 

 

 

軽く山登りをしたから、いい具合に汗をかきました。

 

 

 

半田山植物園はけっこうな急こう配なので、母は一回来ただけです。

でも岡山市内を一望できるので、楽しそうにしていました。

 

 

 

桜の花はきれいですが、何とも言えない寂しさも併せ持つなあ…と思いました。

もっと一緒に花見ができると思っていたのになあ。

 

 

 

一人の生活にだいぶ慣れてきたとはいえ、やっぱりさみしいのです。

普段は割と忘れていますが、身の回りに思い出が多すぎて。

嬉しい反面、寂しくなっています。

 

 

 

 

来年の桜は、もう少し明るい気持ちで眺めることができるかなあ。

 

 

 

 

 

 

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