新稀少堂日記 -9ページ目

第9336回「朝松健編 神秘界 その1、おどり喰い 山田正紀著 ストーリー、ネタバレ」

 第9336回は、「朝松健編 神秘界 その1、おどり喰い 山田正紀著 ストーリー、ネタバレ」です。今回から朝松健さん編集の「神秘界 歴史編」(全20作)を取り上げることにします。ラヴクラフトへのオマージュとなっているアンソロジー(複数作家による短編集)です。


 巻頭の作品は、山田正紀氏の「おどり喰い」です。20数ページの短編ですが、しっかりクトゥルフ神話が活かされており、ある災害の予感を以て物語は終わります。さすが山田正紀さんです・・・・。


 「火垂るの墓」を彷彿とさせる神戸大空襲下での出来事です。そして、ラスト、物語は予定調和の内に締めくくられます。


「その1、おどり喰い」山田正紀著

 63歳の老人の一人称で物語は語られます。老人は14歳の年に終戦を迎え、その後、49年間にわたり故郷の神戸に戻ることはありませんでした。そんな老人が神戸に戻るきっかけになったのは、孫に頼まれビデオのレンタル・ショップに同行した時のことです。


 孫が観たがっていたアニメ映画が「火垂(ほた)るの墓」でした。孫からタイトルを聞かされた時、「小樽(おたる)の墓」と聞こえました。そのことが、「小樽の墓」とか「穂垂(ほた)れの墓」へと導いていきます。49年前に聞かされた言葉だったからです。


 戦争当時、神戸には白屋敷という建物があり、石灰岩層の崖の上に建てられていました。半世紀前の記憶ですので、そのことを確認したいというのも、神戸行きを考えた一因です。白系ロシア人のニコライという人物が暮らしていました。

 

 そのような背景の中で書き上げた手記がこの物語です。あの夜、B29の大編隊が神戸に大空襲を敢行しました。生田、灘、須磨をことごとく焼き尽くしています。民家も民間人をも巻き込んで大火災になりました・・・・。


 当時14歳だった老人は家族とはぐれたのでしょうか、炎上する神戸の街をひとりで逃げ惑います。そんな時に出会ったのが、似通った年頃の少年でした。共に行動したのですが、最後まで名前を知ることはありませんでした(以下、Sと表記)。


 燃え盛る火の中、突如視界が開けました。そこに忽然と浮かび上がって来たのが、ニコライ老人が住むという白屋敷でした。その時の光景を、老人は映画「十戒」で紅海が割れるシーンのようだったと記しています。ふたりがその白屋敷に引きつけられたのには理由がありました。


 「火垂るの墓」でも描かれていますように、激しい空腹に耐えていた時代です。白屋敷の周辺には、大量の食べ物が焼けるような臭いが立ちこめていました。ふたりが入ると、ニコラス老人は倒壊した建物に押しつぶされ、そこから這い出て来たものの、激しい痛みのためにうめいていました。


 正確に聞き取れたかどうかは分かりかねますが、クトゥルフとかネクロノミコンとかマグナム・イノミナンダムなど、とつぶやいています。そして、そこに置かれていたのが、なまこのような生き物でした。Sは激しくなまこ状の物体に食欲を示します。その異様な生物は、ふたりの少年に「喰え、喰え」と声なき声で語りかけてきたことも一因です。


 「食うでない、人類に災厄をもたらすぞ。おまえたちの体内に入ったそいつは、将来、人類に禍をもたらすんだ」とニコライが警告しますが、「これ以上の災害がどこにあるって言うんだ?喰おうぜ」、Sは口に入れようとしました。その瞬間でした。ニコライがSを射殺したのです。


 あとわずかですが、最後まで書きますのでネタバレになります。


――――――――――――――――――――――――――――――――








 拳銃を発射した段階で、ニコライは絶命していました。声なき声は少年の心に訴えかけてきます、「喰え」と・・・・。Sは言っていました、「これ以上の災害がどこにあるって言うんだ?」、Sの言うとおりです。少年はなまこ状の生物を喰います・・・・。


 あれから49年、老人は年が変れば神戸へ行こうと考えています(1994年のことです)。




(蛇足) 老人は翌年、神戸に行ったと思います。そして、1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました・・・・。ですが、著者は一切触れていません。ところで、ニコライが「小樽の墓」と口走ったのは、その周辺にはクトゥルフ神話を連想させるような遺跡があったからです。


(補足) 阪神大震災の写真は、ウィキペディアから引用しました。

第9335回「浅田次郎短編 その4、悪魔、ストーリー、ネタバレ」





 第9335回は、「浅田次郎短編 その4、悪魔、ストーリー、ネタバレ」です。この30ページほどの短編のイメージは、初期の三島由紀夫に通じるものがあります。少年が見た悪魔とは・・・・。物語は少年の一人称"ぼく"によって語られます。時代は街頭テレビが出始めた1950年代後半です。


 ところで、悪魔的存在として描かれている家庭教師・蔭山のイメージとしては、若い頃の窪塚洋介さんか、地味ながらも存在感を誇示している本郷奏多さんの5年後を想像して読みました。


「その4、悪魔」

 『 僕は悪魔を見たことがある。信じようと信じまいと、歪んだ二本の角と巨(おお)きな翼を持ち、全身を濡れた黒い毛で被われた悪魔を、僕はあの日、たしかに見た。・・・・ 』(作品冒頭)


 少年は生まれ育った環境を語ります。山の手の裕福な家庭で生まれ育ちました。ミッション系の学校に通っていたのですが、成績も悪くはなく、小学五年生の現在、級長を勤めています。母親などは、家が代々旗本の家系だったことから、地方なまりには敏感です。


 そうして選ばれた家庭教師が蔭山です。東大の事務課からの紹介で、医学部に在籍しているそうです。授業料については、世事に疎い母親にはっきりと条件を提示します・・・・。ところで、少年のクラスには、橋口くんという公家出身の喘息(ぜんそく)持ちの少年がいました。休んでいたのですが、ある日突然、亡くなりました。


 少年はクラスを代表して追悼文を読み上げます。ところが、不思議だったのは、葬儀の会場に蔭山の姿があったことです・・・・。少年の家での蔭山の存在が次第に大きくなっていきます。「去年、先生が御教えになった子どもさんが麻生中学にお入りになったんですって?」、母親は蔭山に訊きます。たしかに蔭山が来て以来、少年の成績は格段に上がりました。


 少年が母親と蔭山の関係によからぬものを感じたのは、御屋敷で開かれたパーティでのことでした。少年の従姉が、母親から小遣いをもらったと言うのです。何事かを口止めするために・・・・。屋敷の雰囲気は変っていきます、家族の心が荒(すさ)んでいきます。


 荒廃のきっかけのひとつとなったのが、祖父が吐血し、救急搬送されたことです。いましばらく生きたものの、少年が生きた祖父と会うことはありませんでした。何か違和感を感じていた少年は、学校に所属する神父に相談します。「悪魔が僕の母を離れに連れ込んでいじめるんです」、少年の相談に牧師は沈黙します・・・・。


 気が付けば、事業に行き詰った父親は屋敷に戻らなくなりましたし、あれほど多数いた召使いたちも、ひとり辞め、ふたり辞め、すっかり数を減らしていました。そんなある日のこと、亡き橋口くんの母親が、蔭山について婉曲に警告します。「東大生にもいろいろございますから」


 『 悪魔がついに正体を現したその日のことを、僕は忘れない。 』、以下、結末まで書きますので、ネタバレになります。


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 今ではすっかり心身ともに衰弱している母親があげた悲鳴を聞きつけ、少年は駆け付けます。母親は足から血を流していました。ある決意を秘めて少年は蔭山のいる離れへ駆け付け、対峙します。少年には、蔭山には角もあれば、翼があるように見えました。


 「すべてを滅ぼしてやった。小僧のおまえに何ができる」、呪詛を口にしながらも、蔭山は少年を挑発します・・・・。翌日、少年は母方の家に行くことになりました。かつての贅沢な暮らしと比べることはできませんが、人情味あふれる環境に、少年は順応していきます。


 ある日、売却の決まった屋敷に伯父と一緒に行くことになりました。すっかり荒廃していました。そして、少年は蔭山との対決を思い出します。少年は蔭山に向かって、ひたすら「おまえは悪魔だ」と繰り返しました。これまで傲然とした姿勢を崩さなかった蔭山が、大きなネズミを見ただけで脅えます。


 「あれほどやるつもりはなかったんだ。ゆるしてくれ」、蔭山はひたすら謝罪します・・・・。少年の記憶はそこで途切れています。その後、少年がふたたび悪魔を見ることはありませんでした。あの屋敷の跡地には、今では高層マンションが立ち並んでいます。


(追記) 「浅田次郎」について書いたブログに興味がありましたら、お手数ですがブログトップ左側にあります"ブログ内検索"欄に"次郎短編"と御入力ください。

第9334回「浅田次郎短編 その1~その3 鉄道員、ラブ・レター、オリオン座からの手紙ネタバレ」

 第9334回は、「浅田次郎短編 その1~その3 鉄道員、ラブ・レター、オリオン座からの手紙 ストーリー、ネタバレ」です。


 浅田次郎氏の「鉄道員(ぽっぽや)」は珠玉の短編集でした。映画化、漫画化など再三されていますので、今さらながらブログに取り上げることにしました。初回は、既にブログに取り上げている3作品を一挙に取り上げることにしました。




「その1 鉄道員(ぽっぽや)」

 高倉健劇場の一作として取り上げたブログから全文再掲することにします。


『 浅田次郎氏の原作を降旗組が映像化した映画です。「不器用ですが」、そんな日本のおとうさんの背中が画面からあふれ出ていました。


 やはり、ぽっぽやをやれる男優は、高倉健さんしかいません。ストーリーの紹介にあたりましは、原作とは関係なく章とサブ゛タイトルを付けさせていただきますが、ストーリーそのものにつきましては、小説版をベースにしています。


「プロローグ 仙次の想い」

 仙次(小林稔侍さん)は、機関車に乗り終点の幌舞の駅に向かいます。幌舞駅で駅長を勤める迎える乙松とは同期です。仙次も同じ機関士から出発した国鉄マンでしたが、要領の悪い乙松よりはるかに出世しています。仙次はJR北海道の関連会社への再就職が決定しましたが、3月に定年の乙松は・・・・。


 そんな乙松の再就職先を考えて、幌舞駅に向かっていると言うのが実情でした、もちろん一緒に酒を飲めると言う楽しみもありますが・・・・。そんなふたりの想いをつないでいたのが、キハ12でした。


 『 キハ12形は、酷寒地向けの便所付き両運転台車で、1956年に22両が製造され、全車が北海道内で使用された。キハ11形100番台との相違は、側窓が二重構造となったことである。


 当初は、デッキ部の仕切り壁は設置されていなかったが、後年の改造により設置された。定員は、基本的な車体構造が同じキハ11形と同一である。老朽廃車は1976年から始まり、1980年までに全車が除籍された。 』(ウィキペディア)


 トンネルを過ぎると、幌舞駅まではわずかです。やがて、駅頭に立つ乙松(高倉健さん)の姿が見えます。「かっこいいよね、乙松さん、絵になるべ」、若い機関士の実感でした。


「第1章 元日に出会った見知らぬ小さな女の子」

 仙次は、ひとり身の乙松のために、おせちを持ってきていました。年末を一緒にすごす予定だったのですが、年を越えてしまったと言うのが実情でした。仙次が再就職を勧めても、乙松の気持ちは変わりませんでした。「おらあ、ぽっぽやだから、他にはなにもできないっしょ」


 そこに入って来たのが、小学生高学年ぐらいの女の子です。昼間、その女の子の妹らしき女の子が、キューピー人形を駅の待合室に置き忘れて帰ってしまいました。その小さな女の子は乙松の足にすがりつくようにしていました。人見知りしない幼い子どもに、乙松は亡き娘の雪子を想い出します。


 翌朝、仙次はキハ12に乗り帰っていきます。


「第2章 乙松の前に現れた第三の少女」

 乙松は、あの姉妹は円妙寺の住職の孫だと考えていました。姉妹は両親の名前を告げなかったことと、住職の義理の娘の顔立ちとそっくりだったからです。そして、午前早々に仙次の息子の秀男(吉岡秀隆さん)から電話が入りました。秀男は新年のあいさつと共に、幌舞線の廃止決定を、ひたすら詫びます。秀男はJR北海道の本社に正社員として勤務していたのです。


 幌舞の子どもたちは、乙松に駅から見送られて高校に通い、帰りには乙松に迎えられて育ったという経験を共有しています。それだけに、秀男としても存続に尽力したのですが、赤字路線の廃止は既定の事実になっていました。


 そんな中、昨日駅にやってきた姉妹の姉と思われる女子高生(末広涼子さん)が制服姿でやってきます。住職に電話した際、そんな孫などいないと言われています。「乙松さんもボケとるのかな」、住職の想いでした・・・・。


 乙松はその女子高生に自らの人生を語ります。3人姉妹が、亡き雪子が成長する過程を自分に見せるために現れたと考えたからです。


「第3章 乙松の語る鉄道マンとしての人生」

 17年前、まだわずか2か月だった雪子は、母親の静江(大竹しのぶさん)に抱かれキハ12に乗り、病院に行きました。乙松は仕事のために一緒に行けませんでした・・・・。静江は死せる雪子を連れて帰ってきます。長い結婚生活で、静江が夫を責めたのはその時だけでした。静江以上に激しく責めたのが、仙次の妻(田中好子さん)でした。そんな静江も、乙松に看取られることなく世を去っています。


 「だども、おら、ぽっぽやだべさ、仕方ないっしょ」、乙松は亡き妻にも、いま目の前に現れている雪子にも詫びます。「あたし、何も思うとらん。とうさん、ぽっぽやだもの」、雪子は父親を恨みに思ってなどいない語ります。そして、父親のためにふたり分の料理を作ります。ところで。絵の構造は、待合い室、駅長室、そして、奥の住居スペースにつながっています・・・・。


 「ゆっこ、飯食って、風呂さ入って、一緒に寝るべえ、なあ、ゆっこ」


「エピローグ 老鉄道マンの死」

 翌朝、乙松の死体を発見したのは始発の機関士でした。手旗をもってホームの端に倒れていたそうです。「駅長さん、ええ顔をしてたな。不思議だったのは、食卓に向かい合わせに、ふたり分の食事が置かれていたことだべさ」、そう語る機関士の口を仙次は封じます。「もう言うな」・・・・。 』(以上再掲)


 乙松がみたのは何だったのでしょうか。読んだり観たりした人が、それぞれの感慨が持てるような作品になっています。「泣かせようと思って(小説を)書いたら、必ず失敗する」、そう語ったのは浅田次郎氏でした・・・・。


 思いつく解釈を列挙することにします。

1, 乙松は、霊としての雪子をみた。

2. 雪子を見たいと望んだ乙松自身が作り出した幻覚である。

3. 自然の摂理(神)が、乙松に授けた奇跡である。

4. すべては、乙松が死ぬ瞬間に見た長い夢である。

5. その他





「その2、ラブ・レター」

 ながやす巧さんのコミック版で既に取り上げています。ストーリー部分のみ再掲することします。


 『 浅田次郎氏は、1997年、短編集「鉄道員(ぽっぽや)」で受賞しました。山本周五郎とは作風が異なりますが、やはり人情話です。その一編が「ラブ・レター」です。ヒロインは、いわゆる"偽装結婚"で、日本に来た中国人女性です。


 チンピラ・吾郎が、釈放されはじめて聞いた話が、「カミサンが死んだ」というものです。吾郎は、偽装結婚の女か、と気付きます。若干の葬祭費用を組から受け取った吾郎は、弟分と一緒に千葉に向かいます。千葉駅で乗り換え、さらに田舎に向かいます。警察、病院、葬祭場、手続きを済ませます。

 

 ですが、吾郎は普段の吾郎ではありません。女の手紙を読んだからです。遺品の中に入っていました。そこには、綿々と吾郎への愛が綴られていました・・・・・。吾郎は、帰りの電車の中で、慟哭します。


 初読の際、リアリティが感じられませんでした。中国人女性ではなく、東南アジアの某国とすれば、それなりのリアリティがあっと思うのですが・・・・・。泣ける話だけに、残念です。 』




「その3、オリヲン座からの招待状」

 劇場版に基づき、既にブログに取り上げています。少し長いですが、再掲することにします。丹念かつ繊細な映画に仕上がっています。


 『 舞台は、京都西陣の映画館「オリヲン座(オリオン座)」です。戦後にオープンした映画館もついに終焉の時を迎えます。ストーリーの紹介にあたりましては、原作とは関係なく、章とサブタイトルを付けさせています。なお、年号につきましては、私の記憶に拠っています。


「プロローグ オリヲン座からの招待状」(現在)

 東京で暮らす三好良枝(樋口可南子さん)の元に、オリヲン座から招待状が届きます。その中には、往年の切符が入っていました。彼女は早速、別居中の夫・祐次(田口トモロヲさん)に連絡します。「一緒に行こうよ、懐かしいじゃない」、しかし、祐次は消極的でした・・・・。物語は過去に遡ります。


「第1章 ぼくを働かせてください」(昭和32年、1957年)

 オリヲン座に掛けられていた映画は、「二十四の瞳」と「君の名は」の二本でした。夕刻、重そうなバッグを抱えてやって来たのが、千波留吉(加瀬亮さん)でした。切符を売っていたのが、豊田トヨ(宮沢りえさん)でした。既に最終回が始まっています。留吉に半額でいいと言おうとしましたが、タダで入らせます。


 映画は終わりましたが、留吉は座席に座ったままでした。留吉はトヨに声を掛けます。「支配人に会いたいんですが」と言うと、トヨは映写室から降りてきた夫の松蔵(宇崎竜童さん)を紹介します。「ぼく、映画が大好きなんです。大津から出て来たんです。ここで働かしてください」


 オリヲン座は夫婦ふたりで十分やっていける小屋でした。ですが、留吉の熱意に負けた松蔵は留吉を雇うことにします。ここに3人の不思議な生活が始まります。


「第2章 留吉の日常と松蔵夫婦の愛情」

 留吉の最初の仕事は、自転車でフイルム缶を運ぶことでした。少しでも遅れると、松蔵は怒鳴ります。落ち込む留吉を優しく励ましたのはトヨでした。「あの人な、あないなこと言うてるけど、留やんのこと評価してはるんやで」、トヨの言葉に嘘も誇張もありませんでした。


 子どものいない松蔵夫婦は実の息子のように留吉を可愛がります。孤児同然に大津を飛び出した留吉にしさては、家族とも言うべきふたりでした。しばらくすると、松蔵は留吉に映写も任せ始めます。「留やん、わしはな、残念なことがひとつあるんや。板妻の『無法松の一生』、あれを掛けたかった」


 そんな松蔵が、写真館のおやじを呼び、小屋の前で、3人で写真を撮らせたのです。留吉にとっては幸せな日々でした。気になるのは、松蔵がやたらに咳をすることぐらいだったのですが・・・・。


「第3章 松蔵の死とオリヲン座の閉館?」

 そんなある日、ついに松蔵は帰らぬ人となりました。トヨは閉館を決意します。しかし、必死に存続するよう説得したのが、留吉でした。「あねさん、オリヲン座の火消したらあかん、そう言うてはったのは、親方や。わいも気張らせてもらいます。どうか小屋を閉めんでください」


 トヨは留吉の熱意に押されます。ところで、留吉は2階で暮らしていました。食事はトヨの作ったものを食べていました。そのことが、御近所の邪推を生むことになろうとは、その時のふたりには思いも寄らぬことでした。


 オリヲン座再オープンの日がやってきます。劇場の前には、花が並べられます。上映作品は、松蔵が一度は掛けたかった坂東妻三郎主演の「無法松の一生」です。客席を観客が埋め尽くします・・・・(さわりの部分が映しだされます)。


「第4章 映画の斜陽とあらぬ噂」(昭和36年、1961年)

 街角では、電気店の前などに人だかりがしています。いわゆる街頭テレビです。テレビの勃興と逆比例するかのごとく、オリヲン座の観客数は目に見えて減ってきました。ふたりの生活も厳しいものになります。


 さらに追い打ちを掛ける事態が発生していました。「あのふたり、できているんや、死んだ松蔵はんが可哀そうや。わては絶対あの映画館は行かん、子どもにもいかさん」、居酒屋ではそんな会話が交わされていました。


 「取り消してください、わては何言われてもええけど、かみさんが気の毒や」、留吉が抗議すると、逆に酔っ払いから殴られます。その噂は、トヨの耳にももちろん入っていました。ですが、トヨは何も言いません・・・・。




「第5章 厳しさを増す映画館経営、そんな中、・・・・」(昭和39年、1964年)

 テレビは、街頭から家庭に浸透する時代に入っていました。この頃になりますと、テレビの影響が顕著に顕れています。そんな中、留吉は奮闘しますが、成果はありませんでした。前金が払えないばかりに、配給会社からフィルムの貸与を拒否されたのです。


 「おかみさん、すんまへん、わしが至らんばっかりに。親方が生きてはったら・・・・」とトヨに謝罪します。しかし、トヨには分かっていました。「留やんのせいやない」と答えます。ですが、悪いことばっかりではありませんでした。近所の女の子・良枝と男の子・祐次が映画館に遊びに来始めたのです。


 「オリヲン座行ったらあかん、ってお母さん言いはるけど、うちオリヲン座好きや」と言っていたのは良枝でした。一方、祐司の両親は喧嘩ばっかりしており、家庭は荒んでいました。正直、祐司は家に帰りたくなかったのです。そのことは、トヨにも留吉にも良枝にも分かっていました。


 ある日、オリヲン座に長居した祐司と良枝のために、トヨたちはケーキを渡します。「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー♪ハッピー・バースデイ・トゥ・ゆうちゃん♪・・・・」、祐司は家庭で誕生日を祝ってもらったことがなかったのです。


 「おっちゃんが、うちらのお父さん、おばさんが、うちらのお母さんや」、良枝はそう言います・・・・。


「第6章 結ばれた留吉とトヨ」

 ある夏の日、留吉は河原へ行きます。うっそうと生い茂った草陰から光が飛び立ちます。ホタルの群れでした。留吉は、ホタルを掌で優しく捕まえます。家に帰ると、トヨが蚊帳の中で寝ようとしていました。「じっとしてて」、留吉は蚊帳の下をめくりホタルを放ちます。


 ホタルが蚊帳の中を飛び交います。「きれい」、そう言うと、トヨは静かに留吉の手を握ります(短いエピソードですが、実に抒情的です)。


「最終章 オリヲン座の終焉」(現在)

 良枝はかつて暮らしていた路地を歩いていました。懐かしんでいる良枝に声をかけたのは、意外にも祐司でした。「来(こ)うへんかと思ってたわ。オリヲン座へ行きましょう」、ふたりは仲良く歩き始めます・・・・。一方、トヨ(中原ひとみさん)と留吉(原田芳雄さん)は、担当医からトヨの余命を告げられていました。


 「ほなら、オリヲン座に帰りましょう」、留吉はそう言って良枝を背負います。これまでにも何度かあったことです。「恥ずかしがんでええがな」、西陣の街を歩きます。オリヲン座閉館を記念した特別興業に多数の客が詰めかけていました。良枝と祐司の姿もあります。トヨは映写室から観ることにします。


 スクリーンの前で、留吉は館主として挨拶します。「映画館続けるために、貧乏してきました。三食、売店のパンでしのいだこともあります。映画館やめたら、正直何もできやしません。それでもここまで頑張ってこれたんは、みなさまのお蔭やと思うております。永年ありがとう存じました」(要旨)


 閉館の出しものとして選んだ作品は、「無法松の一生」でした。松蔵が大好きな映画であり、留吉にとっても主人公に自分自身が重なる思い出の作品でした。楽しい記憶も辛かった過去も、留吉の脳裏に去来します。映画は終わりました。静かにトヨの手を取ります。トヨの首が不自然に傾(かし)げます・・・・。 』

第9333回「創元版ホラーSF傑作選 その13 唾の樹 B・W・オールディス ネタバレ」

 第9333回は、「創元版ホラーSF傑作選 その13 唾の樹(つばのき) ブライアン・W・オールディス ネタバレ」です。「創元版ホラーSF傑作選 影がゆく」(全13編)も今回で終りです。この中編は、ウェルズが「宇宙戦争」を書く契機となった農村地帯での異変を描いています、もちろんフィクションです。


 当然、時代設定は19世紀末なのですが、そのあたりの雰囲気をもっと出してほしかったと言うのが実感です。この小説に最も近い雰囲気を持つのが、ラヴクラフトの「宇宙からの色」です。少し長くなりますが、ストーリー部分を再掲することにします。御面倒でしたら読み飛ばしてください。


 『 "わたし"は、アーカム(架空の都市)の奥山にあたる地域に、ダム(貯水池)建設の調査に赴きます。そのエリアは、"焼け野"と呼ばれていました。著者は、この光景をサルヴァトール・ローザの絵画に喩えています(2枚目の写真、ウィキから引用)。現地の老人に尋ねるのですが、"不思議の日々"については口をつぐむだけです。さらに、アミ老人の話には耳を傾けるなと忠告されます。


 当然、"わたし"は、アミ老人の話に聞き入ります。それが、この物語です。その後、"わたし"は、アーカムから去る決意をします。このような地に貯められた上水など、飲む気になれなかったからです・・・・。


 アミ老人は、44年前に起きた事件を語り始めます・・・・。ネイハム・ガードナーの農園に、2メートル以上(7フィート)もある隕石が降って来たのです。当然、大学の調査チームがやってきます。ですが、隕石の一部を切り取り、調査しようとしたのですが、隕石は、あたかも溶けるように小さくなっていきます。隕石の中には、ちいさな球体も入っていました。それも、簡単に壊れてしまいます、中には何も入っていませんでした。


 大学も調査を断念します。それから、しばらくするとネイサムの農園に異変が生じ始めたのです。植物は、隕石と同じような燐光を放ち始めます。しかも、風もないのに木々が揺れるのです・・・・。異変は、植物だけに起きたのではありません。家畜にも及び始めたのです。ブタなどにも突然変異が生じます。植物では、ミズバショウが巨大化し、あの色を放っています・・・・。


 それらの異変は、ネイサムの家族にも及びました。妻が正気を失い、息子が失踪したのです。アミは、ネイサムの友人でした。不気味に思いながらも、ネイサムの家族を支援し続けます。ですが、ついにガードナー家の滅亡の日がやってきたのです。妻は、精神に異常を来たし、屋根裏に閉じ込められています。息子のひとりは既になくなっており、葬られています。


 ですが、残りふたりの息子も、消えうせたのです。アミは、前から井戸水を使うなと警告していたのですが、その井戸が失踪に関与しているようです。アミは屋根裏を調べますが・・・・、一方、屋根裏から降りてくると、ネイサムも亡くなっていました。アミは、アーカムの警察を呼びます。検死官も獣医も同行しています。


 そして、最終局面を目撃することになります・・・・・。最初に異変を感じたのは、馬です。ある馬は逃げ去り、ある馬は死にます。井戸をさらっている時に、さらなる異変が生じます。周辺の木々が、燐光を放ち、そよぎ始めたのです・・・・。


 警察は、捜査を打ち切ります。アーカムに戻ろうとしますが、ふとアミが振り返ると、農園から一本の光が立ち上りました。雲を突き破って光が向かった先は、白鳥座のデネブの方角でした・・・・・。その後、この捜査に参加したものは、一切口を閉ざしています。


 村人たちは、ネイハム・ガードナーの農園を"焼け野"と呼ぶようになりました。草木が育つこともなく、ネズミ一匹立ち入ることがなくなったからです。今でも、そのエリアは確実に拡がっています。アミ老人は、言います。「この農園が、水没することはいいことだ」


 一方で、アミ老人は、一部の生命体は、いまなおこの地に止まっているとも語ります。"わたし"は、この地に貯えられた水を飲もうとは考えていません・・・・。 』(以上再掲)





「その13 唾の樹(つばのき)」ブライアン・W・オールディス著

 19世紀末、イースト・アングリアの小高い丘の上から、馭者座(ぎょしゃざ)流星雲に見入っているふたりの青年がいました。ひとりはフォックス、もうひとりはこの小説の主人公グレゴリー・ロールズという高等遊民でした。H.G.ウェルズとも親交があり社会改革を夢見ています。


 流星の中でひときわ大きな隕石が、グレゴリーが最近頻繁に通っているグレンドン農園方向に落下します・・・・。翌日、グレゴリーは、グレンドンの経営する農園を訪問します。


 目的のひとつは農園主の娘ナンシーにあったのですが、それを不愉快に思っていたのが、農園で小作として働くバート・ネックランドでした。そして、農園で働くもうひとりの男が、愚鈍なグラッピーでした。その日、グレゴリーは隕石が落下したと思える沼へボートで出かけます。


 その時、ボートの上で不可視の存在がグレゴリーに攻撃を加えるのを体感したのです。ですが、ネックランドをはじめ誰も信用しようとはしませんでした。また、農園周辺で説明のつかない露が降りたということも報告されています。ところで、グレゴリーの移動手段ですが、牝馬のデイジーを使っています。


 グレンドン農園の異変が明らかになったのは、次の訪問の時でした。愛馬デイジーで農園の方向に向かっている時、木立が異常に成長していることを嫌でも気づかされたのです。さらに、グレンドンは興奮を隠せずに、一度にブタが18匹出産し、ヤギが4匹産んだと話しかけてきます。後には、牝牛が4頭の子牛を生んだと聞かされます。


 植物の繁茂と言い、家畜たちの多産と言い、明らかに異常な現象です。子豚たちが成長しようとした段階で事件が起きました。グレンドンは子豚たちを現在の大きさで出荷しようとした時のことです。馬車に乗せられた子豚たちが泣きはじめたのです。


 すると、一匹の子豚が宙に浮かび上がり、肉も骨も吸い取られるように小さくなったのです。そして、皮だけになります。それが次々と起きたのです。馬車から逃げ出した一匹だけが生き残りました・・・・。それでもグレンドンは頑なでした。「伝染病だべ」


 ネックランドも目撃しているはずなのですが、グレゴリーへの反発から認めようとはしませんでした。さらなる異変は日を改めての訪問時に発覚します。グレンドンの妻が、九つ子を生んだのです。全員無事出産しました。グレンドン家に悪しき運命が振りかかろうとしていたのですが、頑固なグレンドンは認めようとはしませんでした。


 もちろん、この段階でグレゴリーには何事が起きているかの予測はついていました。「沼に落ちた隕石は異星人の宇宙船だったんだ。その異星人は何らかの理由で人間の目には見えないが、このエリアを自分たちの農園に変えたのだ」、グレゴリーは異星人を"馭者座星人"と呼ぶことにします、


 一方、多産現象だけでなく、牛乳の味が変り、グレンドンの乳牛から搾り取った牛乳は町では売れなくなっていました。味覚が変ったのは、ナンシーはじめ農園関係者だけです。そして、事態は一挙に動き始めます。不可視の存在が、収穫を始めたのです。家畜も九つ子も喰いつくされました。


 グレンドン夫人も不慮の死を遂げましたし、小作のグラッビーも命を落としました。ただひたすら農園にしがみついていたのは、農園主だけでした。いまやグレゴリーのフィアンセとなったナンシーの制止を振り切り、グレゴリーは農園に向かいます。


 不可視の存在を撃滅すべく立ち上がったのです。散弾銃で一体の宇宙人を傷つけることができました。ですが、闘いの最中、グレンドンは踏み潰されました。推定では五メートル近くの大きさになるはずです。気が付くと、母屋から火の手があがっていました。「このまま燃やすんだ!」


 やがて、沼から宇宙船が飛び立つ様子が目に入ります・・・・。「とりあえず旅籠に行こう」、ふたりが旅籠に着くと、女将は来客者が来ていると告げます。H.G.ウェルズかグレゴリーを訪ねて来たのです・・・・。


(蛇足) タイトルの「唾の樹」は、主人公が見る悪夢に由来します。宇宙からの生命樹に引き寄せられ、グレゴリーは同化されます・・・・。


(追記) 「創元版ホラーSF傑作選」について書いたブログに興味がありましたら、お手数ですがブログトップ左側にあります"ブログ内検索"欄に"ホラーSF"と御入力ください。

第9332回「北村薫のミステリー館 その13、神かくし、出久根達郎 その14、一寸法師ネタバレ」

 第9332回は、「北村薫のミステリー館 その13、神かくし、出久根達郎 その14、日本変換昔話 一寸法師 ストーリー、ネタバレ」です。


「その13、神かくし」出久根達郎著

 原稿用紙5枚程度の私小説風の掌編です。 著者の出久根さんは、『 中学卒業後集団就職で上京し、月島の古書店に勤める。1973年独立し、杉並区で古書店「芳雅堂」を営む。 』という経歴を持った作家です。


 "私"が子どもの頃になじんだ童話に再会したのは、ある湯治場でのことでした。家族とはほとんど縁を切った老人たちが長期滞在しているような温泉宿のことでした。しかも、その童話には"私"の名前が書かれていました。祖母がこの湯治場に持ち込んだようです。


 宿の主人に訊けば、戦前、この湯治場で生まれたばかりの赤ちゃんを遺して母親が亡くなったそうです。その子どもを育てたのが、世捨て人とも言うべき老人たちでした。本なども持ち寄り、金も出し合ったそうです。そういえば、"私"の祖母もここにはよく来ていたように聞いています。


 しかし、その子どもも長じて学徒として動員され、戦死したそうです。祖母は「神隠し」と称してここに来ていたのでしょうか、あの童話本も持参して・・・・。




「その14、日本変換昔話 少量法律助言者(一寸法師)」原倫太郎企画

 絵本です、ただし、ひとつの企画を提示しています。文章は次の順序で表示されています。

① 童話原文

② 翻訳ソフトによる英語翻訳文

③ 英語翻訳文をさらに翻訳ソフトを介して日本語に翻訳


 30ページほどの絵本です、①から③が順次表示されます。タイトルとなっている「一寸法師」は、「A lttle , law mentor 」と英訳され、さらに日本語翻訳では「少量法律助言者」となります。企画としては面白いのですが、成功しているかと言えば・・・・。


 絵は原游さん、文章は小沢正さんが担当し、企画全体は原倫太郎さんがコーディネートしています。ストーリーは、一寸法師の冒険そのままです。あえて著しい変更は加えられていません。


 原文が2度翻訳ソフトを通すことによって、どのように変貌しているのか、一部紹介したいと思います。


『 昔々あるところに一寸法師という小さな子どもがいました。 』

≪ 昔々ずっとまえに若干の法律助言者の小さい子供がいたことがありました。 ≫


『 「よしよし、体に気をつけてな。』 おわんの船に、はしのかい 』

≪ 身体は大丈夫に大丈夫に注意してください。」それはボールの船の中はしものですか?≫


『 ぶらぶら歩いているうち、やってきたのが一軒のお屋敷の前。 』

≪ それはプラジャー・プラジャーといっしょに歩いている間、来ました、一軒のマンションの家の正面。 ≫


『 「まあかわいい。」 お屋敷のお姫さまは大喜び。 』

≪ 「ああ、それはキュートです。」 大邸宅のプリンセスは非常にうれしいです。 ≫


『 そこへ、がらんと飛び出してきたのが赤鬼と青鬼。 』

≪ そこで、外にむなしくジャンプしたのは赤い悪魔および青い悪魔です。 ≫


『 「いてててて、これはたまらん。」 二匹の鬼は大あわてで逃げていってしまいました。 』

≪ 「それはそうです。これは蓄積しません。」 二匹の動物の悪魔はパニックになっていて、そして逃げました。 ≫


『 「お姫さま、このこづちで私の背を大きくしてください」 』

≪ 「プリンセスがその小さなハンマーで私の後部を大きくするはずです。」 ≫


 ふたりは結婚し幸せに暮らしたそうです。「おしまい」


(追記) 「北村薫のミステリー館」につきましては、随時取り上げていく予定です。過去に書いたブログに興味がありましたら、お手数ですがブログトップ左側にあります"ブログ内検索"欄に"北村薫の"と御入力ください("の"まで入力してください)。

第9331回「北村薫のミステリー館 その12、盗作の裏側 高橋克彦著 ストーリー、ネタバレ」




 第9331回は、「北村薫のミステリー館 その12、盗作の裏側 高橋克彦著 ストーリー、ネタバレ」です。松本清張の初期短編に通ずる雰囲気を持った40ページ弱の短編です。


「その12、盗作の裏側」高橋克彦著

 美術関係のジャーナリストである"わたし"の一人称で物語は語られます。


 美術評論家・橋本利春の盗作疑惑について"わたし"に問い合わせて来たのは、代議士秘書をしている弦巻(つるまき)という男でした。問題の「ミケランジェロの煩悶」という論文は、無名時代の橋本が10年ほど前に「紀要」という美術雑誌に投稿したものです。


 論文のテーマは、システィナ礼拝堂に描かれた壁画と聖書との関連性についてでした。従来の説明的評論に満足しなかった橋本は、文学的修辞を多数盛り込みました。




 ところが、最近、戦時下の昭和17年に私費出版された美術雑誌に、今では忘れ去られている吉井辰三という評論家の名前で、同種の論文が掲載されていることが発見されたのです。趣旨が似通っていただけでは即盗作とはならないのですが、全く同じ修辞とか、表現がつかわれていたことが盗作の根拠だと、弦巻は言います。


 弦巻の思惑としては、将来使える切り札の一枚として橋本を恫喝することにあったようです。たしかにこのことが公表されれば、橋本に待っているのは美術界からの追放だけだったのですから・・・・。しかも、盗作疑惑について知っている者は美術関係者では、ごく限られたものしかいません。"わたし"としても、「紀要」とオリジナル論文を読み比べれば、橋本の不利は否めません。




 "わたし"は中立の立場で、橋本にストレートにぶつかることにしました。橋本は涙ながら否定します。「あの頃、妻の美津子は死線をさまよっていたんだ。私が姑息な手段に出るはずがないでしょう」、告訴も辞さずと強気で出る一方、弱気も見せます(大きな伏線になっています)。


 橋本との接触を、弦巻から責められた"わたし"でしたが、今一度、詳細に「紀要」論文とオリジナルの木村論文を読み比べることにします。さらに、戦時下で出版された雑誌も全ページを読むことにします。次第に真実が浮かび上がってきました。以下、結末まで書きますので、ネタバレになります。


――――――――――――――――――――――――――――――――






 数日後、弦巻から連絡が入ります。「橋本の件はあきらめたよ。あいつ、強気に出てさ、訴えるってさ。何か強い反論材料があるようだ」、弦巻の指摘を待つまでもなく、"わたし"には橋本の主張の論拠が分かりました。「紀要」の中で意図的に配列された文章にあったのです。


 『 ・・・・ ("わたし"は、橋本が投稿した)「紀要」のその部分を繰り返し眺めた。

美しい構図ではあるが、他の挿話に比べ

つりあいの取れぬ暗い世界だ。神の聖御

子の復活によって、地中を彷徨い続けた

死者が蘇る。天使のラッパがまだ目覚め

ぬ者によびかける。だが、希望とは限ら

ない。多くは新たな地獄へと落とされる  』




 冒頭の一字を追っていくと、『美つ子死ぬな』となります、論文には当時瀕死の妻へのメッセージが籠められていたのです。そうなりますと、木村論文だけでなく雑誌自体が虚構だったと言うことになります。"わたし"が注目したのは、美術雑誌に多い「アトリエ訪問」コーナーでした。


 その雑誌に取り上げられていたのは、当時まだマイナーだった須藤海太画伯でした。肖像の後方に、田園風景が描かれていました。贋作グループは、鑑定書以上に説得力の持つ雑誌の写真を利用したのです。そのために、雑誌まるごと作ったと・・・・。


 その後、"わたし"は橋本の妻とも会いました。妙に懐かしさを感じます・・・・。




(補足) 写真はウィキペディアから引用しました。


(追記) 「北村薫のミステリー館」につきましては、随時取り上げていく予定です。過去に書いたブログに興味がありましたら、お手数ですがブログトップ左側にあります"ブログ内検索"欄に"北村薫の"と御入力ください("の"まで入力してください)。

第9330回「岩波グリム童話集 223~225、鼠と腸詰との話ほか ストーリー、ネタバレ」

 第9330回は、「岩波グリム童話集 223、犬と犬とが嗅ぎっこするわけ 224、耳のいい人と脚の早い人と息の強い人と力の強い人 225、鼠と腸詰との話 ストーリー、ネタバレ」です。4月8日から八十数回にわたって書き続けてきた「岩波グリム童話集」も、今回でおしまいです。


 正直、最後まで書けるとは思っていませんでした。それだけに、感慨深いものがあります。健康上の問題がなければ、毎回3話ずつではなく2話ずつ取り上げていたと思います。それだけ一回当たりに書く手間は大きくなりました。童話なのですが、ストーリーの紹介に当りましては、結構時間が掛かっています・・・・。


「223、犬と犬とが嗅ぎっこするわけ」

 百獣の王ライオンは、家来の犬に命じて料理を作らせました。ところが、料理ができる直前になって、一匹の犬にコショウを買って来るように命じたのです。料理を横目に買い物にやらされた犬は不貞腐れ、隣町から買ってきたコショウを持ったまま行方をくらませました。


 怒ったライオンは、部下の犬たちに怒鳴り散らします。「おまえら、あのコショウを買いに行った犬を探し出すまでは、肉は喰わさん。口に入るのは骨だけだと思え」とライオンにそう言われたものですから、犬たちはお互いにコショウの臭いはせぬかと嗅ぎ合っているそうです。


(蛇足) 実にたわいない動物童話です。



「224、耳のいい人と脚の早い人と息の強い人と力の強い人」

 「71、六人男、世界を股にかける」をシンプルにしたストーリーになっています。特異な能力を持つメンバーも6人ではなく4人ですす。ほぼ、同じプロットですので、「6人男・・・」を全文再掲し、その後、違いを記すことにします。


『71、六人男、世界を股にかける』

 ≪ 勇敢な兵士(①)でしたが、戦争が終わるとはした金で解雇されます。「いまに見てろ」と思いながら歩いていると、立木6本を軽々と持ち上げる男と出会います。「一緒に冒険しようぜ」と言うと、力持ち(②)はうなずきます・・・・。


 そして、2マイル先の標的を撃ち抜ける狩人(③)、鼻息で大嵐を引き起こせる男(④)、異常な速さで走れる男(⑤)、冷気を呼び寄せる男(⑥)と出会い、次々に仲間に加えます。「俺たち六人がいれば、何でもできるぜ」、リーダー格の元兵士は、きっぱり言い切ります。


 そんな一行がある都に着きますと、「王女に駆けっこで勝てる者がいれば、王女を嫁としてつかわす。ただし、負けたる場合は死罪」と高札に書かれていました。ここは異常な速さで走れる男の出番(⑤)です。リーダーの代理として出走することになりました、泉まで走って、瓶に水を入れ出発点に戻るというのがルールでした。


 たしかに、速足男は泉まで大きく差をつけて水を汲んできたのですが、帰りの途中で一休みすることにしました。馬の頭骨を枕代わりにしてグーグー眠ります。その間に、王女が追いつき速足男の瓶の水を捨てたのです・・・・。この様子を見ていた狩人(③)は枕にしていた馬の骨を撃ち砕きます。


 しかし、目覚めた速足男は悠々と泉まで戻り水を汲み、あっという間に王女を追い抜きます。リーダーの勝ちですが、国王はこの男に娘はやりたくありませんでした。御馳走を用意した別室に案内にすると、鍵を掛け、、部屋中を高温にし焼き殺そうとしたのです。ここは冷気男(⑥)の出番です。あっというまに部屋は氷点下になります。


 それでも国王は、姫を渡す気はありませんでした。持てるだけの金貨を渡すと言い出したのです。こうして、リーダーは巨大な袋を作らせ、国王が差し出す金貨全てを力持ち(②)に持たせます。根こそぎ財宝を持ち出された国王は追っ手を差し向けますが、鼻息男(④)が吹き飛ばします。


 こうして、無敵の六人は大金を手に入れました、一生、仲良く暮らしたそうです。 ≫(以上再掲)


『耳のいい人と脚の早い人と息の強い人と力の強い人』

 貧乏な男がいましたが、彼の能力は異常に聴覚が良かったことです。自分の能力を活かすべく旅に出た耳のいい男は、次々と脚の早い人、息の強い人、力の強い人と出会い、仲間に加えます。


 4人はせこい方法で金品を強奪していたのですが、「姫のための薬草を、24時間以内に取って来た者には報奨金を与える」との御触れが出ていることを知ります。


 脚の早い男が、大幅に時間を残して取ってきましたので、姫は無事回復しました。王は持てるだけの金貨を渡すと言い出したので、リーダーの耳のいい男は巨大袋を作らせ、国王が差し出す金貨全てを力の強い男に持たせます。


 ですが、根こそぎ財宝を持ち出された国王は追っ手を差し向けますが、耳のいい男が追撃を知り、息の強い人が追っ手の軍を吹き飛ばしました。こうして、無敵の4人は生涯安楽に暮らしたそうです。



「225、鼠と腸詰との話」

 この動物童話も類似の掌編があります。ネズミと腸詰は仲良しでしたので、日曜礼拝に行く日は残った方が料理を担当することにしました。ネズミが料理番をしている時に事故は起きました。出汁を出すために、腸詰がやっているように、自らが鍋の中で泳いだのですが、溺れてしまったのです。


 教会から帰ってきた腸詰でしたが、ネズミの姿はなく、いつまで待ってもネズミが現れませんので、ひとり寂しく食べることにしました。食べていると、小さな可愛い尻尾が見えます。それを食べるとぷっくらしたおなかが出てきました。それも食べ尽くすと、ネズミの頭が出てきました。腸詰は涙を呑んで頭を食べます・・・・、


 ひとりになった腸詰は寂しさを抱え、料理を作ります。出汁を取るために鍋の中に入りましたが、ネズミがいなくなつたことが哀しくて、心が裂けるようにおなかがポキッと折れてしまいました。


(追記) グリム童話につきまして、過去に書いたブログに興味がありましたら、お手数ですがブログトップ左側にあります"ブログ内検索"欄に"グリム"と御入力ください。なお、番号はKHM(童話番号)です。

第9329回「岩波グリム童話集 220~222、こわがる稽古、ペーテル聖者の母ほか ネタバレ」

 第9329回は、「岩波グリム童話集 220、こわがる稽古 221、ペーテル聖者の母 222 犬が猫と、猫が鼠となかのわるいわけ ストーリー、ネタバレ」です。今回の3話は、前3話と比べ軽い話が多いのが特徴です。


「220、こわがる稽古」

 怖さを知らぬ男の話としては、「4、こわがることをおぼえるために旅にでかけた男の話」があります。比較のために既に書いているブログから全文再掲することにします。


 『 、「4、こわがることをおぼえるために旅にでかけた男の話」

 あるところに、ふたりの息子をもつ父親がいました。長男はこわがりですが、正業に就いていました。一方、次男の口癖が「おらあ、ぞったしたことがねえ」、ぶらぶら遊んでいます。そんな次男を父親は神父に託しますが、逆におどかそうとした神父にケガをさせる始末、家に追い返されます。


 怒った父親は「出て行け!」と怒鳴りつけます。次男には放浪癖があったのでしょうか、父親に言われるままに旅に出ます。途中、普通の男であれば「ぞっとするような」体験をしているのですが、この弟、一向に怖がりません。


 そんな弟が耳にしたのが、「城で三夜、無事に過したものには姫を与える」という御触れでした。早速泊まり込むことにします。一夜目、現れたのは黒猫でした、一緒にカードしますが、あきた弟は猫を殺し、部屋の一隅にあったベッドですやすやと眠りこけます。


 弟を起こしたのは王でした、意外にもぴんぴんしていることに驚きを隠せません。二夜目、現れたのは男たちでした。博打を始めます。混ぜてもらった弟は、わずかに敗けましたが、ケガをしたわけでもありません。王は今朝も様子を見に来ます。そして、三夜目、最後の夜を迎えることになります。


 その夜、出現したのは、老人の死体でした。一緒に寝ていると、死体は動き始め、弟を地下に連れています。そこには、莫大な財宝が隠されていました・・・・。こうして三夜、お城で無事過ごすことができました。王は弟を婿に迎え、褒賞を与えます、めでたし、めでたし。


 ですが、この童話には後日談があります。「おらあ、ぞったしたことがねえ」の口癖は治っていませんでした。毎日これを聞かされた王女はいたずらを思いつきます。真夜中に、背中から池の水を流し込んだのです。「おらあ、初めてぞっとした!」  』(以上再掲)


『こわがる稽古』

 一方、「こわがる稽古」の主人公は、母親に「おら怖さを知りたいから、旅に出るだ」と言ったものですから、母親も豪儀でした。「そうだべ、じゃあリンゴ一袋持って行きな」と渡してくれます。こうして旅に出た男が泊まったのが、幽霊が出ると言われている家でした。誰が応対に出たのかは明らかにされていませんが、部屋に通されます。


 男は鍋を借りてリンゴ・スープ(ソップ)を作りました。深夜、ふたり組の粗野な男たちが棺桶を担いでやってきました。そして、その棺桶に入れられていた死体が起き上がります。怖れを知らぬ男は、強引に死者にスープを喰わせます。


 しかし、死者も負けていませんでした。「シャベルを出せ、墓穴を掘れ、壺を運び出せ」と次々と命令したのです。ですが、そこは恐れを知らぬ男のことです。ことごとく拒否します。仕方なく、死者は自分でやる破目になりました。壺の中に入っていたのは金貨でした。


 怖れを知らぬ男は金貨を母親の元に持って帰ります。「おめえ、もう一度出かけねえか?」との母親の問いに、「2匹目のドジョウはいねえ」と答えたそうな。『 こんな話はこれでおしまい。  マリぼうのとこへ行くべえか、  あの子はよい子じゃ、とんがり口じゃ。 』(金田鬼一訳)で、グリム兄弟は童話を締めくくっています。



「221、ペーテル聖者の母」

 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と同種の話です。ここで、「蜘蛛の糸」のあらすじを紹介しておくことにします。


『蜘蛛の糸(芥川龍之介作)』

 カンダタは悪人ではあったものの、過去に一度だけ善行を施したことがあります。地獄に堕とされたカンダタを憐れに思ったのが釈迦でした。釈迦はカンダタを救うために、一本の蜘蛛の糸を地獄に降ろされます。しかし、カンダタが糸にすがりついたのを目にした地獄の亡者たちは、次々と糸にしがみつき始めたのです。


 カンダタは「降りろ!糸がきれるではないか!」と叫びます。その時でした、カンダタごと糸が切れたのは・・・・。彼ら全員がふたたび地獄に落ちていきます。釈迦には悲しみの表情が浮かんでいました。釈迦は立ち去ります・・・・。


『ペーテル聖者の母』

 聖ペテロ(ペーテル)の母親は煉獄に落とされ、煉獄の炎に焼苛(やきさいな)まれていました。母親を救いたいと思うのは息子としての情です。神の許しを得て、ペテロは煉獄に赴き、母親を連れ出そうとしました。しかし、霊魂となった亡者たちが母親の着物の裾(すそ)にしがみついたのです。


 自分だけが天国に行きたいと思っている母親は、悪しき心から、裾を振り払います。亡者どもはふたたび火の中へと落下していきました。母親を突き落としたのは、糸が切れた訳でもなければ、偶然でもありませんでした。母親の邪悪なることを認めたペテロ本人の意志でした、いまでもペテロの母親は、煉獄の炎で焼かれているそうです。


(蛇足) 「蜘蛛の糸」より、ペテロ本人が突き落とすところに、この童話としての凄みがあります。



「222 犬が猫と、猫が鼠となかのわるいわけ」

 犬、猫、鼠の関係を擬人化した童話です。


 百獣の王ライオンは、これまで忠勤に励んできた犬を顕彰し爵位を与える旨の証書を与えることにしました。犬は証書を仲良しの猫に預けることにします。猫は大事に保管すると約束したのですが、うっちゃっておいたために、証書は鼠にかじられてしまいました。


 こうして、犬は猫を目の仇にし、猫は信用を失う原因を作った鼠に御仕置きをするために喰っているそうです。


(追記) グリム童話につきまして、過去に書いたブログに興味がありましたら、お手数ですがブログトップ左側にあります"ブログ内検索"欄に"グリム"と御入力ください。なお、番号はKHM(童話番号)です。

第9328回「北村薫のミステリー館 その11、わたしの本 緑川聖司著 ストーリー、ネタバレ」





 第9328回は、「北村薫のミステリー館 その11、わたしの本 緑川聖司著 ストーリー、ネタバレ」です。ライトノベル「晴れた日には図書館へいこう」シリーズの一編です。


 『 茅野しおりの日課は、憧れのいとこ、美弥子さんが司書をしている雲峰市立図書館へ通うこと。そこでは、日々、本にまつわるちょっと変わった事件が起きている。


 六十年前に貸し出された本を返しにきた少年、次々と行方不明になる本に隠された秘密…本と図書館を愛するすべての人に贈る、とっておきの“日常の謎”。 』(作品紹介から)


 物語は茅野しおりの一人称"わたし"で進みます。4月から小学5年生になる彼女の両親は離婚しており、しおりは出版社に勤務する母親と暮しています。10年前に離婚した父親のことは憶えていませんが、小説家だということは聞かされています(しかし、ペンネームは知りません)。


「その11、わたしの本」緑川聖司著

 しおりは、「起きろ!」という目覚まし時計に起こされ、チャリで図書館に向かいました。それが休み中の彼女の日課です。司書たちとも顔なじみになっています。特に、従姉妹の美弥子さんとは大の仲良しです。いいろ教えてくれます。


 その日、借り出すべく3冊の本を選定し、借りようかと迷っていたのが、児童書「魔女たちの静かな夜」でした。その本を手に取っていると、服の裾を引っ張る人がいました。カナだと名乗るちっちゃな女の子でした。「その本、あたしの本だよ」


 話していると、カナちゃんは母親を探してひとりで図書館に来ていたことが分かります。その母親は図書館でお仕事をしていると言うのですが、カナちゃんの母親らしき人物は職員の中にはいません。美弥子さんは、その館野カナという子と母親のことは憶えていました。1か月前まではよく図書館で見かけたそうです。


 ですが、肝心のカナちゃんが一時姿を消し、ふたたび現れた時には、おばあさんに連れられていました。その祖母が、しおりの手にしている「魔女たちの静かな夜」を目にした途端に不機嫌になり、「家族のことには口を出さないでください」と高飛車に告げ、カナちゃんを連れ立ち去ります・・・・。


 その夜、しおりと美弥子さんと母親は、カナちゃんの言った「わたしの本だよ」の意味する謎について話し合いました。母親はメモ用紙にキーワードを何件か書き取り、その一部に○印をつけていきました・・・・。


 翌日、美弥子さんを通じて、カナちゃんの祖母が謝罪したいから、図書館に来てほしいとの連絡が入りました。カナちゃんが言う「あたしの本」とは何を意味しているのでしょうか。あとわずかですが、以下結末まで書きますので、ネタバレになります。


――――――――――――――――――――――――――――――――






 


 館野カナちゃんのおばあさんは、館野家の家庭事情を語ります。しおりの両親と同じく、カナちゃんの両親は離婚し、母親がカナちゃんを育てていたのです。母親は児童小説を書いていました。その一冊が「魔女たちの静かな夜」でした。作家活動の一環として、母親は図書館通いをしていたのです。


 ですが、1カ月ほど前に体調を崩し入院することになりました。ひとりとなったカナちゃんの面倒を見ていたのが祖母だったのですが、そのことを教えられていなかったカナちゃんが母親を求めて、ひとりで図書館に来たのです・・・・。


 そこまで聞きますと、しおりは「魔女たちの静かな本」を取り出します。そして、タイトルをメモし、ひらがな部分に○をします。浮かび上がった暗号は、「たちの かな」でした。タイトルは、母親が仮名しか読めない娘のために捧げた献辞だったのです。

 美弥子さんは、祖母の願いを入れ、カナちゃんのために借り出しカードを作ります・・・・。


(追記) 「北村薫のミステリー館」につきましては、随時取り上げていく予定です。過去に書いたブログに興味がありましたら、お手数ですがブログトップ左側にあります"ブログ内検索"欄に"北村薫の"と御入力ください("の"まで入力してください)。

第9327回「中咽頭癌 番外編、公共の場での子どもの野放しと大都市と地方間の教育・しつけ格差」

 第9327回、「中咽頭癌 番外編、公共の場での子どもの野放し、大都市と地方都市間の教育・しつけ格差」です。去る日曜日に、友人家族の御招待で港湾エリアにあるホテル直営のビアガーデンに行ってきました。その場で議論になったのが、子どもの公共の場での野放しでした。


 5時前にホテルまで出かけ、ロビーで待つことにしました。そこでは、丸刈りの男性数人に連れられた親子連れ20人ほどが来ていました。自然と耳に入って来たのが、そのグループが子ども剣道サークルの関係者だということでした。ロビーで、子どもたちが走り回ります。親たちは見て見ぬふりをします・・・・。


 ここで、議論とまではいきませんでしたが、公共の場での子どもの野放し問題について話題になりました。3人の意見を要約しますと、


① 友人・・・・ 「親が悪い、そんな親に育てられた子どもがどうなるのか、自明のことだ」と怒りを隠せません。たしかに、ビアガーデンに席を移しても、狭い通路中を全力疾走していました。

② 友人の細君・・・・ 「東京と地方都市じゃ違うけど、許せないのが"スポ少"のグループだということ。少林寺などあれば、即破門よ」、仕方がないとあきらめる一方、怒りも隠せません。

③ 私・・・・ 首都圏でのマナーを話した後、関西圏のマナーが変ってきていることを話題に取り上げました。そして、触れたのが韓国人観光客に対する首都圏の反応です。さらに、「このビアガーデンと同じことが、ホスピス棟でも普通に見られる」ということを指摘しました。


 ところで、「seachChina」とか、「Focus-Asia」などでもよく取り上げられている「日韓でのしつけ差」です。大同小異ですので、一例として「Focus-Asia」から引用することにします。


 『 この男性の子供たちは韓国に帰国してから、「日本にいた時より自由に遊びまわり、どこでも友達を作っている」という。韓国に戻ってから、子供たちが「活き活きしている」と感じているようだ。日本では、ショッピングモールに行ってもレストランに行っても、親が子供にくっついて、子供がやることをすべて把握しているという。


 自分の子に他の子が近づいてくると、いざこざが起きる前に、「別のところに行ってみよう」と場所を移動することもしばしばだったという。だが、韓国では、知らない子供たち同士が、玩具売場で喧嘩したり、笑い合ったりして、すぐに仲良くなるという。子供から目を離さず、監視をすることはないという。


 一方で、韓国の親に怒りを覚えることもあるようだ。それは、レストランなどで走り回る子に注意をしない親を見かけた時だという。この男性は「韓国は、教育熱心で、子供たちに長い時間勉強をさせるが、家で礼儀作法を教えることは少ない」と指摘している。


 また、日本に駐在していたこの男性の友人も、韓国に帰国した後の子供たちの“激変”ぶりに困っているということだ。日本では、帰ってくるとすぐにうがいや手洗いをし、靴下を洗濯機に入れていた小学生の子供が、韓国に帰ってきたとたん、何もしなくなったという。 』


 こういう記事を実際に目にしていましたので、「韓国人じゃないの、日本統治下で教えていた剣道を、韓国では今でもやってるよ」と付け加えました。もちろん、怒り半ばでの発言です。むしろ、その場では短く切り上げた「ホスピス棟での常態化」でした。


 土日は、多数の孫たちが見舞いに訪れるのですが、決して少なくない家族が子どもたちを野放しにしています。ラウンジから病室廊下までを走り回っているのです。もちろん、病室にいる患者とは死期の近い患者が暮らす場所ですし、危篤状態の人もいます。もちろん、それを見守る家族も・・・・。


 では、全くデタラメかと言いますと、中には「日本もまだ捨てちゃもんじゃない」という光景に出合うこともあります。20日ほど前のことでした。3人の姉弟のうち、小学低学年っぽい末の弟が走り回っていたのですが、中学生らしき姉がその子をエレベーターホールに連れて行きます。


 そして、「○○、騒がないって約束でしょ?だから連れて来たのよ」と弟を叱責しながら連れ出していました。言葉には横浜なまりが感じられましたので、土日を利用しての首都圏からの見舞いかと思います。その際感じられたのが、首都圏を含む大都市と地方都市間での教育・しつけ格差ということでした。


 確かに、大都市と地方の間には、歴然とした経済格差(主として賃金格差)があります。しかし、じわじわと教育・しつけ格差も広がっているのではないでしょうか。ホスピス棟に入院して、そのような実態を知ったことは寂しい現実です。デパートとかビアガーデンならまだしも、生者が最期を過す場所で・・・・。


 もちん、親は知っていても知らぬふりをしています。老後を地方でと考えているのであれば、地方で暮らす人々の無神経さ、がさつさを受け入れる覚悟が必要です。


 ところで、ビアガーデン騒動記には余話があります。早目に切り上げたのですが、出入り口付近で二人組の中年男性が、子どもたちを激しく叱責していました。「目障りなら、あなたが叱ってください」、それがスポ少を持つ親たちの言い分であり反応でした。


(蛇足) 上記の事例は、あくまで私の居留エリアでの現象ですが、多くの地方で見られる共通の事態ではないでしょうか。


(追記) 決して愉快な内容ではありませんが、ブログテーマ「ガン日記」に興味がありましたらアクセスしてください。

http://ameblo.jp/s-kishodo/theme-10081936925.html