おとなげない大人に至る道
少年いしはら
やっと音楽全体が聴けるようになってきた♪
こんにちは。
相模の風THEめをとのダンナ
いしはらとしひろです。
【やっと歌が聴けるようになってきた】
ギター愛ストーリー その3
こうして、ようやくギターソロの呪縛から逃れ、ギターの色々な役割に気づき始めた少年いしはら。
ここに至る記事
「ハイウェイスターが遠くへ行った日
「速弾き呪縛からの脱出」
この頃はまだ「ギターしか」聴けていませんでした。
歌も音楽全体もちゃんと聴けていなかった。
まぁ楽器を始めて一年以内くらいの人の「あるある」だと思います。
僕はギターを始めるまでは、そんなに音楽に熱心なわけではなかった。
レコードもほとんど持っていなかったし。
大ヒットした曲はさすがに少しは知っていたけれど、たとえばジュリーの歌をしょっちゅう口ずさんでいる、とかなかったし。
クィーンやビートルズがきっかけで、音楽を本気で聴き始めて。
その半年後くらいからギターを始めて。
音楽を聴く、ということ自体がよくわかっていなかったんだと思います。
ギターソロのみしか聴けていない→曲の中のギターの役割を聴けるようになった。
まあ、これだけでも大進歩ですが、歌やサウンド全体はまだまだ聴けていなかったなぁ。
たとえばロックを聴き初めの頃なんかは、個々の音はほとんど聞き分けられていなかったと思います。
なんか塊としてのバンドの音があって、歌があって、あと耳につくソロを弾いている楽器があって。
それくらいしか聴き取れていませんでした。
音楽に関しては、もちろん人それぞれ色々な聴き方がありますが、曲全体サウンド全体をぼうっと聴くのが今は一番好きです。
でもそれはギターから始まり、各楽器の絡みや音のミックス、全体のアレンジなんてことを考えるようになってから、個々の音の解析的な聴き方をし過ぎていたから。
音楽をやる以上、そういう風に音楽を聴くのも必要な時があります。
でもそれをやりすぎると、音楽の、歌の本質的な楽しさや良さを聞き逃してしまう時があります。
また、解析リスニングは疲れる聴き方でもあります。
音楽を聴くこと自体に疲れてしまう。
ぼうっと音全体に身を浸して聴くのが、今は一番幸せ。
さて、ギターしか聴けていなかった僕が、再び歌をちゃんと聴けるようになったのは。
ローリング・ストーンズを好きになると、彼らが黒人音楽、特にブルースやリズム&ブルースに影響を受けている、なんてことがわかってきます。
そこで僕もストーンズのルーツとなった音楽を、いくつか聴き始めます。
そんな中で、オーティス・レディングとかサム&デイヴ、アレサ・フランクリンなんて人達に惹かれていきます。
泥臭くはあるけれど、ブルージーかつ歌心の豊かな音楽。
そう、今度は歌もちゃんと聴けてます(笑)
そして、オーティスやサム&デイヴのバックを務めているのが、同じグループだ、ということを発見します。
そうか、歌う人は違うけど、なんとなくテイストが似ているのは、バックバンドが一緒だからだ!
大発見!(まあ、ソウルミュージック好きなら誰でも知っていることなんですけど 笑)
ブッカーT&MG’Sというグループ。
そしてそこでギターを弾いていた、スティーブ・クロッパー。
僕がこの人たちの音楽に出会ったのは1980年〜81年頃ですが、その頃の音楽と比べても、相当に音数の少ないバンドサウンド(1960年代の音楽ですからね)
スカスカ?
でもそれがいいんです。
それだからこそ、いいんです。
スティーブ・クロッパーの演奏もシンプルかつ音数の少ないものがほとんど。
いわゆるリードギターもほとんど弾かず、リズムを刻むのに徹している。
最小限の音で、曲の骨組みを支えている。
これはカッコいい♪
最小限ということは、もうその音がなくなったら伴奏として成立しないギリギリというところ。
そして弾きすぎない、音を多く置きすぎない。
これはすげ〜な、カッコいいな、美学だな!
この頃から少しずつ歌全体、アンサンブル全体を聴けるようになってきたのかも。
ストーンズ→サム&デイヴ→スティーブ・クロッパーと、音楽的な耳が少しずつ鍛えられていきます。
そして音楽全体が、だんだんと聴けるようになっていきます。
音楽の面白さの、少し深いところに入ってき始めたわけですね。
今日は音源も貼り付けておこうかな。
サム&デイヴのカッコいい歌、そしてクールなスティーブ・クロッパーのギターが聴ける「ソウルマン」は下のリンクから。
↓
そう、あと少しで沼です。
というところで、次へ続く!