それでは8幕目です。
テーマは解放。
どうすればこの怒りを手放すことができるかです。
私が、これからチェコで出会う人々に〇〇することがポイントです。
何故私はわざわざ言葉を通じない国に来たのかもポイントです。
答えは、チェコ語を学びチェコ語で
・こんにちは
・おはようございます
・さようなら
を言うこと。
これを続けていくこと。
言葉を学び、自分から相手に寄り添っていこうとしているうちに私が変わり、私の怒りは解放され、怒りは終わりになります。
答えはとても簡単でシンプル。
恐らく、私が挨拶する人たちは、昔私を火あぶりにした人たちです
(チェコに来て、今ちゃんとチェコ語を勉強しています!そして、チェコ語で挨拶をし、声をかけてお互い笑顔になっています^ ^ 今この記事を書きながら、私を火あぶりにしたであろう人、何人か思い浮かびます)
生まれ変わったら、笑顔で挨拶から新しい関係を築く。行動で変わる。
そうやって自分の怒りがなくなれば向こうから矢は飛んできません。
私が(自覚がなくても)腹の中でコノヤロウと思っているから攻撃のエネルギーが飛んできていただけです。
私が先に怒りをなくせば、自作自演をして自分には怒りがあるんだと自覚させる必要はなくなります
相手に言葉を合わせて行くというのは思いやりです。
これは私は韓国でもやってきていたことです。
これからはチェコでやっていくこと。
怒りを手放すために、先ずは私から歩み寄ります。
ここで、過去世で、火あぶりにあった家族は今世では誰に生まれ変わっているかを取ります。
先ず養子になった3カ月の男の子→私
(捨てられ、火あぶりにされたから相当怒ってます!焼かれたから私の手荒れもここ関連しています。手荒れは火に炙られた時の症状の再現です。)
拾ってくれたお父さん→ テオ
拾ってくれたお母さん→義母
(昔夫婦だったから、義母はテオが可愛くて仕方ないそうです)
拾ってくれた家族の子供1→旦那
拾ってくれた家族の子供2→義母方のもう亡くなったおじいちゃん
セッションでは、義母も相当怒っていると出ました。
それを聞いてだからかぁと思ったエピソードがあります。
最初、チェコの駐在話が出た時、義母は反対し、行くなら旦那だけ行けと言っていました。あんまりいい予感がしない土地だというのが分かっていたのだと思います。
でもね、テオはカルマになっていないそうです。
つまり、怒っていない。
それは愛が深いから。十字架に架けられたイエスキリストの心をよく理解していた聖人だったそうです。
自分を火あぶりにした人を恨むことがなかった。
だから今でも聖人のエネルギーを放っているそうです。これは今回のセッション⑤に関連してきますね^ ^
さて、ここで私が疑問に思ったこと。
それは、この家族にセオが出てこない。
なのでセオがどこにいるのか情報を取ってもらいました。
結果、セオは拾ってくれたお父さん(=テオ)の父親。
つまり、聖人を育てた親ということ。
ということは、自分の息子を殺されたということになりますが、やはり人を恨むことはなかったそう。
だから人々はセオを恐れる。
これはセッション⑥に関連してきます。
セオは人を責めることはないが、人はセオに裁かれている気持ちになるそうです。
そんな中でいつまでも怒っているのが私。
だから強盗にあって蹴られたりして怒りを思い出す自作自演をするわけです。
頭を蹴られたりするのは、考えていることが間違っているよ!大間違いだよ!ということ。
チェコに来てまで怒りのエネルギーを飛ばしていると、同じエネルギー同士結びついて、怒っている人(強盗)を引き寄せるわけです。
そして火に炙られている症状(手荒れ、咳等)が体に出るわけです。
私が韓国にいたのも同様の理由だと思われます。
そこで、韓国の人は怒っているという面を見るのではなく、笑顔の挨拶でこちらから歩み寄り、変えていこう、そうして過去の怒りを手放していこう。
そういうことを私は色んな国でやっています。
これが私のカルマの解放。
セッションのおかげで先手先手で行けました。
ここでスースが一言。
チェコで本当にお世話になる人が火をつけた人だから(笑)
それは、その人の中での罪悪感の解放。
だから、ありがたく受け取ってくださいね。 と
人はカルマの解放のために生まれ変わっています。
分かって行くのと知らないで行くのとでは大違い。
私が生まれてきて、チェコに行く意味は、怒りを手放す為でした。
この怒りを抱えていては私はこの先幸せになれないから。
誰しもが何かに気付き変わり、より幸せになるために自作自演をして生きています。
その気付きの手伝いがセッションです。