坊主隊、僧侶隊 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

{8CFBC874-F150-401E-8B28-84A2AC351A6A:01}
西本願寺、本堂

坊主隊、僧侶隊、念仏隊、本願寺隊とか呼んだ隊について書く。例えば、長府藩報国隊一番大隊所属の僧侶隊では、外艦打ち払い、前田の戦い、四境戦争と攘夷運動初期から、寺の梵鐘などの供出、二、三男が主に出兵するなど活躍した。

門徒の百姓も諸隊に参加し、寺院は諸隊の宿営とした。そのおかけで、明治期の廃仏毀釈運動に、長州藩内の浄土真宗寺院は影響を受けなかった。

織田の石山本願寺攻め、徳川の一向一揆弾圧に対し、毛利が本願寺を守って以来の強い結びつきが有ったのであろう。また、徳川幕府の東本願寺の擁立などの西本願寺への嫌がらせなどもあり、京都の西本願寺でも志士への援助、幕府方への諜報活動、朝廷への金銭援助、本願寺隊の結成を行なっている。門徒である民、百姓の絶大な支持と団結が伺える。

海防僧と呼ばれた月性らの活動が西本願寺や、吉田松陰先生などに影響した結果、草莽崛起論となり、高杉晋作の奇兵隊結成につながる。月性の弟子、僧、大洲鉄然は第二奇兵隊や僧侶隊を結成した。



参考


西本願寺


{A5B04B7B-3A1B-4D26-AC91-5591B9D34E61:01}

昭和初期のお寺の住職と門徒総代の記念写真のバックに長府毛利家の家紋が見える。



② 妙蓮寺は僧侶隊を結成し、関門海峡の外艦打ち払いに出撃した