長谷山 妙蓮寺、蒲生野 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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浄土真宗本願寺派 長谷山妙蓮寺
山口県下関市蒲生野415番地

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大内義隆の家臣に原田右衛門之尉道信が大永三(一五二三)年仲秋京に上り本願寺九代實如上人に竭し剃髪して法名釋道信を賜り、實如上真筆六字の尊号を頂き、この蒲生野の地に一字を創草する。道信天分十二年十月九日八十三歳にて往生。

当時の開基とされている道信は原田家系図にもその名を見るから実在したものだろうが、信仰集団のリーダーであって、本当の意味での妙蓮寺(真宗としての)出発は五代目浄誓の代・寛永年間である。隆盛であったのは八代目祖嶺の時代・後妻に萩本藩々主の側室(毛利伊賀守の生母)貰い、そのため引幕は一に三つの星の紋を用いることを許されている。

寺号免許となったのは寛永十五(一六三八)年。

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十四代薩雲は寺社奉行直触を勤め幕末僧侶隊などの記録を含む「薩雲一代見聞記」を残している。

四国連合艦隊との攘夷戦では萩本藩兵宿舎となった(維新史回廊構想推進協議会より)


参考