菅原神社、下関市南部町 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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菅原神社、下関市南部町

摂社 恵比須神社


正暦年中(990~995)大宰府より分霊を勧請して社殿を建立、建久及び宝暦に再普請を行った。毛利家の崇敬が殊に厚く、由緒ある鎮守で俗に長門天神様と称えられています。昔の社殿は戦災で焼失、のち、再建立の拝殿は亀山八幡宮より移設し施設を整えて、昭和二十七年九月十五日宗教法人となり、亀山八幡宮の末社として宮司の司祭となっています。


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飛び梅

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関門海峡の遠景、道真公は眼下に潮の流れをながめられた。


暁詠山(ぎょうえいざん)

菅原道真公が九州へ御下向の時、この山に登られ給い、早鞆の清潮に、憂愁を慰め給い、一首をお詠みになられた。この故事を偲び暁詠山というようになった。

長府に滞在中に赤間関のこの山上から海峡をご覧になられたことになる。この故事にちなみ、菅原神社を下関市役所のある南部町の山上に創建した。

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腰掛け石、道真公が座られた。眼下が関門海峡。

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元海峡から神社を見上げる。

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由緒

参考