形象埴輪が朝鮮半島南部の古墳から出土 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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日本だけと思われた形象埴輪が朝鮮半島南部にもあった。5世紀後半から6世紀前半に作られた古墳から出土したとか。この時期は秦氏が大挙して日本に渡来していた時期に、日本から朝鮮半島に形象埴輪が伝わるのかどうか?出土時期が遅い方に伝わると言うのか?人物や動物、家などの形象埴輪自体が秦氏(土師氏)が日本にもちこんだものであり、特に馬はこの時期に朝鮮半島から日本に渡来した家畜である。戦乱の中国大陸から逃れて朝鮮半島南部に達して留まり、5世紀前半ころから7世紀初めまで日本に渡来したが、渡来待機中に没した秦氏の幹部クラスを朝鮮半島に葬ったから形象埴輪を埋葬したのであろう。中東からシルクロード経由で朝鮮半島南部に移動する間、足跡を残さなかった秦氏であるが、任那など日本勢力圏内にあって、日本に到着したつもりで日本国内と同一形式で葬ったのであろう。ちなみに、前方後円墳も同時期、同地域に存在が確認されている。


参考

【ソウル共同】韓国南西部、全羅南道の咸平にある5世紀後半から6世紀前半に造られた古墳で、鶏などをかたどった形象埴輪の破片が出土したと、発掘に当たった地元の全南文化財研究所が平成26年12月25日までに明らかにした。同研究所の依頼で破片の写真を見て確認した花園大の高橋克寿教授によれば、韓国では円筒埴輪の出土例はあるが、形象埴輪の出土が確認されたことはない。北朝鮮領内で発見の情報もなく、朝鮮半島初の出土確認とみられる。埴輪は日本から朝鮮半島に伝わったと考えられる。中でも形象埴輪は葬送時の儀礼など古墳をめぐる祭礼、祭祀に関わる場面を表したと考えられている。


韓国・全羅南道咸平の金山里方台形古墳で出土した形象埴輪の破片。日本で出土した馬型の埴輪(左)の、点線で示した部分に相当するとみられる(全南文化財研究所提供・共同)