天の浮橋 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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高天原は日本に4ヶ所あったが、これらは渡来人の受け入れ施設であった。その中で日本書紀や古事記に記載され有名な場所として、筑紫の日向があった。その他、出雲、八幡、下関・梅ケ峠などがある。それでは、送り出す方の国は朝鮮半島の任那であるが、具体的な送り出し施設の場所はどこであろうか?任那に倭人の拠点、任那日本府の存在が云われているが、ここが送り出し施設としての高天原であろうか!


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朝鮮半島の高天原と日本の高天原の間の渡海ルートは宗像の沖ノ島を通過するが、このルート海北道中が天の浮橋であろう!浮島(うきしま)は沖ノ島(おきのしま)であろう!

その様に解釈すれば、笠沙の岬は宗像の神湊の草崎、筑紫の日向は宮地嶽神社(高天原の一つ)であることが、さらに明確になる。


参考

筑紫の日向

筑紫の日向の語源

高千穂なクシフルタケに降りるとは

海北道中、沖ノ島、宗像大社

海北道中

任那日本府

任那日本府も高天原説1

任那日本府も高天原説2

任那日本府も高天原説3


古事記の天孫降臨

邇邇藝命は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った。

天忍日命と天津久米命が武装して先導した。天忍日命は大伴連(おほとものむらじ)らの、天津久米命は久米直(くめのあたひ)らの、それぞれ祖神である。邇邇藝命は「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙(かささ)の岬まで真の道が通じていて、朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。それで、ここはとても良い土地である」(「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國 夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』)と言って、そこに宮殿を建てて住むことにした。(古事記、wikiより)


日本書紀の天孫降臨

天稚彦の派遣から葦原中国平定後、時に高皇産霊尊は真床追衾(まとこおふすま)を以ちて、皇孫(すめみま)天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆って降臨させた、とある。

皇孫は天盤座(あまのいはくら)を出発し、また天八重雲(あめのやえくも)を押し分け、稜威(いつ)の道(ち)別き道別きて、日向(ひむか)の襲(そ)の高千穗峯(たかちほのみね)に天降き、とある。(日本書紀、wikiより)


朝鮮半島の南部、任那に形象埴輪や前方後円墳があった。


最初に天降られたニニギノミコトの現地妻、木花咲耶姫は漁師の娘


猿田彦がニニギノミコトをご案内した