卑弥呼は皆既日食を見たか! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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『魏志倭人伝』や、中国の史書『北史』によれば、卑弥呼の没年は247年か、248年のことである。卑弥呼が没した前後の、247年3月24日に中国で日食のあったことが、『三国志』と『晋書』に記されている。 この西暦247年3月24日の日食は、日本では沖ノ島において皆既日食であった。


参考

卑弥呼の死の前後の日食シミュレーション研究(参考)で、響灘沿岸は前後二回とも見ることができ、247年3月24日日没前の響灘西方に皆既日食、春分の日の後と、248年9月24日朝の響灘沿岸で東方に部分日食、秋分の日の後であった。

天気はどうであろが?現在と古代は比較出来ないが、現在の宗像市の平均降雨などは参考になろう。降雨確率は高く無く、曇っていても、日食による日照変化は判別出来よう。