北九州の糸島半島の地名と三重県の伊勢、志摩の関係 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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北九州の糸島半島の現在の糸島市に律令制時代、怡土郡(いとのこおり)、志摩郡とがあった。魏志倭人伝では、怡土郡は伊都国、志摩郡は斯馬国として表記された

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糸島半島、西側が糸島市、旧志摩郡、東側が福岡市西区、旧怡土郡

近畿では三重県に伊勢、志摩が隣り合っており、北九州の伊都(怡土)、志摩との関連が伺える。例えば、地名学者の鏡味完二氏によれば、北九州において海の方(北部)に怡土、志摩とあるのを、近畿では伊勢、志摩と対応させると、山の方(南部)へは耳納、日田、熊とあるのが近畿では(東方向に)美濃、飛騨、熊野(ちょとやぶにらみか!)と類似している。さらに北九州の志賀島が伊都国の東方向となるのに対し、近畿の滋賀は伊勢の北方向にある。

すなわち、近畿の伊勢志摩辺りから見た各地の地名を90度時計周りに回転させ、縮小させて北九州内に貼り付けている感じになる。この地名を使って魏からの使者を案内しており、魏志倭人伝で邪馬台国が南方向と誤解したのも、邪馬台国(宗像の女王国)の案内者の策略だった。こうしておけば、将来、日本国内の情報が他国に漏れても、北九州内の出来事と思われることになる。なんと、邪馬台国の官僚の頭の良いこと!素晴らしい!


参考



伊勢は、ヘブライ語で「神の救い」とか(参考)。古代ヘブライ語で、「伊勢」は「イーシュ」と発音し、「救い主」という意味をもつ(知恵袋より)。

いと[糸、伊都・恰土(福岡県前原市)](Heb.)העד,IDA, edah, ユダヤ人共同体、証人、または(Heb.)עד,ID, eda, 証人、立会人

しま[志摩、福岡県糸島郡]シマ[シヴィ](Heb.)סב, SV, siu, 糸    (参考)


志摩について、大宝2年西暦702年に作成された「筑前国嶋郡川邊里」という場所の戸籍が正倉院に残っている。この戸籍に「嶋郡」とある。現在の志摩は、元々はこの地は「嶋」の意味で付けられたことを示している(参考)。