古代、中国、朝鮮の来客に対して、西方向を北と言い張る実例は3ヶ所見つかった。その3例とも朝鮮半島に最も近い海岸で、来客が上陸する可能性の高い入江周辺に命名されている。
西方向に面した
北浦海岸、山口県下関市の響灘沿岸を昔からそう呼んでいた。関門海峡に日本西門鎮守八幡宮、角島近くの島戸に東門鎮護住吉八幡宮を創建している。真ん中にある鬼ケ城山が長門城と思われる。佐賀県伊万里の南に西松浦郡、西に北松浦郡、北に東松浦郡がある。伊万里湾も良港で現在、陶磁器の積み出し港として有名であり、魏志倭人伝にある末盧国であった。
長崎県に北に東彼杵郡、南に西彼杵郡がある。長崎県の大村湾の南北が東西と言うことである。佐世保市や長崎市など、この辺りは良港であった。
参考
中学校社会科地図ー最新版ー、昭和40年3月25日発行、帝国書院編集部