伯方島(はかたしま)、今治市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

瀬戸内海の島に伯方島がある。現在、しまなみ海道経由で陸路を直行出来る。

{DB98F43A-B4FC-4F5E-828B-B01A334D1CAF:01}

大山祇神社のある大三島の隣りにあり、製塩で知られている。

{FE2EF61A-BE98-489F-A2BF-226D7475AC71:01}

島の名前、伯方島(はかたしま)の読みは、福岡県の博多の筥崎宮から673年に勧進された八幡神を祀ることが由来であるとか?しかし、当の筥崎宮は延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり、筑前国穂波郡の大分宮を玄界灘に面した土地に移したのに始まる。延長元年(923年)に現在地に遷座したとある(wikiより)。すなわち、伯方島の八幡神社の由来が間違っていた!

大阪府和泉市(いずみ)に伯太(はかた)町があり、ここの地に伯太(はかた、博多)神社が鎮座している。この神社の創建が673年とあり、この神社から勧進されたとすると時期が完璧に一致する(参考)。また、実際の社殿の造営は1057年頃とのことで、この時期なら博多の筥崎宮との関係も成り立つ。神社の由来を考慮すると、九州の博多と大阪の伯太のつながりの根拠になろう!


参考

① 喜多浦八幡大神神社、今治市伯方町北浦2463

{D5920B55-31D0-416E-97FA-B8858AC12350:01}
祭神
息長帯比賣命、品陀和気命、伊邪那岐命、伊邪那美命、少名毘古那命、天目一箇命

由来
社伝によると、白鳳2年(673)九州博多の筥崎宮より分霊勧請し、創建された。よってこの島を伯方島と名付くと伝えられている。また、康平~延久年間(1057~1075)に越智親経が伊予の国司源頼義の命に従い、越智磯麿が伯方上島の総社として北浦の地に社殿を建て、祭祀を行わしめたといわれる。

合祀伊方神社は承久の乱後、河野通秀が当社に合祀した。祭神は天目一箇命である。六國史三代実録によると、同社は貞観2年(860) 10月従五位下の神階を授けられた國史現在社であった(参考)。