標野の語源、横野の書き誤り | 日本の歴史と日本人のルーツ

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標野(しめの)の語源: 額田王の万葉歌1-20が初出で、歌の読者が標の原義から禁野と誤解した。以降、千数百年にわたり漢字辞典の中の標野の用例となったようだ!


額田王は横野を歌うつもりが、横野を標野と書き誤った。下関市横野町は、古代、北東から南西に伸びる砂洲であった。その先端が村崎ノ鼻である。



参考

しめ-の 【標野】

名詞

上代、皇室・貴人が領有し、一般の立ち入りを禁止した野。狩り場などに用いた。「禁野(きんや)」とも。


出典万葉集 二〇


「あかねさす紫野(むらさきの)行きしめの行き野守(のもり)は見ずや君が袖(そで)振る」


[訳] ⇒あかねさす…。


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しめなわ【注連縄・標縄・七五三縄】
境界を示し出入りを禁止することを示すために張りまわす縄。特に,神事において神聖な場所を画するために用いたり,また新年に門口に魔除けのために張ったりする。わら縄を左縒(よ)りにない,わらの尻を三・五・七筋と順にはみ出させて垂らし,間に紙の四手(しで)を下げる。しめ。


ひょう〔ヘウ〕【標】
 目じるし。また、目標。
 朝廷の公事(くじ)のとき、百官の席次を定めたしるしの白木。
「衆目の―になりたい」〈蘆花・思出の記


ひょう【標】[漢字項目]
[音]ヒョウ(ヘウ)(呉)(漢) [訓]しるし しるす
 目じるし。目あて。「標識・標準・標的・標本/指標・商標・道標(どうひょう)・浮標・墓標・目標・門標
 目立つように示す。「標語・標示・標榜(ひょうぼう)
[名のり]えだ・かた・こずえ・しな・すえ・たか・ひで
[難読]標縄(しめなわ)・澪標(みおつくし)・道標(みちしるべ)


きん‐や【禁野】
天皇の狩り場として、一般人の狩猟を禁じた野。標野(しめの)。大和の宇陀野、河内の交野(かたの)など。


横野、下関市横野町

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横野(左手上の防風林の辺り)と村崎ノ鼻(左手下)

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向こうが響灘(西方向)、元は砂洲であった。現在、ネギを生産するビニールハウスが並ぶ畑地となっている。

横野の東に蒲生野がある。