祭神:猿田彦命
白鬚神社の総本社。沖島を背景として琵琶湖西岸の湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称される。壬申の乱から二年後の白鳳2年(674年)には、天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜った。
猿田彦命は武内宿禰や安曇磯良と同一神とされ、安曇氏、和邇氏、小野氏が祀る神である。
参考
伝説では、猿田彦が白髪の老人の姿で現れたという話が「白髭神社」となっていますが、古代に新羅の人々が入り込んで集落を作っていた為に『新羅神社』の呼び名が長い間になまって「白髭神社」になったという説もあります。このいわれは対岸の百済(くだら)の入植地と似ている。両者とも、日本海側から入って琵琶湖周辺に定住した渡来人なのだと思われる。
島町の大嶋・奥津島神社から白鬚神社までの直線をさらに延ばすと、今度は水尾神社にいきつく。
水尾神社の祭神は、一説に猿田彦神といわれており、猿田彦神と同体とされる白鬚神と共通する。また白鬚神社近くの長谷寺の「長谷寺縁起絵巻」において、本尊である観音像を刻む依木を運ぶ際にそれを守護するのは、白鬚の老翁(三尾明神)である。さらにその依木は、水尾神社を擁する三尾山の木であるという。三尾山から水尾神社の境内を通り琵琶湖にかけて、水尾川という川が流れていたという。この川を隔てて、水尾神社は河南の社と河北の社に分かれていた。このように、水尾神社は、長谷寺を介しても白鬚神社との結びつきが非常に強くなってくることがわかる。
福岡県宗像大島の中津宮の七夕を髣髴とさせる水尾神社: 水尾神社の祭神は猿田彦神とされているということを前述したが、これは、水尾川を隔てた河南の社に鎮座していた。一方、河北の社には猿田彦神の妻である天細女神が鎮座していたという。川を隔てた夫妻で連想するのが、天の川で隔てられた牽牛と織女の七夕信仰である。水尾・白鬚を奉祭していると考えられる沖島と島町の宗像神の本場・宗像大島の地において、七夕の信仰が見られる。宗像の大島に鎮座する宗像大社湍津宮内(中津宮)に織女宮が位置し、境内を流れる小川を挟んで川の向こうに牽牛宮が位置するのである。
水尾神社における川を隔てた夫婦の位置関係は、宗像の七夕信仰を髣髴とさせる。
そして、島町において大嶋・奥津島神社だけでなく、大島神社の名ももつのは、宗像において川を隔てた夫婦の位置関係がつくられた七夕信仰が大島においても、水尾神社同様に行われていたからなのだろう(参考)。