宗像大社、中津宮、大島 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

中津宮のある大島には天真名井がある。日本書記では天真名井と言う霊泉が記載されており、この『天真名井で、天照大神と須佐之男命の誓約(うけい)により、天照大神が須佐之男命の剣、十拳剣(とつかのつるぎ)をとって、三っつに割り、『天真名井』の聖水を口に含み、勢い良く吹きかけ、その吐噴霧から3柱の女神が化生いたしました。

また、古事記では天の安河とあるが、天真名井から流れ出る天の川のことで、七夕の神話に繋がり、やはり大島で七夕神事が執り行われている(参考)。

ここが高天原と主張しているかのようである。儀式はここで執り行われたとしても可笑しく無いが、沖ノ島を中心とした高天原の一部と考えた方が合理的である。


参考

{F78DC4DF-C5C3-4B68-8144-E2DC256B03CE:01}
宗像本土より沖合11kmにある「大島」は、東西3.2km、南北1.7km、周囲15kmの福岡県で最大の島です。

{F71C257B-68B3-439D-BF37-6604389B9905:01}
湍津姫神(たぎつひめのかみ)をお祀りする中津宮は、島の南西岸に海を隔て、辺津宮と向かいあって鎮座しています。

 島の北側には沖津宮遥拝所があり、天気の良い日にはここから遥か沖ノ島を拝することが出来ます。


{B7B2B46B-39B6-43BD-8D55-45C233AAD8BB:01}
牽牛神社

{8C5B4308-9B7C-4F11-8107-92FBF7ECD6CB:01}
天の川と織姫神社の鳥居

中津宮七夕祭は鎌倉時代まで遡ることができ、七夕伝説発祥の地といわれています。

 「正平年中行事」(1346)には「七月七日、七夕虫振(むしふり)神事」とあり、境内にある牽牛社(けんぎゅうしゃ)、織女社(しょくじょしゃ)に参籠(さんろう)し、水に映る姿によって男女の縁を定める信仰があると記されています。

{EE5FFDA0-2209-4EC8-AF9F-1EE0BB91CC81:01}
天真名井(参考)

{B800424F-57A7-47F6-8B00-D02CD87FFCC8:01}
天の川、天真名井からの水が流れ出す(参考)



機織り、裁縫の最初の導入地として、中津宮の他、織幡神社、宗像市鐘崎縫殿神社、福津市奴山など宗像地方に集中している。鉄器製造、須恵器製造の工人も渡来した。