狗留孫山の岩陰祭祀と沖ノ島 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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北緯34度13分


沖ノ島の真東に二見浦の夫婦岩があり、さらに標高616mの狗留孫山が航海目標として存在している。

この山の信仰は古く、遠く古墳時代にまでさかのぼり、現修禅寺の本堂右の高さ10数メートルのそびえたった巨岩(陽)とその下段の長さ5メートルの洞穴を持つ重なり合った岩石(陰)は、共に古代自然崇拝の遺跡です。正に沖ノ島の信仰とよく似ている。


さらに東にも山口市徳地に狗留孫山がある(参考)。


参考

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狗留孫山修禅寺は、御嶽観音として広く知られ、真言宗醍醐派別格本山、狗留孫山霊場八十八箇所総本寺です。狗留孫とは梵語の音訳で「実に妙なる成就」を意味します。

心願成就のお山、狗留孫山(616m)は別称おだけ「御嶽」と呼ばれ、古来より修験道の霊山、観音霊場として弘法大師(開山)、栄西禅師(中興)など高僧が留錫されています。霊験あらたかな真言密教寺院として藩政時代には、毛利家、毛利藩の祈願所でした。

260ヘクタールにも及ぶ寺有林は老杉古木うっそうと茂り、中でも市指定文化財「一本杉」は、当山の歴史を物語り、山頂からは日本海、関門北九州、瀬戸内海、長州連山の雄大な眺望が楽しめます。なお、文化財保護法により全山が国の名勝に指定され、山口県立自然公園にもなっています。

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北九州方面


由緒は古く、遠く古墳時代にまでさかのぼり、現本堂右の高さ10数メートルのそびえたった巨岩(陽)とその下段の長さ5メートルの洞穴を持つ重なり合った岩石(陰)は、共に古代自然崇拝の遺跡です。

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この巨岩(陽)=御霊石は、寺伝に観音岩と称され、往昔、沙褐羅(釈迦面しゃかつら)龍王が、狗留孫仏に請い建てるところの塔婆の頭で、観世音菩薩の化身であるといわれています。

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沖ノ島と伊雑宮を結ぶ東西線上にあった(参考)