宗像大社周辺に邪馬台国時代の遺跡があった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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宗像市あたりは従来、古墳時代中後期のものが出土していたが、古墳時代最初期の邪馬台国時代の遺跡が近頃見つかった。邪馬台国の中の西端にある女王の国の居住地域だったのであろう!


参考

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左上◎が田熊・石畑遺跡 、中央が宗像大社 、釣川河口上空

第25回 宗像市の田熊・石畑遺跡の謎

2015年3月22日放送


宗像市のJR東郷駅の近く、交通量の大変激しいところにこの遺跡はあります。この遺跡は弥生時代中期前半頃の遺跡で、ここからは銅剣・銅矛・銅戈が大量に出土し古代史ファンの注目を集めています。


何故ならこの遺跡の時代は、魏志倭人伝に登場する邪馬台国時代の国々と同時代または少し前の時代の遺跡ではないかとみられているからです。しかも、出土した銅剣・銅矛・銅戈といったものはこれらの国々の王墓から出土しているものだからです。ここでは、一つの墓から多いので銅剣が四つ、銅戈が一つという墓もあるのです。宗像国ともいえる国があったのでは、という専門家もいます。この遺跡の横には川が流れていて、遺跡には港の跡らしきものがありますし、その港から荷物をあげて保存する空間、そしてその空間を警護するように周りをぐるっと囲んだ環濠があるのです。


ここから出土した銅剣・銅矛・銅戈は現在「海の道むなかた館」で展示してありますから遺跡を見学した後は、ぜひこちらものぞいてみて下さい。(津川洋二、参考)


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田熊石畑遺跡(たぐまいしはた) 、福岡県宗像市

玄界灘東部の標高12mの台地上に所在する弥生時代中期前半の集落跡。6基の墳墓から銅剣・銅矛・銅戈の武器形青銅器が計15点出土し、ひとつの墓のまとまりから出土した点数としては日本最多級。平成22年2月22日には国の史跡に指定(参考)。


女王国の領土、宗像市



邪馬台国の範囲



宗像三女神と天照大神は同一人物



天照大神と卑弥呼は同一人物



九州の女王国と邪馬台国