土井ヶ浜遺跡の渡来系弥生人は白人のDNAを持っていた? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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① 土井ヶ浜遺跡(弥生時代前期、2300年前)の人骨と形質のよく似た中国の山東省の人骨を比較した

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山東省

1994年1月26日ニュース報道、山口県豊北町の土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下孝幸館長(形質人類学)らが、山東省文物考古研究所を訪問。同省の遺跡から出土した前漢時代(2200年前)の古人骨約七十体について、顔の長さ、幅などを計測し、北部九州や山口県で発掘された渡来系弥生人骨と比較したところ、八割以上で顔の長さ、ほお骨の厚さなど主要な値が一致。骨から推定した平均身長も渡来系弥生人(男性一六三センチ、女性一五〇センチ)とほぼ一致した。

② 山東省臨錙の人骨とDNAの一部が一致した人がいた

1996年10月19日、日本人類学会・日本民族学会連合大会発表、東大理学部の植田信太郎助教授(人類学)らは、約二千年前の中国・山東省臨錙(りんし)の遺跡から出土した人骨と、同時期の詫田西分遺跡から出土した人骨のDNAを分析し、遺伝子の配列が特定の部分で同じ人がいることを確認した。

③ 江蘇省の人骨のDNAの一部と一致する人があった

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江蘇省

1999年3月19日ニュース報道、
江南人骨日中共同調査団(山口敏・東京国立科学博物館名誉研究員が団長)は、江蘇省の墓から出土した六十体(二十八体が新石器時代、十七体が春秋戦国時代(2770年前から2221年前)、十五体が前漢時代)の頭や太ももの骨、歯を調査。特に、歯からDNAを抽出して調査し、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人と縄文人の人骨と比較。結果、春秋戦国時代人と前漢時代人は弥生人と酷似。DNA分析では、江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代末)の人骨の歯から抽出したミトコンドリアDNAの持つ塩基配列の一部が、福岡県の隈西小田遺跡の人骨のDNAと一致した。

④ 土井ヶ浜と山東省は海流でつながれている

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同じ形質の人骨が見つかった山東省から沿岸を南下して、揚子江河口あたりから対馬海流に乗ってダイレクトに土井ヶ浜に到達できる。

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土井ヶ浜遺跡、下関市豊北町大字神田上、画面中央

⑤ 2500年前の弥生時代の山東省の臨淄遺跡の人骨、すなわち土井ヶ浜遺跡の渡来系弥生人は遠く、現代ヨーロッパ人と一部、同じDNAを持っていた

2000年に東京大学の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝らは、約2500年前、2000年前の臨淄遺跡から出土した人骨、及び現代の臨淄住民から得た遺伝子(ミトコンドリアDNA)の比較研究の結果を発表した。それによると、約2500年前の春秋戦国時代の臨淄住民の遺伝子は現代ヨーロッパ人の遺伝子と、約2000年前の前漢末の臨淄住民の遺伝子は現代の中央アジアの人々の遺伝子と非常に近く、現代の臨淄住民の遺伝子は、現代東アジア人の遺伝子と変わらないものであった。これによって、古代の「中国」の住民を構成した人間集団が現代の中国人集団とは異なる集団を含んだ多様な構成を示したのではないかという仮説が浮上してきている。