宗像大社の元別当寺、真言宗鎮国寺 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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別格本山 鎮国寺、福岡県宗像市吉田966

真言宗御室派、総本山-京都・仁和寺
九州西国観音霊場第三十一番札所
九州八十八ヶ所霊場第八十八番結願所
九州三十六不動霊場第三十四番札所
九州三十三観音(ぼけ封じ)霊場第一番札所

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縁起
弘法大師(空海)は、第16次遣唐使船で入唐の砌(みぎり)、大暴風雨に遭遇されました。この時危難を救わんが為、海の守護神宗像大神をはじめ諸仏菩薩に祈誓を込められたところ、波間に不動明王が示現されました。右手に持たれる般若の利剣で波を左右に振り払われると、荒れ狂う風波は瞬く間に静まり、無事唐土に着くことが出来たのです。

首都長安(西安)において、青龍寺の恵果阿闍梨から真言の秘法を授かり、大同元年(806)に帰朝された弘法大師は、まず宗像大社に礼参されました。その時、屏風山に瑞雲が棚引くのを観られ、奥の院岩窟において修法を始められたところ、「この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げをこうむり、一宇を建立し、屏風山鎮国寺と号されました。

「真言秘密の大法を伝え得たるは、危難をお救い下さった不動明王のお蔭に他ならず」と謹刻し祀られたのが、現在護摩堂に安置されている不動明王立像です。また、宗像三柱の御本地仏として、大日如来、釈迦如来、薬師如来の三尊を刻み、本尊と定められました。

本堂は慶安3年(1650)藩主黒田忠之公により再建されました。建立当時は瓦葺きでしたが、のち茅葺きに変わり、昭和54年の解体修理のときに銅板葺きとなりました(参考)。


参考