福岡県宗像市田島2331
宗像大社は天照大神の三柱の御子神、すなわち三女神は 田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申され、田心姫神は 沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、市杵島姫神は 辺津宮 (へつぐう)におまつりされ、この三宮を総称して「宗像大社」である。
天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神の息から生まれたのが宗像三女神で、彼女達は天照の勅命を奉じ皇孫を助けるため筑紫の宗像に降りこの地を治めるようになったのが起源とされている。
宗像は『古事記』では胸形という字が当てられ、また胸肩、宗形とも表記されるが、元は水潟であったとする説もある。古くから海の神として信仰を集めてきたが、神功皇后が三韓征伐の際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに国に幣使を遣わす習いになったとされる。
この長い参道や沖ノ島まで航路が高千穂のクシフル峰を象徴している。
高宮神奈備
出土した土器から縄文時代前期には漁民らが漁業の基地として使用していた。その範囲は玄界灘、響灘、瀬戸内海にまで広がっていた。
4世紀末頃、九州の宗像と朝鮮半島を結ぶ古代海路、海北道中を利用し朝鮮半島や中国大陸との交易が盛んに行われるようになった。当時、すでに玄界灘沿岸から壱岐・対馬を経て朝鮮半島と結ぶ海の道を支配し、航海術に長け、大陸との交易の中心的存在であった海人族「宗像氏」により、宗像の地は日本初の国際都市として繁栄した。 繁栄の証しとして沖津宮が鎮座する絶海の孤島“沖ノ島”からは、大陸から持ち込まれた多くの出土品が発掘されている。
参考