北九州に徐福がやってきた! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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弥生時代中期、秦の始皇帝が亡くなられる(紀元前210年)前後に、徐福が一族を引き連れて日本列島に渡来したとか!佐賀県、有明海岸は対馬海流に乗って地理的に最短距離にある。時期的には秦の滅亡が紀元前207年であり、徐福のみならず多くの人々が故郷を捨てて逃亡をはかっている時期であった。

ちなみに、吉野ヶ里遺跡は呉が滅びるあたりの紀元前400年頃から大きくなり、土井ヶ浜遺跡の渡来人は斉が滅びる前の紀元前300年頃に日本列島に到着している。北九州の玄界灘文化圏(呉系渡来人)は佐賀県の有明海に上陸している。

徐福が有明海に上陸したとすると江南の呉系弥生人の末裔と見るのが有力で、浙江省又は江蘇省あたりから来たと推定される。北寄りの山東省あたりとすると斉系弥生人であるが、この場合、斉系弥生人が住む土井ヶ浜あたりの豊北町が上陸の候補となる。

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徐福村が江南文化圏の江蘇省にあり、近辺では淡水魚の養殖も行っているとか!まさに呉系の地であり、佐賀県が徐福上陸の最有力候補ですね!

その他の候補地は非現実的で、到着したとすると事故ですね!例えば紀伊半島の南端の新宮やその他の太平洋側の伝承地は、黒潮に乗ってアメリカまで行くルートの途中であり危険です。


参考

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出身地伝説

江蘇省に 「徐阜(じょふ)村」 と云う村があり、1982年の地名調査で、元の名が 「徐福村」 であったことが明らかになりました。

史記の記述には、徐福はの国出身であったと記されています。斉の国は、紀元前284年に燕・趙・韓・魏・楚の5カ国連合軍に負けるまで、東の斉・西の秦」と謡われたほどの大国だった。しかし、徐福村出身とすると、徐福は斉の国出身ではなく、越の国出身である可能性が高い。紀元前473年に越が呉を滅ぼすまで、この地はの国でもあった。


出港地伝説

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徐福伝説(佐賀市)

秦の始皇帝の命を受け、不老長寿の薬を求めて日本を訪れた徐福。彼の伝説がここ佐賀にはいたるところに点在しています。

●浮盃(ぶばい)の地名の由来(佐賀市諸富町)
有明海にたどり着いた一行は、盃を浮かべて流れ着いたところから上陸することにしました。この故事から人々は盃が流れついたこの地を「浮盃(ぶばい)」と呼ぶようになりました。
●片葉の葦の伝説(佐賀市諸富町)
上陸した一行は生い茂る葦を払いながら進みます。片側だけを払ったので、以来この辺りの葦は片葉となります。現在でも寺井津の土手沿いに生え、伝説を裏付けるように片葉のみで生い茂っています。
●御手洗いの井戸(佐賀市諸富町)
水を使うため、一行は井戸を掘り手を洗います。これが「御手洗いの井戸」で、今でも手厚く奉られています。諸富町寺井の地名は「手洗い」がなまったものだと考えられています。
●新北(にきた)神社の神木「ビャクシン」(佐賀市諸富町)
徐福は上陸の証として「ビャクシン」の種を植えます。「ビャクシン」は、勢い良く芽をふき、大きく天に向かって栄えたといわれています。「ビャクシン」は元来暖かい地方の樹木で、国内に自生する例はほとんどなく、樹齢2200年と推定される古木はさらに全国でも珍しく、不思議に徐福伝説と符号します。「ビャクシン」は、新北神社の神木で現存しています。
●千布を敷いて北上(佐賀市)
徐福は蓬莱山に似ている金立(きんりゅう)山に向けて出発します。しかし、道は荒れ、歩くのに困難な状態でした。そのため布を敷き歩きやすくして進みます。現在の佐賀市金立町千布に達した時、ちょうど千反の布を使いきったので、この地域を「千布(ちふ)」と呼ぶようになったといわれています。
●お辰との恋物語(佐賀市)
徐福は、土地案内を頼んだ源蔵の娘お辰と恋仲になります。しかし、徐福が金立を去るとき「5年後に戻る」との伝言が「50年後に戻る」と誤って伝わったため、お辰は悲しみのあまり入水したと伝えられています。金立神社のお辰観音はこの悲恋に由来するものです。
●霊薬「フロフキ」(佐賀市)
徐福はついに金立山山頂で仙人に会い、不老不死の霊薬を手に入れます。これはフロフキといわれ、現在でも金立山に自生しています。ちなみにフロフキは不老不死がなまったものともいわれています。
●徐福長寿館(佐賀市)
徐福長寿館では徐福に関する資料を展示するほか、薬用植物園などがあります。
入館料 大人300円 中学生以下150円
開館時間 9時00分~17時00分(入館は16時30分まで)
休館日 月曜日、休日の翌日、12月29日~1月3日

佐賀市観光振興課
0952-40-7110
徐福長寿館
0952-98-0696


徐福村のある連雲港市は、江蘇省の北部にあり、黄海に面した港湾、工業都市で、水陸交通の要衝です。市内の5区3県を管轄し、総人口約479万人のうち市街区に約70万人が居住する、江蘇省の直轄市でもあります。内陸においてはオランダ/ロッテルダムまで大陸を横断するユーラシア鉄道の東の起点であり、海においては中国八大港のひとつとして、世界120余りの国、地域の港との往来があります。自然環境、資源にも恵まれた連雲港市は、平野、丘陵地、湖を兼ね備え、主な農産物には米、麦、大豆、落花生、綿、林檎、葡萄、栗などがあり、また淡水、海水での養殖業もさかんです(参考)。


徐福はノアであり、羌、秦、呉の子供たちを日本に送った、、、秦は滅亡し、子供たちの親たちは虐殺された!