アー、分かった!徐福はノアだった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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秦の始皇帝は不老不死を願って天台鵜薬を探しに、徐福を東の蓬莱山に派遣させた!と言うのは、後世の作り話しでした。

最近の資料に「徐福東渡時、連れて行った3000の童男童女は羌戎から集めた」とあるとか!羌戎とは羌(チャン)族、すなわち秦の始皇帝と同族でした。

当時、中国東部は何年も戦争が続き、秦の国は不安定で、後継の子供たちは無能で、始皇帝の死後たちまち秦が滅びることは目に見えていました。紀元前210年ころ、徐福の出航後、始皇帝は亡くなり、紀元前207年に秦が滅びました。当時、滅びるとはすなわち一族の虐殺を意味していましたから、不老不死とは一族の後継を海外に逃亡させることです。現代でも中国の高官は子弟、一族に米国籍を持たせ、最後は国外逃亡を図るのと同じです。薬を探すとは、適当な定住地を探していたのでしょう!

徐福の目的を知った上で、始皇帝自身の計画を達成させる為に金銀の大枚をはたいたのです!

徐福自身は秦の始皇帝と同族の斉国人であったが、初めに呉系弥生人の住む北九州の吉野ヶ里近くの有明海に渡来、上陸したようで、呉人の子供たちも一緒に連れて行ったことは当然です!一緒に運んだ技師や道具はどうも吉野ヶ里の方に運んだようで、弥生時代は本州本土に無い鉄器、絹織物、銅剣、鶏、その他を保有していた(参考)

それから、瀬戸内を通過して熊野に上陸した。その伝説に加え、実物の証拠に熊野に秦の半両銭が出土している(2017.7.25)。


参考



② 争いに負けると虐殺される。後漢の滅亡の例、、、秦の始皇帝時代も同様






⑤ 徐福の目的

秦の始皇帝の時代,中国から見てはるか東の海には方丈(ほうじょう)山,蓬萊(ほうらい:扶桑ふそう)山,瀛洲(えいしゅう)山の三神山があり,そこには不老不死の神仙が住んでいると考えられていました。神仙は不老不死の薬を持っているとされ,その薬を始皇帝のために譲ってもらおうと金銀を持って出航したのです。

一度目の航海は何も見つけられず失敗しますが,失敗したとは言わず,大魚に行く手を阻まれるなど大変な航海でたどり着けなかったと理由をつけて報告しました。そのため,始皇帝は多くの童男童女や様々な技師たち,多くの道具を用意して再び航海することを命じます。

しかし,徐福は二度と中国には戻ってきませんでした。一説には日本の王になったとも言われています。「平原広沢を得て留まり王となる」との伝承があります。

このことから,徐福の真の目的は日本への集団移住ではなかったかと推測されるのです。秦の始皇帝によって徐福の国「斉」も滅ぼされてしまいます。当時の人々は,万里長城の修復のための労役,焚書坑儒(ふんしょこうじゅ:始皇帝の考えに批判的な学者たちを穴に埋めて殺した)など始皇帝の圧政に苦しんでいました。それから逃れるために,中国を脱出したのではないかとも考えられるのです。勝手に国を出ることは大罪です。そのため,仙薬を求めるという理由を考えたのです。もちろん,日本に着いた徐福が真剣に仙薬を探していたことが九州地方の伝承として残っているので,最初は日本のどこかに蓬莱山があることを信じていたと考えられます。しかし,本当の仙薬は見つかりませんでした。「本当の」というのは,徐福らが発見したフロフキ(カンアオイ)やハマユウ,テンダイウヤクなどを仙薬だと思い込んだときがあるからです。紀伊半島や山梨に伝わる話から推測すると,仙薬探しよりもむしろ村人たちに新しい技術を伝えることが主目的になっていたようにも思えるのです。

注意 →→ この辺りの解釈が新資料で違ってきました!さすが秦の始皇帝、彼の一族を生き残らさせる為でした!

注意 →→ 最後に滅んだ斉は羌族の作った国で、秦の始皇帝の秦とも同族です!他国が秦に滅ぼされる間、傍観していた。最後に斉は滅ぼされたと言うより合併させられたのでしょう!また、後に斉、秦の民はともに日本列島に渡来して邪馬臺国になりました!


⑥ 徐福の出身地

斉の国 琅邪(ろうや、現在は山東省の東部)

1984年,江蘇省連雲港市かん楡(ゆ)県金山郷で徐阜村(徐福村)発見されています。ここは古来は琅邪郡であったところ。別に山東省の龍口(りゅうこう)も徐福の出生地とする説があります。大国だった「斉」は始皇帝によって紀元前221年に滅ぼされます。また,生年は紀元前278とする説がありますが,詳細は不明です。


⑦ 不老不死の秘薬、天台鵜薬{C53B81BC-FCE7-4BB4-9832-CAB2BC5E0651:01}


⑧ 渡海に使った船はジャンク船だった(参考)。