山口県、鳥取県、福井県、滋賀県、東京都に日野地名があり、付近の複数の地名が一致した。さらに条里制地割がそれぞれあった。この条里制地割は中国では山東省付近の古代の斉国あたりのみに見られる。
日野の地は白村江の戦いの敗戦(663年)以前から蘇我氏の先祖の安曇氏らによって開拓されて存在したと思われるが、白村江の戦いに敗れた後に滋賀県の日野あたりに百済遺民を入植させた史実より、天智天皇が蘇我入鹿を殺して得た土地ではないかと推定される。
日野の名前の由来であるが、『日』の形が水田の最小単位を二枚を並べた条里のように見えるからであろう!
参考
① 日野町と日野川の一致の他、多くの地名が一致する(参考)
② その他、条里制地割の土地には渡来人の故郷の地名がついたところもある(参考)。
③ 大化改新(646年)で公地公民制と班田収授法を設けたのは、蘇我入鹿を殺して得た土地を正当化する為(参考)。
④ 条里制地割の水田は中国の山東省あたりに唯一ある(参考)。