山陰海岸は広大な平野は無く、わずかな平野と山間の棚田です。ここに斉国から斉系弥生人(D2)は海人族の安曇氏(C1)に案内されました。これに対して呉系弥生人(O2b)や越系弥生人(O2a)は広大な筑後平野や大和盆地の条里制地割の広大な水田を耕しています(参考)。福井県以東の越の国も綺麗な条里制地割の水田でした(参考)。
すなわち、呉系や越系の弥生人の故郷の揚子江下流域の江南地域が条里制地割を持っているかと調べると、案に図らずも、斉国のあった山東半島の平野の方が正に条里制地割の広大な水田でした!
これは大発見です。日本の弥生時代を見直す必要があります。
斉の国は春秋戦国時代、最後に滅亡した国であり、呉越の民の方が100年位は早く日本列島に渡来していたはずで、筑後平野や大和盆地は早くから条里制地割として開発され、漢の国にも早くから朝貢して、銅・鉄や絹の生産も進んでいたのに、呉系や越系の弥生人の知恵では無かったのです!
すなわち、呉系や越系弥生人が日本列島に入植する前に、追って後から渡来する斉系弥生人(D2)と海人族の安曇氏(C1)が山東半島の条里制地割の知恵を日本列島にもたらし、日本列島を事前に国土開発していたと考えた方が腑に落ちる!
参考
① 土井ヶ浜遺跡から出土の人骨(斉系弥生人、D2)の故郷、山東半島、旧斉国あたり
臨淄の北東部、山東半島の北側の付け根近く
山東省淄博、斉の首都、臨淄だった。条坊制都市
山東省付近
② 稲作文化のルーツ、河姆渡遺跡の付近、呉系弥生人(O2b)と越系弥生人(O2a)のルーツ
(参考)
河姆渡遺跡周辺
江南地域
さらに拡大
④ ベトナムのメコンデルタあたり
越系弥生人(O2a)の入植先
⑥ 朝鮮半島の旧百済国のあったあたりは無かった(参考)
⑦ 遼寧省(山東省の北東)のあたりは無かった(参考)
⑧ 山東省は稲作と鉄のルーツか(参考)!
⑨ 日本の水田のルーツか!棚田と条里制地割の両方がある(参考)
10-1 山口県にも小さな条里制地割の水田が沢山あった(参考)
10-2 条里制地割は結構安定して現在までのこる(参考)
11 出雲、因幡あたりの水田地帯(参考)
12 朝鮮半島の古代、任那国あたりに条里制地割があった(参考)
13 北九州の奴国も条里制地割(参考)
14 糸島市、唐津市、松浦市あたりの条里制地割の水田(参考)
15 朝鮮半島の南西部には条里制地割の水田はない(参考)
16 日本の城下町には、全く条里制地割をとらない乱雑なプランを採用する例が結構多い。呉系弥生人の環壕集落と同じ考えの防衛思想をもっていると想像した(参考)
17 中国から朝鮮半島あたりの城郭都市をピックアップしてみた(参考)
18 都市計画としての条里制地割(条坊制)は古代エルサレムあたりからシルクロードに沿って東方に普及した(参考)
19 神社の神田は条里制地割(参考)