穴門の豊浦宮全景イツツヒコ王国、東鯷国、穴門国、穴門の豊浦宮と呼ばれた下関市秋根、綾羅木、伊倉の3地区の昭和43年(1968年)当時の全景。ほぼ全域が弥生条里遺跡であり、中央左の秋根、中央を蛇行する綾羅木川が見える。左手の山が火の見山。かつての豊浦宮があった頃の官衙(豊浦宮)領域は秋根集落から右手の石原地区にまで渡る水田地帯を含む広大のものであったと思われる。昭和43年、青山山頂から南西方向を望む昭和38年の航空写真参考① 弥生時代の計画都市、穴門国について(参考)② イツツヒコ国王の墓所(参考)③ 豊浦団(参考)④ 秦王国(参考)⑤ 東鯷国(参考)⑥ 伊倉辺りの今昔(参考)