済生会下関総合病院の敷地から、南東方向から南西方向に首を回して、蒲生野、綾羅木、そして安岡あたりを遠望する。
この辺りが天智天皇、額田王、大海人皇子が猟遊した蒲生野(かもうの)
済生会下関総合病院近くの旧北浦街道、横野の村崎鼻へも最短でつながる。菅原道真公もここを歩かれたかも知れない(参考)。
正面あたりの綾羅木郷に下関市立考古博物館があり、前方後円墳などの古墳群や穀物の貯蔵穴がなどの考古遺跡が出土した。一山向こうから左手・南東方向がイツツヒコ王国(東鯷国、後の穴門豊浦宮)
北浦海岸、小野妹子と一緒に来日した隋使の裴世清は正面の海の向こう、すなわち竹斯の国から東に航海して、ここ秦王国を紹介された(参考)。