蒲生野から綾羅木、安岡あたりを遠望する | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

済生会下関総合病院の敷地から、南東方向から南西方向に首を回して、蒲生野、綾羅木、そして安岡あたりを遠望する。

{AE778B22-77AE-4F76-B69D-9B1AEAC016A1:01}
中央最上部が済生会下関総合病院、下部に綾羅木川が東西に流れる。綾羅木海岸あたりが壇之浦だった(参考)。

{C6BF69D8-34F0-4A51-A87C-78FFDDB78B4A:01}
この辺りが天智天皇、額田王、大海人皇子が猟遊した蒲生野(かもうの)

{2407A3FD-1323-47A6-8A5C-0F24485ADB0D:01}
済生会下関総合病院近くの旧北浦街道、横野の村崎鼻へも最短でつながる。菅原道真公もここを歩かれたかも知れない(参考)。

{4DD0D5D2-3B3D-4736-B931-4E5299FB4D52:01}
旧北浦街道の道祖神、神功皇后の三韓征伐に北浦海岸の港を目指して通過された可能性は大きい。

{318F3EA7-EDC0-4A09-9F86-F03A0781093D:01}
済生会下関総合病院と蒲生野


{3510FF8C-2602-4EDA-AEF2-BF910D0FE632:01}
正面あたりの綾羅木郷に下関市立考古博物館があり、前方後円墳などの古墳群や穀物の貯蔵穴がなどの考古遺跡が出土した。一山向こうから左手・南東方向がイツツヒコ王国(東鯷国、後の穴門豊浦宮)


{C0AD684E-4A83-4870-8041-A50ADCCAD1B2:01}
北浦海岸、小野妹子と一緒に来日した隋使の裴世清は正面の海の向こう、すなわち竹斯の国から東に航海して、ここ秦王国を紹介された(参考)。
 
{AFE28321-1D5C-41EF-A30A-B6EB6C4A5631:01}
北浦海岸と響灘の日の入り


参考