武内宿禰と東北地方 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

① 真山神社(シンザンジンジャ)

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所在: 秋田県男鹿市北浦字真山字水喰沢97

武内宿禰が創建した神社。地方の漁師の他にも、日本海を渡る船人達が海上安全・大漁・海運倍々を祈願して参拝した。

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② 塩竈神社、陸奥国一宮

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所在: 宮城県塩竈市一森山1番1号

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塩土老翁は海と製塩の神様であり、すなわち海人族安曇氏の頭領、武内宿禰と同一神である(参考1参考2)。塩の生産・流通を支配できれば、陸奥国を支配できた(参考)。


③ 日高見神社(参考)

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宮城県石巻市桃生町太田字拾貫1-73

祭神
天照皇大神、天日別命 (配祀)日本武命、武内宿禰命

三代実録に「陸奥国日高見水神」とあるので往古は北上川の河神ではなかったかと思われている。北上川の流れる流域はむかしは日高見国といわれ、水と太陽に恵まれた肥沃な大地であった。北上川は日高見川のなまったものと言われている。この日高見国の中心地は仙台平野でしたが、大和朝廷の度重なる軍事的な侵攻によって胆沢地方(岩手県の水沢を中心とした北上盆地)に最後の拠点をのこすだけになり、この最後の拠点も802年の坂上田村麻呂によって阿弖流為(あてるい)が降伏して、陥落した。


④ 青森県の事代主命

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⑤ 猨田彦神

巻堀神社(岩手県岩手郡玉山村巻堀)
高山稲荷神社(青森県西津軽郡車力村)
志和稲荷神社(岩手県紫波郡紫波町)



⑥ 高良神社

青森県三戸郡五戸町大字倉石中市字田茂平

高良神社の創成は大同年間となっており、祀神は軍神竹内宿禰です。前身は毘沙門様であったといわれ、現在は毘沙門様との合祀になっております。宝暦13年(1763年)に第34代藩主・南部利雄が奉納した、五戸地方最古といわれるお御輿には「奉納御輿、崇高三四代南部大膳大夫利雄公」「武運長久」と記され、南部候にかかる由緒ある自慢の御輿です。


⑦ 武内宿禰の祖先は青森あたりまで漁撈活動する(参考)と同時に水田開発を指導した(参考)。