幕末、明治維新に貢献した長府と安岡の相撲取りの隊、盤石隊に参加した隊士の名を含んだ、安岡の相撲取りのシコ名が刻まれた安岡本町乗蓮寺の手水鉢を現地で確認した。
はっきり確認出来る名前としては、西ノ海音吉(安部金蔵、安岡東町出身、北越戦参戦)、小嶋潟滝蔵(越後長岡戦死)、小櫻八十吉ヱ門(越後長岡戦死)がある。
手水鉢のシコ名の読み取り
② 盤石隊とは(参考)
元治元年(1864)11月17日の五卿が長府に入ったとき、既に長州藩の支藩・長府藩でも長府と安岡の力士35人による独立した隊があり結集していた。慶応元年(1865)3月15日から正式に報国隊(長府藩士の部隊)付属の盤石隊となった。小倉戦争、北越戦争を戦い、帰還時、奇兵隊、報国隊と一緒に御所で慰労の言葉がかけられた。さらに京都市中を行進し、長州藩藩主毛利元徳、長府藩藩主毛利元敏からも慰労の言葉を賜った。戦死者5名は桜山招魂場に祀られている。
③ 盤石隊士(35人、やすおか史誌、P210、平成2年より)