ウガヤフキアエズ王朝、豊国文字、ウエツフミ、海人族安曇氏 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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ウガヤフキアエズは神武天皇の父親として記紀には書かれているが、一人の神様として書かれている。しかし、ウエツフミの中では数十代ものウガヤフキアエズ王朝として複数の王を記している。宮下文書やその他の古史古伝でも性別や代数など異なってはいるが、ウガヤフキアエズ王朝が存在している。

実は、ウガヤフキアエズ王朝とは海人族安曇氏の王朝であり、日本列島周辺の漁労民達の王朝であった。彼らは縄文時代から陸上の縄文人達と共存していた。彼らは、中国大陸からの渡来人(弥生人や秦氏など)を船に乗せて日本列島に運んだ。彼らは、縄文人とともに原日本語を喋っていたが、秦の始皇帝の漢字の書体の統一前はある種の神代文字(豊国文字)を使っていたと思われる(参考)。

彼らは日本列島の海岸に居住していただけでなく、自ら上陸して農民になったグループもあり、安曇野、安曇川、渥美半島、安心院などの地に伝承が残っている。現在の大分県の安心院、院内、由布院あたりは安曇氏の入植地であった。臼杵や国東半島の磨崖仏や寺院は蘇我氏に由来するが、蘇我氏はこの安曇氏の末裔と考えられる。

すなわち、豊国文字と言う神代文字は大分県(豊国)を根拠地とした安曇氏の文字であり、彼らの古文書がウエツフミであり、ウガヤフキアエズ王朝は彼らの歴史であったのである。

雑談1:
現在、宇佐神宮は応神天皇を祀り、現天皇家の相談役的な神社であるが、同時に祀る武内宿禰、神功皇后や姫大神は海人族安曇氏の王と考えられ、この辺りの安曇氏や後から入植した秦氏を氏子として鎮座したと考えられる。すなわち、道鏡を天皇として認めるかどうか、東大寺大仏建立の成功は、宇佐神宮と氏子達の力に依存していたことの証拠である。ところで、つい最近まで神職の学校(騰宮学館、参考)が安心院にあった。

雑談2:
神功皇后が応神天皇を生んだことになっているが、実は、朝鮮半島に待機していた応神天皇と家臣の秦氏を日本列島に運び込んだ海人族安曇氏の女帝が神功皇后であると考えられる。

雑談3:
姫大神とは卑弥呼または天照大神と考えられ、海人族安曇氏の女帝であった。現天皇家は男系男子の系列で秦の始皇帝に連なるが、女帝は海人族安曇氏の系列でありウガヤフキアエズ王朝につながる。

雑談4:
実際のウガヤフキアエズ王朝と天皇家の王朝交代は乙巳の変(大化の改新)であった思われる。蘇我氏は天皇記や国記を所持して威張っていたが、殺され、文書類は焼き捨てられた。記紀は現天皇家を正当化するためであり、ウエツフミなど古史古伝を偽書扱いするのは、この為である。応神天皇から天智天皇までは居候の立場で河内に秦の始皇帝以来の土木技術で巨大古墳を造営したが、首都であった明日香の地は蘇我氏が権勢を振るったのはこの為である。


参考

① 大分県の安心院あたりは、海人族安曇氏の本拠地だった(参考)


② 安心院、院内、由布院の由来(参考)


③ 豊国は蘇我王国だった(参考)


④  上記(うえつふみ、wikiより)

いわゆる古史古伝と呼ばれる文書の一つであり、一般に偽書とされる。ウガヤフキアエズ王朝を含む古代日本の「歴史」などが豊国文字で書かれている。

1837年(天保8年)に豊後国(現在の大分県)で発見された。『上』、『上津文』、『上つ文』、『ウエツフミ』とも書き、『大友文献』、『大友文書』などともいう。神代文字の一種である豊国文字で記されている。

『上記』の序文には、1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂したとあるが、一般に史実とはみなされていない。

内容は、ウガヤフキアエズ王朝に始まる神武天皇以前の歴史や、天文学、暦学、医学、農業・漁業・冶金等の産業技術、民話、民俗等についての記事を含む博物誌的なものである。

例えば『上記』によると、神武天皇はウガヤフキアエズ王朝の第73代であり、中国に農業や文字を伝えたのは日本であり、日本では精密な独自の太陽暦があったことなどが記されている。

著者注: 秦の始皇帝の秦が滅びるまでの中国大陸については正しいと言える。


⑤ ウガヤフキアエズは海人族安曇氏(参考)

神武天皇の父親、ウガヤフキアエズノミコトの母親の豊玉姫命、妻の玉依姫命は、大綿津見命を信仰する海人族安曇氏の女子を象徴する女神である。すなわち、ウガヤフキアエズノミコトは海人族安曇氏の一族の祖先神と考えても良い。また、一族の長の安曇磯良と同一神と見なされる武内宿禰を始祖とする葛城氏、蘇我氏、平群氏、、は海人族安曇氏と同族と言える。

古史古伝にあるウガヤフキアエズ王朝とは、このウガヤフキアエズノミコトが一人では無く、神武天皇以前の70数代にも渡る男帝と女帝の系譜と言うものである。すなわち、蘇我氏より遡る海人族安曇氏の系譜としてウガヤフキアエズ王朝を捉えることが出来る。

海人族安曇氏は縄文時代から日本列島の周辺で漁撈活動を行いながら、縄文人達と水田開発したり、渡来系弥生人達を日本列島に入植させており、この海人族安曇氏の系譜がウガヤフキアエズ王朝であった。具体的かつ詳細に彼等の系譜を記録したものがウエツフミ、竹内文書他の古史古伝としての偽書であった。

 その中である程度信憑性を伺えるのは、海人族安曇氏の女系相続を反映した女帝の系譜を記述した、また武内宿禰との関係をうかがわせる竹内文書である。


⑥ 豊国文字(参考)

{5CCE879A-3D8C-46AA-8077-EA4431E0F5A9}
豊国文字(古体)はエジプトの象形文字に似ている

豊国文字(新体)はヘブライ文字に似ている

豊国文字(新体)はカタカナの起原?

ヘブライ文字の一部がひらかなの起原のようです


著者注:
まだ漢民族が幅を効かせる前、東アジアに広がる同じ原日本語を喋る秦の先祖などと交流し、さらに西域のエジプト、ユダヤなどと交流したと考えられる。漢と言う漢民族最初の国が出来るまで、容易に西域と交流出来たのである。ちなみに、バイカル湖の近くに弓月、ナラ、ヤマトの地名が今でもある(参考)。


⑦ ウエツフミと豊国文字(参考)

{7442CA76-C9FA-457F-853D-BC4BBF44499F}ウエツフミ

{A6D8413D-BBA3-4EB6-9D9E-3152B62EA54F}
豊国文字


⑧ カタカナの起源(参考)

{12A1F142-BAD4-404C-95FE-E7EB9BF86D07}
{AE3323B6-21C1-4A7B-88AF-0AC8BA93F850}


⑨ 宮下文書は秦の始皇帝の部下の徐福が書いた