ブログはいつも書きっぱなしです、今、励ましの文章読みました❤️ありがとう。ありがとう。
お陰で、抗がん剤する前とは、様子が違い、気のせいかお腹の変な痛みは消えています。
しかし、副作用なのか、食慾がなく、美味しく食事をいただくと、胃もたれのようになり、ここ数日、果物くらいしか入りませんが、気分は良好。
少々食べなくとも、かえって回復することは、何度も経験済みで、心配してはおりません。
薬剤師さんが、丁寧に教えてくれましたが、ドキシルは、イタリアの赤い土の中にいる菌らしく、お洒落なイタリア製🎵と言うところです。
二どめですが待っていた、天理教の方が見えて、お腹に手かざししてくださり、私の質問にも、答えて下さいました。
50年ほど前、亡くなった三笠宮様が、天理大学の資料館にお勉強に来られていた時、よろず相談所に病院がないのですか?と言われ、それから、病院ができたのだとか。当時、過激な信者さんが、神様にお願いしないで、医者に頼るとはなにごとかと、反対もあったのだけれど、今は立派に定着し、若い信者さんは、まず、神様より先に病院に来られます。と、複雑に、優しく微笑みました。そうですよね。祈りのない、医術はあり得ないと、私も思います。
天理教の神様は、古事記に出てくる神様と関係がありますか?と尋ねると、首を振って、全く違います。古事記は、国産みの神様の話ですからと、言われました。
なるほど、納得、古事記よりも、さらに、創世記ですね。サンチェリーのご主人が、「わてらの天王さんは、牛頭天王だっせ、今の天皇さんは、今来のお人や」と、いわれた、その牛頭天王さんよりまた、さらに、昔の話です。
バチカンで天理教の人達との宗教論議をしたとき、キリスト教の神は、何故人間を作ったのかについて語らないけれど、天理教の神は、「人間が、互いに助け合い、愛し合って暮らすことを見て喜びたい為に、作った」そうです。なるほどと感じました。
釈迦は、人間でしたから、人が知り得ない死後の世界を語らなかった、生きていることの大切な生き方を熱心に細かく諭されたと、理解しています。
その内容は、天理教とさほどに変わりはないかに思えます。釈迦は厳しく、天の理にそって、己の力で、さいの角の如く、一人歩めと、言われた。
天理の親神様は、天の理に添って、助け合い、楽しく暮らせと言われた。
これは、厳しい、インドの風土と、四季に恵まれ、災害もあるけれど、再生を繰り返して来た日本の風土の違いでしょう。
私は、観音力の支えをいただきながら、天の理に添って、ひたすら感謝し、回復した時には、細やかなりとも
人の為に、生きることを考えます。
もし、早めに、この世を去ったら、また、「出直し」が出来るように頑張ります❤️
天理教では、死は、出直しと言うそうです。
釈迦も、人は何度も修行をして、悟りを得るならば、二度と苦しいこの世に戻ることはないと、言われました。天理教も、体は神様からの借り物、「たましい」を磨きなさいと言われました。
親様の言葉、
ひとつ。優しい心になりなされや。
ふたつ。人さん助けなされや。
みっつ。癖。性分とりなされや。
と、大和言葉がすんなり、心に響きます。