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奈良 聖林寺ものがたり

奈良の聖林寺 国宝十一面観音立像の光について
四十年来光背(光)の研究をしています。

地震や台風と、災害に見舞われ、毎日がどれ程大変なことでしょうか。
ひどい倦怠感で、横になっている、こんな私にも、同じような災難に見舞われることも、充分考えられることです。
おひとり、おひとりの毎日が無事でありますように。

家人が、桜井駅の近くのペンションサンチェリーに、酵素パンを買いに行くので、むっちゃんへ❤️、しげちゃんの為に、そこで売っている本を買いましたよ。いつか届けますね。

卑弥呼は、九州でしょうが、そのあと何故、大和盆地が栄えたか?謎がかなり、すっきり理解できる本です。

教科書では、理解できなかったことが、この地に住んでみて、山に囲まれた、一種の要塞のような、平和な盆地の縁に、桜井(いわれ)、明日香、藤原、平城と、都が栄えた様子が、良く理解できるようになりました。

ようやく、日本人が、文字記録を取れるようになった、始まりです。

その前の日本列島のことは、埋蔵され、古墳の中から、発見されるのも、この湿気の多い風土では、なかなか難しいことでしょう。いっそのこと、水中なら、保存も良いのでしょうが。
見事、土中のバクテリヤが、あらゆるものを土にしていく様は、すべてが
自然に帰るようで、清々しますけれど。

再生されますように。浄化再生されますように。
今日も、ご縁の人びとのことを思い出しております。








台風は、病室にいる私には、あっという間に去って行きました。
被害が大きく、ニュースに驚いています。

今を生きる❤️
大事なことと思い、今まで、精一杯生きてきたおもいがあります。
病人にとって。今を生きるのはかなり、大変なことです。
ここ数日、食事が出来ず、倦怠感が強いため、ほとんどの時間を横になって、休んでいます。
今までの、抗がん剤よりは、副作用としては、軽い方ですが。

試しに、アイスクリームや、しゅうクリームを食べてみると、食べることが出来るので、なあんだ❗️なんと、贅沢なことだと、思います。

前は、食事を残すことに、後ろめたさがありましたが、食べた時の苦しさを思うと、罪悪感も出なくなりました。我が身大事に、少し呆れます。

病気になって分かったことが沢山ありました。

元気そうで良かったね🎵。と言われると、自分の体の不快感は、表には出ないので、相手には分からないようだと、思います。
元気ではないのよ。と、正直に言うこともありますが、相手が、私を見て、安心してくれているのだから、と、思えば、不快感を押さえて、ありがとう🎵と答えます。

あの世を思うのは、最後の最後まで、にこやかに、幸せに生きたいと、思うから。

バッタリと、眠れる人は幸せです。
不快感を忘れる為に、今は睡眠導入剤を飲んで、バッタリ寝ているので、朝は、気持ち良く目覚め、昨日よりは、お腹の不快感が軽減されていることに気付き、感謝しています。
少なくとも、悪くなる傾向にはないようです。

私よりも、もっと、苦しんで居られる方がいて、私の愚痴は、聞くに耐えないことでしょう。

私は今、ひとりの小さな男の子が、来週、17時間もの手術に耐えて、元気になりますように、と、真剣に祈っております。
ただ、横になっている我が身には、心の中で、必死に祈ることで、私の今を生かされていることに気付かされます。

私にエネルギーが残っているならば、ご家族と共に、祈ります。祈ることだけが、私の今です。

観音力に頼るとは、この時でしょう。

ご住職が、朝夕、観音様やお地蔵様にご祈念されつつ、読経されるお姿を思い出すことが出来るのも、今の私には、ありがたいことです。

そうして、友人達や家族の温かな思いも、ありがたく、一杯に受けながら、今、ひたすら、私も祈っております。






かなりの大きさの台風のようです。まだ、青空がみえますが、雨雲と、風の音が尋常ではなさそうです。お大事にされますよう。

ところで、友人達に、私が、先にあの世に渡ったら、あの世の観光案内できるよう、日の丸フラグを持って待ってるよ🎵と、すでに、約束しております。池田さん、天理教のお話をきいて、どこのあの世に行くのかしら?と、思ったかもしれないと、「ぶれては、いない」ことをお知らせしておきます。
私の母にも、「なむ、あみだぶつ」とひたすら唱えて、あみださまの所に行ってねと、言いました。釈迦が話される、宇宙には、数限りない浄土があるとか。その様子は、現代の天文博士達が、電子顕微鏡でみている、宇宙銀河と同じようです。
私は、ずっーと、昔に、多分、子供の頃にご縁があった、阿弥陀浄土に行って、さらに、修行をすると、決めておりますので、私のあの世は、阿弥陀様のもとです。観音様の手のひらの蓮の花に乗せていただいて、飛んでいけるはずです。
友人たちも、それぞれの寿命を立派につとめたら、蓮の花に乗せていただけますように。
ひとり、幼さな友達に、異常にお腹が出っぱって太り過ぎがいるので、こぼれ落ちないか心配しています。少しは痩せなさいね。

修行が進めば、人間に生まれかわると言うお話もあったきがします。
天理教でいう、おじばがえり、ではないでしょうか。
地場へ、戻れる❤️
また、この世での修行が始まります。

願わくば、修行が進んで、完全な悟りの世界に行きたいと、願っております。

それは、宇宙銀河の果てのはてに、あるのでしょうか?

友人達へ、百歳以上の寿命をいただく人は、私は、多分、せっかちだから、待たないからね❤️
大丈夫、天人様が、沢山おられます。心配はありません。


この世でのご縁に感謝します。
体に充分注意され、今日も元気でお過ごしください。
私のお腹が、昨日よりは、柔らかくなっているきがします。❤️
ブログはいつも書きっぱなしです、今、励ましの文章読みました❤️ありがとう。ありがとう。

お陰で、抗がん剤する前とは、様子が違い、気のせいかお腹の変な痛みは消えています。
しかし、副作用なのか、食慾がなく、美味しく食事をいただくと、胃もたれのようになり、ここ数日、果物くらいしか入りませんが、気分は良好。
少々食べなくとも、かえって回復することは、何度も経験済みで、心配してはおりません。
薬剤師さんが、丁寧に教えてくれましたが、ドキシルは、イタリアの赤い土の中にいる菌らしく、お洒落なイタリア製🎵と言うところです。

二どめですが待っていた、天理教の方が見えて、お腹に手かざししてくださり、私の質問にも、答えて下さいました。
50年ほど前、亡くなった三笠宮様が、天理大学の資料館にお勉強に来られていた時、よろず相談所に病院がないのですか?と言われ、それから、病院ができたのだとか。当時、過激な信者さんが、神様にお願いしないで、医者に頼るとはなにごとかと、反対もあったのだけれど、今は立派に定着し、若い信者さんは、まず、神様より先に病院に来られます。と、複雑に、優しく微笑みました。そうですよね。祈りのない、医術はあり得ないと、私も思います。

天理教の神様は、古事記に出てくる神様と関係がありますか?と尋ねると、首を振って、全く違います。古事記は、国産みの神様の話ですからと、言われました。
なるほど、納得、古事記よりも、さらに、創世記ですね。サンチェリーのご主人が、「わてらの天王さんは、牛頭天王だっせ、今の天皇さんは、今来のお人や」と、いわれた、その牛頭天王さんよりまた、さらに、昔の話です。

バチカンで天理教の人達との宗教論議をしたとき、キリスト教の神は、何故人間を作ったのかについて語らないけれど、天理教の神は、「人間が、互いに助け合い、愛し合って暮らすことを見て喜びたい為に、作った」そうです。なるほどと感じました。
釈迦は、人間でしたから、人が知り得ない死後の世界を語らなかった、生きていることの大切な生き方を熱心に細かく諭されたと、理解しています。

その内容は、天理教とさほどに変わりはないかに思えます。釈迦は厳しく、天の理にそって、己の力で、さいの角の如く、一人歩めと、言われた。
天理の親神様は、天の理に添って、助け合い、楽しく暮らせと言われた。
これは、厳しい、インドの風土と、四季に恵まれ、災害もあるけれど、再生を繰り返して来た日本の風土の違いでしょう。

私は、観音力の支えをいただきながら、天の理に添って、ひたすら感謝し、回復した時には、細やかなりとも



人の為に、生きることを考えます。
もし、早めに、この世を去ったら、また、「出直し」が出来るように頑張ります❤️
天理教では、死は、出直しと言うそうです。
釈迦も、人は何度も修行をして、悟りを得るならば、二度と苦しいこの世に戻ることはないと、言われました。天理教も、体は神様からの借り物、「たましい」を磨きなさいと言われました。
親様の言葉、
ひとつ。優しい心になりなされや。
ふたつ。人さん助けなされや。
みっつ。癖。性分とりなされや。

と、大和言葉がすんなり、心に響きます。





後遺症についても、丁寧に説明を受けました。
その中で、まれに、抗がん剤が腸壁を破って、腸がやぶれると、数時間?とか数日?(正確には今は記憶にありません)とか、短い間に死亡にいたることもあると言われました。
私は、長引くよりは、短いのは助かりますと、言うと、主治医が困ったように笑われました。
昨日の今日ですが、特別な変調はありません。
食事も美味しいし、治療を受ける前にあった、お腹の違和感が消えています。
ドキシルが効いている気がします。

病室の窓からの空が広びろと感じるのも気のせいでしょうか。空気は、間違いなく、綺麗に思います。



朝10じころから、午後1じころで、点滴終わりました。
注射も痛くなく、スムーズで、ベテラン看護婦さんが付いてこられ、先生は注射が上手だからと、言っていましたが、ホントに嬉しいことです。丁寧に昨日から薬の説明をしてくれた、薬剤師さんが、点滴の前にやって来て、「昨日は説明忘れていましたが、抗がん剤の液が
トマトのように赤いですが、驚かないでくださいね」わざわざ伝えにきてくれました。
ドキシルは、昔からある薬で、ペニシリンのような菌が原料で、その菌を大豆から抽出した油にコーティングして患部にとどけるように工夫されたものだそうです。
なんのなんの、赤であろうが、緑であろうが、驚くことはありません。
毒に助けていただこうと言うのですから、今さら、たとえ、毒が効かなくても、驚かないつもりです。
でも、なんとか、治療も、そして、私が、いただいているすべての、良い気のエネルギーも、どうぞ、すべてを頂いて、助けていただけるように、私は、どうするべきか、考えました。
そうして、あることに、初めて気付きました。
それは、誰にも言わずに、実行します。
私には、思いもよらない方法ですが、ありがたい思いつきと、思います。元気になったら、孫ちゃん達に教えてあげましょう。

病院の食事が、どれも、とても美味しい。ほうれん草のおしたしの味付けが、京料理のように繊細で、一番なのは、新鮮さです。病院のすぐ近くの畑から、さっき、届いたかのようです。

治療の間に、天理教の方が見えました。素敵な白髪の細身の年配の女性、白いシャツに黒のズボンのスーツ。小さな優しい声で話かけてくださり、両手で、私のお腹に手かざしをしながら、神様にお祈りをしてくださいました。
少しの時間でしたが、また、お会いしたいと思いました。

今までも、充分な治療をしていただきましたが、ここに来れて、本当に素晴らしいことと、感謝しています。家族にも友人達にも、安心してもらいたいと思います。

抗がん剤の後遺症も丁寧に説明を受けています。覚悟して、用心深く、暮らすつもりです。
今のところ、痛みもありません。



ひたすら感謝しております。


昨日の検診結果、癌の再発が見られるので、もう一度、抗がん剤治療をうけることにしました。一週間の入院です。
せめて、観音堂が新しくなるここ数年、お寺の里で見守りができたら、と、贅沢な願いがあります。

お腹に違和感があるのが、楽になるとありがたいのですが、我慢できないものでもなく、贅沢な患者です。

ただ、治療は一種の冒険です。
治療を拒否しようかなと、迷う私に家人が言ったことが、可笑しかったので、記録しておきます。それは、私が、「聖林寺の新しい収蔵庫の為に、いつも、宝くじを買っているだろ?いつも、当たらないのに、希望を 持って買うのと、同じだ。新しい抗がん剤にも希望をもってみたら?」と、言いました。宝くじね🎵

まぁ、私も体力ある人だから、もう一度、毒に挑戦してみましょう。ドキシルと言うお薬です。いかにも強そうなお名前。

聖林寺の下を流れる寺川にかかる、田んぼへ渡る仕事のための小さな橋、一度、渡って見たいと思いながら眺めていました。

あの小さな橋を渡る思いで、治療をうけます。
渡ってみて、それから先は、また、その時です。

決めれば、迷いません。針治療や、気功、ホメオパシーにも頼りながら、頑張ってみます。
天理よろず相談所病院では、落ち着いて、患者の気持ちに寄り添ってくれる雰囲気が、新しい治療を受けてみようと、決心できたのかもしれません。
病室では、お寺の絵本の下絵を書いたり、一人で集中して過ごせそうです。


家人があれこれ、世話をしてくれるので、なんの心配もありません。
昨夜はご住職とも、色々と話ができました。
奈良にいれば、心落ち着いて、過ごせます。感謝。
昨日は夕方まで、天理よろず相談所病院の主治医や婦長さんとのお話、検査。今日もその検査の結果で、今後の方針が話し合われます。
付き添った家人も、「患者に寄り添って、話を良く聞いてくださる感じが、全体にあって、良い病院に出会ったんじゃないか」と、言ってくれました。
都会の病院は、皆さん忙しくしていて、何やら、ザワザワする雰囲気があります。
天理は、人は沢山おられるのですが、田舎の土地の広さでしょうか。広い空間の中で、人の小声のおしゃべりが、耳障りに聞こえてきません。不思議です。

しばらくぶりに、日の出前に近くを散歩、家人は、山の上の神社に登り、私はひとり戻ってくると、朝日が登り始めました。今日1日、暮らせそうです。感謝。