奈良 聖林寺ものがたり -2ページ目

奈良 聖林寺ものがたり

奈良の聖林寺 国宝十一面観音立像の光について
四十年来光背(光)の研究をしています。

実家は、家族が引き続き使いますし、自分達の部屋もそのままに、取り敢えず、私の治療の為、桜井の聖林寺の里の自宅に落ち着きました。
新門司から、主人と二人で船に乗り、部屋のベットにやっと、横たわった時、ホッとすると同時に、今までの全ての時間、すべての場所、沢山のご縁の方々、人生のすべてを思いだし、声をあげて涙がこぼれ、手を合わせ、感謝と、祈りをあげました。法要で、祈り読経されるご住職の姿も見えました。
あんなに、長く手を合わせ、祈ったことはなかったように感じました。

荷物作りをしていた時、これは、少し私には無理かなと、弱気になりかけたとき、偶然、何時もは横浜に住む幼友達が、自分の実家の用が終わったからと、現れ、手伝ってくれました。私の18回もの引っ越しを、偶然傍に住んでいたりして、何度、手伝わせたことか。私の最後の引っ越しに、彼女は何の因果か現れ、また、手伝ってくれました❤️



寳希子さま、えいと君が頑張ってくれていると、ご連絡ありがとうございます。
私の縁の男の子も、確か8ヶ月で、最初の心臓手術に耐え、色々とありましたが、小学生になり、大人の弁を入れる手術を受け、今では、元気に走り回っていると、つい最近聞きました。

欅のライアー、来週、二度めの抗がん剤の入院にも持っていきます。
体は、魂を包み、守ってくれているこの世の大切なものですが、傷ついたり、病んだり、誰一人、さらに、すべての物は、完全な物は無いと、重々、理解しております、が、どうぞ、どうぞ、小さな人達が、元気で幸せでありますように。
私の唯一の願いです。
メール、すぐに返信できませんでした。お許しください。

虫の音だけに包まれる朝方とそして夜の闇、良い気を感じています。
心配をかける友人達や家族へ、私の心は、大丈夫❤️体は、お任せしているので、海の中を漂っているようですが、まだ、沈んではおりません。

今日の夕方、ご住職が代わりに受け取ってくれていた荷物を抱えて、届けてくださいました。なおちゃん、まあちゃん、美味しく、お味噌汁、我が家の叔父さんと、いただきましたよ。
それまで、何度も説明しているというのに、「誰がくれたのか?」と、聞きましたので、初めて説明するかのように、話したら、うなずいておりました。相変わらずの破れ鍋です。




今日も1日、片付けに終わりました。しばらく、終わりそうにありません。
無事を感謝いたします。

今日もしっかりと、良い気を受けました。






古民家多久和で、初めて出会ったひとみさんと言う方が、自分で、調べて手作りしたという、欅の木のライァーという楽器を、なんと、
いただいてしまいました。

私の木彫のノミや電動工具と、引き換えのお約束です。
最近、自分の身の回りの整理をする中、私の木彫工具の行方を危惧していました。充分に使えるものも多いのです。
この方から、中学生が使うような道具を使っていると聞いて、すぐに、この人だ🎵と、思いました。

ここ、数日、針治療の濱辺先生他、お好み焼き華道で出会った人々、他、友人達、沢山のご縁の方々、なんと素晴らしい、感謝の日々だったことか。

夕方、三人のちびさん達に、ポロピロン🎵と、私の欅のライァーを触らせて、聴かせました。
D.E.G.A.B.D.E.、、、レ、ミ、ソ、ラ、シ、レ、ミ、と、ドと、ファが無いので、雑音?が入らない、美しい音なのだとか。聞きました。

ひとみさんが、「普通、432hzですが、444
hzにしています」と、言われましたが、分けも分からず、体に直接楽器を聴かせるように、響かせて、ポロンピロン🎵と鳴らしております。

その内、ちびさん達の家に、せめて、ひとつ ライァーを届けるのが、夢です。

ひとみさんが、一人で作るので、量産はできません。早く、私の工具を使ってもらうようにしましょう。

私の道具が、捨てられずに、楽器作りに使われるなら、観音様も喜んでくださる気がします。
感謝です。

お腹の具合は、針治療で、日々、楽になっています。ある日、付き添ってくれた、番外娘が、針治療院に入る前は、ヨチヨチ歩いていたのに、治療院の玄関を出たら、「なんで、そんなに普通に歩いてるの🎵」と、ビックリしたので、私も、えっ❗️と、思いました。




感謝いたします。
直ちゃん、荷物届きました❤️今は九州なので、お寺に無事預かって頂いてます。ありがとう。大人になった直ちゃんから贈り物を受けとることが、胸が熱くなるほど、感激です。まあちゃん、しゅう、ゆうだい、皆、大人にまで、大きくなってくれて、若かった私が、命のいとおしさを小さな赤ん坊を抱っこすることで、どれ程、感動させられたことか、その赤ん坊達が皆、立派に大人になったことを万歳🙌したいくらい感動しています。

ところで、中学生のまあちゃんに、「破れ鍋に綴じ蓋」と言われた、家の叔父さん、やっぱり、かなりの変わった人です。今さらですが。

先日、偶然に、聖林寺にて、奈良登大路の、あの有名な写真館、飛鳥園の小川社長にお会いしました。
お寺さんも交えて、小川社長達、私の付き添いである家の叔父さんも交えて、お茶を頂きながら、しばし、楽しい会話をいたしました。
いつものことながら、小川社長に初めてお目にかかった興奮で、病人とは思えぬ勢いで、私のおしゃべりが加熱、いつも通りやや、恥ずかしかったです。
ところが、その会話に一番乗りそうにない、家の叔父さんの話が一番のヒットでした。

彼は、理工学部の院生の頃、安藤更正先生(1900~1970、美術史家)のゼミに参加していて、ご一緒に奈良登大路、日吉館に泊まり、唐招提寺などに通ったそうです。

その頃、安藤先生から直接伺った話、若い頃、体格も良く乱暴者だった、先生に向かって、会津八一先生(1881~1956、歌人、書家、美術史家)が、「更正せよ❗️」と、叱られたそうで、その言葉を名前にされたのだとか。
師弟愛からの名前だったのですね。この話には、会津先生や安藤先生と、ご縁の深い、飛鳥園社長も、喜んでくださいました。
話の流れで、日吉館名物女将キヨノさんの思い出など、今は、取り壊された日吉館の思い出などで、全員で、話に夢中でした。

家の叔父さんは、別所のおばあちゃんが、とても気に入って、私に引き合わせたのですが、当然、日吉館に泊まっていた、「奈良病」の人とは、おばあちゃんも私も知りませんでした。

やはり、観音様のお計らいで、こ縁があったようです。

安藤更正先生が、国立癌センターに入院された時、叔父さんが一人でお見舞いに行くと、今日は、気分が良いから起こして欲しいと言われ、抱いて起こして差し上げ、しばらく、抱いたまま、起きておられたそうです。
また、ベットで、マッチに火を灯して、炎をみるのが、心癒されると、言われ、マッチの炎はすぐに燃え尽きると、嘆かれたので、叔父さんが、「こんど、火が長持ちするライターを持ってきますね」と、お約束して、間なしに亡くなられたので、ライターは、間に合わなかったと、言うことです。

初めて聞く話でした。
安藤更正先生が、病に臥せって居られる時に、炎、(焔)を見つめられていたことに、感慨深い思いがあります。
仏の「ひかり」の造形の縁回りは、必ずや、焔が、表現されます。

いつかも、書きましたが、仏像の造形は、ろうそくの焔そのものです。

私は、大学生の頃、昭和40年代初め、吉井先生に連れられて、同級生達と、日吉館に泊まっています。40冊残されているという、宿泊者名簿に私や同級生達の名前が残されているのか、とても興味があります。今は、早稲田の会津八一記念館にあるようです。






私は、安藤更正先生に連なる、日吉館党の一員であり、家の叔父さんも、日吉館党の先輩であるとは、まあちゃん❗️確かに、破れ鍋に綴じ蓋、深いご縁に間違いなしです。

写真は、奈良の庭のカエルです。叔父さんが見つけました。

「どうかあなたも、食べるべきように食べ、生きるべきように生き、体と精神の無事を守れる人になっていただきたい。そう願います。」

これは、雑誌に載った、辰巳さんの言葉です。

今は、私の為に、家人が、全ての食事をミキサーで粉砕して、スープで、頂いてます。
食事をするたびに、お腹が痛む私の為に、苦労をかけています。

感謝をしていただいております。

書家、栗原光峰さんの書、聖林寺の「聖」の字を、私がお願いして書いていただきました。

光峰さんが、聖は、生きると言う字になるのですね❤️と、感動したように呟いていました。
過去のブログの題名を流し読みしながら、特に小さい人達に残して置きたいものを、分別する作業をしているのですが、再度、ブログに新しく入ってしまうようです。
ごめんなさい。
2度読みさせることになります。

もとから、人に見せるためにブログを始めたのではなく、復元図の「ひかり」を見た、孫の一人が、目をまんまるくして、「これをバァバが作ったの?」と、それは、驚いて、何故だ❗️と不思議そうな表情をしたので、個人的な記録として残して置こうと、小さな人達にむかって、遺す本の原稿になればと、始めたことでした。

ブログ操作を教えられたままに、ぽん、ぽんと押して、終了🎵
と、思っていたら、ブログとは、公開ボタンを押すと、全国発信しているのだとは、しばらくたって、人に教えてもらいました。
どうやったら、非公開になるのかも、操作がめんどうで、その内、病気になり、病室から、家族や友人に一度でつながる簡単さが、気に入って、ずぼら、好き勝手を続けて来てしまいました。

ここらで、そろそろブログも閉じようかと思っていますが、友人など、写真だけでも良いのよ🎵と、言ってくれます。

倦怠感や、口の中の炎症、舌先のしびれと、前の抗がん剤とは少し様子の違う副作用です。
元もと、丈夫なたちですから、なんとか、頑張れそうです。

朝、目が覚めると、あ〰️、生きてる❤️と、まずは、ニッコリ。
今日、1日頑張りますと、誰ともなく、語りかけ、日が昇るのを横になったまま、待っています。
明るくなる頃、そろりと、外に出て、虫の音や、鳥達の声を聞いています。
空は、当たり前ですが、毎日、見飽きることはありません。

夕暮れも、ひとり座って、墨色に染まる里山を眺めるのは、至福の時間です。

今日も1日、無事でした。突然痛んだお腹には、痛み止めの薬を飲み、温灸をしながらやり過ごしました。多分、お腹が弛みすぎての腹痛のようです。長く続くものではないので、様子をうかがっています。

友人が、「もう、笑うのも疲れるようになった」と、言ったので、久しぶりに、笑ってしまいました。


今は、おしゃべりも、ブログも、けっこう、疲れます。ここらで、一休みです。