「鈴やんの木」《前編》 | そらねこカフェ・店主ゆぎえみ

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日々の思いを書いてます。


私には5才上の兄がいます。
今は結婚して 小学生の子供もいますが非常に過保護で、心配性であり、我が子に嫌がられています。

しかしそれは性分らしく、幼い頃からのものでした。

あの頃、兄の心配の矛先は、いつでも私に向けられていました。

事実、私は幼稚園児時代から集団生活に馴染めず、脱走ばかり試みているような心配させる子供で、小学生になってからは、事あるごとに家出をする子供に成長していました。

だから、なおの事、兄の干渉は激しく、私はいかにして兄の目をくぐり抜けるかと作戦を練ってばかりいました。

そして、兄だけでもかなり鬱陶しいのに、私の家には、もう一人の兄として、兄の親友が頻繁に出入りしていたのです。
家出や脱走した私を捕まえるのはいつでも兄ともう一人の兄でした。

兄の親友。
名前は鈴木さん。
兄も、うちの両親も、彼の事は「鈴やん」って呼んでいて 私は下の名前は知りませんでした。


私の家の学区内に、児童福祉施設があります。
鈴やんはかなり小さい時に施設に保護されたとの事で、そこから学校へ通っていました。

学校が終わると、当然のようにうちに帰って来て、一緒におやつを食べたり 宿題をして行きました。

鈴やんはカレーが好きでした。
と言うより、鈴やんはカレーが好きだと思い込んでいた母が、カレーの日は必ず声を掛けていたようです。

「今日はカレーだよ」

その声を聞くと、おばあちゃんと、鈴やん、母、兄、私の5人分のお膳を整えて(父は遅いので除く)食事になるのでした。

私はジャガイモが嫌いでした。
あの食感が飲み込みづらく、カレーのお皿の端に弾きます。
「食べなさい」と言う母を見て、鈴やんはジャガイモをスプーンで潰して、ルウと混ぜるようにしてくれました。

なんだかクリーミィになったジャガイモカレー。
意外な程に美味しかった!

私が全部食べ終わると、鈴やんは笑って頭に手をのせました。


中学生になった兄は陸上部に、鈴やんはバスケット部に入った為、以前より帰宅が遅くなり、また 時間もバラバラになってはきたのですが、それでも鈴やんは顔を出して行き、私の勉強も良くみてくれました。


ある時、小学校の帰り道で、珍しく早く帰って来た鈴やんとばったり会いました。

試験の最中だったらしく、まだ昼過ぎのかなり早い時間だったと思います。

私は嬉しくて鈴やんの腕にぶら下がるようにして甘えました。

「遊ぼーよ。
全然遊んでくれないじゃん。
遊ぼーよ」

鈴やんは笑って私の頭に手をのせて言いました。

「どんぐり山でも行くか」

やったー
久しぶりのドングリ山。

家にランドセルだけ投げ置いて、私は鈴やんと登りました。

もっと小さかった時は、鈴やんと兄と3人で良く登った裏山。

丘の延長のような小さい山だったけど、子供にしか見えない、しかし確かに存在する、藪の中の道を行くと、ぽっかり開けた、そこだけ木のないスペースに出ました。

ここが頂上。

町が見渡せます。
空気の感触が変わります。
風の匂いは多少の湿気と砂の匂いを含んでいました。

鈴やんと私は並んで腰を下ろして自分の町を眺めました。

お寺の赤い屋根が見えて、その先に彼のいる施設の白い建物が見えました。


「あの白いのが鈴やんのうちだよね」

私は気持ちのいい風を受けながら 鈴やんに聞いてみました。
鈴やんは黙っていました。

「お父さんとお母さんどうしたの」

鈴やんは町を見下ろしたまま答えました。

「死んだらしいよ」

「淋しくないの?」


子供だったとはいえ、聞いてはいけない事のような気はしていました。

でも私はどうしても知りたかった。

「大切」という思いが芽生え始めた10歳くらいの事でした。


「淋しくないよ。広明(兄)のお父さんとお母さんいるから。おばあちゃんだっている。恵利(私)もいるしね」

鈴やんは私の頭に手をおいて言いました。

「お母さん達を心配させちゃ駄目だ。大切な人は悲しませちゃいけない」

我が儘で、思い通りにならないと、すぐに家を飛び出す私を諭しているようでした。

鈴やんの目は珍しく真剣でした。


「だって いつだって見つけてくれるじゃん」



「大切な人を悲しませちゃだめなの」



鈴やんはもう私を見てくれなくなりました。


私は急に不安になって、とっても悲しくなって慌てて言いました。


「わかったよ。もうしない、だから鈴やんは恵利んとこずっといて」


私が言い終わるか終わらないうちに、鈴やんはさっと立ち上がりました。
何かを探しています。



そして、嬉しそうに言いました。


「恵利 おいで、これにしよう」


私が駆け寄ると、鈴やんは小さな山の木を丁寧に掘り抜いているところでした。

まあるい葉っぱが沢山ついた子供の木。
鈴やんは丁寧に丁寧に掘って抜きました。



その日、自宅の庭に山の木を植えました。

途中から兄も加わって久しぶりに大騒ぎです。
バケツで水を運ぶ役目を言い付けられた私は、いっぱいに汲んだ水でびしょびしょになりながら、2人の兄のところへ運んで行きました。



鈴やんは汗だくな私からバケツを受け取りながら、必ず頭に手をのせて笑います。



私はがぜん張り切ってまた水を運びます。

兄はそれをみて、からかうように言いました。


「鈴やんは恵利の使い方うまいなぁ。いつもこんなに素直ならいいのにな。本当の兄弟みたいだ」


「恵利んとこずっといるんだもんね。鈴やんとお兄ちゃんとずっといっしょだもんね」

2人の兄は声を立てて笑いました。


3人で植えた山の木は上手く根付いて少しずつ大きくなっていきましたが、名前を調べる事もしない私たちは、「鈴やんの木」と呼んでいました。


春に芽吹いて、まあるい葉っぱを付ける鈴やんの木は、秋にはやっぱりまあるい、赤い実を付けました。



我が儘な私は家出をしたくても、玄関前の庭にあるこの木を見ると立ち止まり、しばらく眺めては家に入るようになり、兄たちは高校を卒業して、私は中学生2年生になりました。

兄は大学に進学しましたが、 鈴やんは頑なに就職を希望しました。

児童福祉施設に入居していられるのは18歳までです。
鈴やんは寮付きの職場を探していました。

そして私の父の友人で、左官屋さんをしているお宅に住み込みで働くようになりました。

真面目で手先が器用な鈴やんは、親方にも、他の職人さんにも可愛がられていたようです。

ただうちにはめっきり足が遠のき、私は寂しさを隠せませんでした。

鈴やんの木になった赤い実を指で潰すと、真っ赤な汁が飛び散って、落ちないシミができました。

それでも私は実を潰して、白いシャツにわざとこすり付けていました。

寂しさと苛立ちが交互にやって来て、息を深く吸い込みました。

当たり前のように過ごせた日々が少しずつ遠のく、恐怖にも似た寂しさは、なかなか自分の中に受け入れる事ができなくて、不機嫌な日々が何日か続きましたが、そんな私をもっと深い悲しみに落とす出来事が起こりました。



ある日曜日の朝でした。

朝早く、鈴やんがうちにやって来ました。

久しぶりの鈴やんは日に焼けていて逞しく、ひどく大人びていて、飛び出してじゃれつこうとする私を制するかのようでした。

そして、いつものように笑いながら、私の頭に置いた鈴やんの手には、白や赤のペンキが落ちずに残っていました。


「俺、休みもらって、これから大阪行くの。おばさんがいたんだよ。
お母さんのお姉さんだって。
俺のおばさん。
大阪にいたんだ」


私の父と母にまくし立てるように、鈴やんは真っ赤になりながら話していました。

少し前に施設を通して、おばさんと名乗る人から手紙が来たとの事でした。

鈴やんが返事を書くと、機会があったら会おうと返して来たそうです。

いつ会うか きちんと話しをした方がいい、一緒に行くからと言う私の父の言葉など全く耳に入らない様子で 鈴やんは話し続けていました。



私は、何も言わずに鈴やんを見ていたけど、話に夢中な鈴やんが、私を見る事はありませんでした。


「俺におばさんいたんだよ。お母さんのお姉さんだって。だから血繋がってんの。」


「機会があったら会いましょうね、だって。俺、おばさんがいたなんて知らなくてさ、お母さんのお姉さんだって」




私が鈴やんと会ったのは、その日が最後になりました。



鈴やんは少しの休暇を取って、一人で大阪へ向かい、それっきり戻っては来ませんでした。


しばらく無断欠勤が続いてから、仕事を辞めると、職場の親方に電話が入ったそうです。



あまり元気のない声だったと聞きました。

鈴やんは19歳。
私は14歳の秋でした。



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