飯舘村に行ってきた 2019/10/6~7 | aihamalteseのブログ

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愛犬の名は「あい(♀)」、犬種はマルチーズ、2010/4/18生

 「家屋解体のため餌場の給餌BOXを撤去してください」。10月あたまに携帯が鳴った。飯舘村の家主さんからだった。

 

 神戸に戻ってきて1か月が経とうとしていた。村から離れても、9月のボランティアは途絶えることなく入っている状況は把握していた。「Jupiter&猫撮る」さん、ナナぱぱチーム、Koさん、Uさん、Natsumint隊さんたちだった。

 

 1か月に一度くらいは村を訪れようと思っていたので、今回の撤去要請は良い機会ととらえてかつてのように新幹線・レンタカーを使っての飯舘村行きとなった。変わったことと云えば、宿泊がホテルから「きこり」になったことと自身の体力の衰えだった。とにかくひどく疲れた・・・。

 

 

 6時の「のぞみ」始発に乗って福島でレンタカーを借りたのはお昼前だった。その足で飯舘村須萱にある目的地に。敷地内には重機が準備されて明日の月曜日から作業開始と云う段取りのようだ。幸い作業休みの休日だったので邪魔されることなくBOXを解体して車に積むことが出来た。ただ小型のレンタカーだったので、給餌BOXは完全にばらす必要があった。

 

 ここに給餌BOXを設置したのは2012年、当時はタヌキ対策として開発した初期の木製4本脚の旧式給餌BOXだった(カナダ在住の邦人からのアドバイスが作成のきっかけとなった)。その後野生動物の主力はハクビシンにかわりさらにアライグマへと変遷していった。その都度「まだお」さんにその能力をお借りして給餌BOXを改良、最終的には「まだお式」給餌BOXと呼んでいる現在の姿になったのだった。BOXにも汗の歴史が刻まれている。

 

 解体現場には、「木製4本脚」と「まだお式」の2種類のBOXが残されていた。「木製」としては最後に残っていた1台だったので解体するには忍びなかった(歴史博物館入りに値すると思っていたのだが・・・)

 

(左「まだお式」、右「木製4本脚」)

 

 餌場を閉鎖するので、ここを餌場としている猫が残っていないか調べるために「福光の家」さんが朝から捕獲器をセットしておいてくれていた。

 

 翌日点検に戻ってみると家屋の解体工事が始まっていた。捕獲器には固まった「アライグマ」が入っていた。1昼夜かわいそうな思いをさせたが、リリースすると一目散に山に向かっていった。工事も始まり長い歴史のある思いが詰まった餌場がまた一つ消えた・・・。解体した給餌BOXを「福光の家」に運び今後の運用をお任せした。

 

 

 

 1か月ぶりの飯舘村を回ってみた。家屋の解体が止むことなく行われていた。家主さんから「しない」と聞いていたお宅も解体・・・解体・・・。震災と原発事故と8年間の避難生活、過酷な環境に放り出された被災者のみなさんには、予定は未定と云われるが立たないのが当たり前だろう。そして人の厳しさを映し出すワンニャンたちの状況、まだ被災状態は続いている。

 

 今回は村に行ってみたが、現地で頑張っているボランティアに依頼すればよかったことが多かった。そこへ支援を集中すればボランティアにとってもプラスになる。まだ先がある活動だからコストパフォーマンスを考えての行動も必要と思った。

 

(かつて「マメ」が住んでいた家も解体中だった)

 

(村営住宅が並んでいた「農高前」も解体に・・・)

 

(久保曽の「鶏と猫」の家も解体に、ただし餌場は残る予定

 

(「ゲート前」は解体工事前だったが、餌場は閉鎖に)

 

(まだ残るフレコンバッグの山)