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38歳の私と夫、小学校3年生の長女こっ子、4歳の次女ぴよ子の日常をブログにしています。
4歳のぴよ子は脳の病気のため、知的障害があり、療育手帳を取得しています。
私は2017年8月にバセドウ病を発症し、メルカゾールで治療中です
そうこうするうちに、ぴよ子、4歳になりました
も、も、も、もう4歳⁈
まだ喋ることもままならないのにっ(笑)
という思いもありますが…(去年も同じこと言ってたわ)
もちろん「まだ」、4歳でもあり。
なんせぴよ子自身が毎日元気で楽しそうなので
今後の伸び代にまだまだ期待して、成長を楽しみたいと思います
お誕生日は毎年恒例のイクラと中とろ…
はじめてのお店だったのですが、とっても可愛くてとっても美味しかったです
ぴよ子の嬉しそうな笑顔が見られてこちらも嬉しかったです
最近、年末に録画して見れていなかったコウノドリを見ていたんですが、子供にまつわる大変さって本当に色々な種類があるなあと…
不妊も辛いし不育症もつらい。
初期流産も悲しいし、臨月までいっても原因不明の子宮内胎児死亡や早剥で死産どころか母体まで亡くなることもある。
無事に出産しても、子供に病気があったり障害があったり、それで亡くなったり、それを抱えて生きなくてはいけなかったり…
どれが1番つらいとかではなく、それぞれ色々な立場での悲しみや辛さがありますよね。
子供を産み育てるって、本当に大変なことです。
コウノドリはどんな状況でも最後には何かしらの救いがあるような描き方になっていて、それはお話だからなのかもしれませんが、実際の現実もそれに近いのではないかなあと思います。
運命の理不尽さを呪い、涙にくれる日でも、どんなに救いのない絶望的な状況でも、
自分が幸せかどうかを決めるのは置かれた環境や状況ではなく、自分の気持ちだと思うんです。
私自身、渦中にいる時にはとてもそうは考えられなかったし、今でも涙が出る日もあるわけですが。
理解して支えてくれる人がいたり、日差しや風が柔らかく気持ち良かったり、子供の笑顔がまぶしかったり、楽しい思い出がふと心によみがえったり。
幸せの種はそこかしこにまかれていて、あとはそれを自分がどれだけ気づくことができるか、なんだよなと思う日があります。
SUPER BERVERの「美しい日」という歌があって、私は歌詞がとても好きなんです
あなたがいて 僕がいて 共に望んでる未来があって
ため息も 吐くけれど その倍笑っていると思う
僕は 人に生かされて 人と生きている
ああ 幾つもの愛と生きている
もしかして幸せは ただひとつ 掴み取とるようなものじゃなくて
幾つでも 何度でも 気がつくものなんじゃないかな
誰かにとって「たかがそれくらい」の ありふれた歓びでも
嬉しいと思えたら 特別じゃない今日はもうきっと
美しい 美しい日なんだよなあ
という歌詞がつくづく身にしみるぴよ子4歳のお誕生日なのでした