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40代前半の私と夫
長女;こっ子(公立小学校6年生)
次女;ぴよ子(公立小学校・支援級1年生)
うさぎ
の4人家族+1匹の日常を書いています
6歳のぴよ子は脳の病気のため、知的障害があり、療育手帳を取得しています。
ぴよ子のこれまで①(生後10ヶ月・異常発覚)
ぴよ子のこれまで②(1歳半ごろ、リハビリ開始)
ぴよ子のこれまで③(1歳半〜2歳)
ぴよ子のこれまで④(2歳1ヶ月〜保育園)
ぴよ子のこれまで⑤(年少年中、児童発達支援施設)
ぴよ子のこれまで⑥(年長、私立幼稚園)
私は2017年8月にバセドウ病を発症し、メルカゾールで治療し、現在は投薬終了しました。定期的に血液検査しています。
ぴよ子が健常児になるのを諦めたことで得た物…
心の平穏
かもしれません😅
生後10ヶ月でぴよ子の脳の異常が発覚してから、常に私を苦しめていたのは
果たしてこの子は健常になれるのか
という思い。
その思いは希望でもあり、絶望でもありました。
ぴよ子のちょっとした成長を見れば
健常になれるんじゃないか?
と希望を抱き
同い年の子と成長の差を見つければ
やっぱりこの子は一生障害児じゃないか
と絶望し…
これをやれば少しでも成長するんじゃないかと常に模索していた気がします
新興宗教にこそはまらなかったものの、もし絶対に健常になれる学習法があると言われたら、ある程度のお金は払っていたかもしれません。
でも。
いつの頃からか
ああ、もう健常な子に追いつくというのは無理そうだな
というのが、自分でもわかるようになりました。
多分、年長で健常な幼稚園に行ったことが大きいかもしれません。
健常なお友達に囲まれ、たくさん成長もしてくれましたが、この差はもう埋まらないなと実感としてわかった感じがします
最初の頃だったらそれで絶望していたと思うんですが、それほどそれで落ち込んではいないのが不思議なんですが。
それからは、もう、「障害児」としてのぴよ子の人生を応援していこうと思うようになりました。
それは、意外とそんなに不幸とか絶望という感じではなくて、私の中では自然な流れでした。
今が小学校の支援学級なので、中学は支援学校か、また地域の中学校に支援学級があれば(まだ調べてない)、そちらに通うのか。
そして、高校卒業したら、作業所などに通うのか、一般企業の障害者枠で働くのか。
住むところは、グループホームなのか、施設なのか。
私たちが死ぬまでは一緒に暮らすのか、ある時点でそういうところで生活するようにするのか。
そういう人生が具体的に思い描けるようになりました
ぴよ子の脳の異常がわかった生後10ヶ月の頃、病院の先生たちは誰も
「この子は一生障害が残るね」
とは言いませんでした。
こちらとしては、そこが一番知りたいので、何度も聞いたのですがやんわりとした返答しか返ってこず、ずいぶん歯痒い思いをしました。
もちろん、先生方にもわからない部分はあったと思うのですが、障害のある子を受け入れる時間を私に持たせたかったという意味合いも大きいのではないかと、今は思います。
あの時に
「うーん、この子は一生障害児だね!」
と言われていたら弱い私はリハビリや療育をする気力すら失っていたかもしれません。
だから、先生方、あの時は英断でしたとお伝えしたい😅
タイトルに「健常児になるのを諦めた」と書きましたが、ぴよ子自身の成長を諦めたわけではないです
今ではぴよ子を「健常にしなければ」という焦りはなくなりました
ただただ、ぴよ子の可愛い、ゆっくりした成長を応援して行きたいと思っています
強がりではなく、そう思えることは、私を本当に楽にしてくれました
夫は未だに時々
「ねえ、もう健常な子に追いつくのって絶対無理か?」と言っていますが😅
私は無理だと思うよ!でも最近また色々成長してるよね!
と答えています
2018年3月から、ブログを中断していましたが、その時期と、再開した今と、一番大きな違いは私が、ぴよ子が健常になることを諦めたことかなと思います
でも、それで特に落ち込んでいるとか、不幸になったというわけではないので、よかったなあ。
まだ色々苦しかった2年前の私に伝えてあげたいです
未来は暗くないよって
そして、ぴよ子はいつも可愛いよって